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第181話 鮮やかな世界


「どうやら僕が、彼女の兄『ロトス』の生まれ変わりらしい」



 皇帝の執務室。

 その長椅子に悠々と腰かけながら、皇帝エミリオは、自らが女神レムリアの兄――ロトスの生まれ変わりだと告白する。





「気が触れたとでも思ったかい? そう思ってくれても構わないよ。でも僕には言葉がなくともレムリアの言いたいことがわかるし、そして何より…………歴代どの皇帝より強い夢見の力がある」


(夢見の力……)


 そうした力が皇帝家にはあることを、ミリウスもまた聞き及んでいた。


(彼女が異界の光景を見るように、皇帝エミリオには未来を見る力がある――)


 それは彼女だけでなく、彼女の師だった男も言っていた。




「きみ、ここに来たとき、もしシルヴィアが幽閉されていたら、僕を脅迫しようとしていただろう?」

「――――!」

「もちろん、交渉が決裂した場合の手段だろうけど。そこの花瓶を割り破片を握り締めて、僕に迫ろうとしていた――……」

「!」

「他には、僕の首を絞めて窓から落とそうしていたかな? でも止めたほうがいいよ。どうせ花瓶はレムリアの加護で粉々に砕け散るし、窓は僕を突き落とす前にシルヴィアが引き出され、結局きみは縄につくことになる」

「っ……」

「きみだって、罪のないウィルテシア国民を戦禍には巻き込みたくないだろう?」


 まるで穏便に済ませてやったことを感謝しろとでもいうように、尊大な態度でエミリオは肩を竦める。



「それにしても本当に――似たもの同士だね、きみたちは」

「何が……」

「妹も、この部屋に招いたとき、僕を殺そうとしていた」

「!!」

「ま、できないとわかって諦めたようだったけど。事情を聞いた限りじゃ、殺せなくとも一発殴りたかったと言っていた」

「………!!」



 初めての、彼女の生を感じられる情報に。

 ミリウスは思わず熱くなる目頭に強く奥歯を噛みしめた。



「まぁ、きみには関係ない話だろうけど。僕がロトスの生まれ変わりである以上、女神レムリアは自分以外の人間が僕に愛されるのを許さない。僕がシルヴィアを手元に置こうとするとすぐに癇癪を起こすんだよねぇ」


 子供のように何も伝えられない女神は、怒りの矛先であるシルヴィアに地味だが陰湿な嫌がらせをする。

 神ゆえか子供ゆえか、ともすれば残酷になりかねないその嫌がらせ――呪いを防ぐためにも、この『婚約』は必要なのだとエミリオは言った。



「僕が手元に置けない以上、誰かに預けないといけないだろう? セルウィウスはいい男だよ」


 ギリ、と奥歯が鳴る。


「きっとシルヴィアの良い夫に――――…」



 我慢の、限界だった。




「書状なら、俺だって出していただろう……!?」



 何度も、何度も。何度も、何度も。


 彼女の安否を問う手紙に併せ、彼女を妻にしたいと、妃に迎えたいと、何度も書状を送っていた。

 それに対してこの男は――――……。


 ――妹はいない、と。

 ――過去にすでに亡くなっている、と。


 生存の一報すら寄越すことなく、代わりに絶望を送り返した。

 そして、あまつさえ彼女を求めて止まない自分に、ほかの男との婚約披露の招待状を送りつけてきた。


 沸々と煮えたぎり限界を迎えた怒りが爆発する。



「とはいっても、ね。あの子はこの国にとっても、とても価値のある子なんだ。みすみす他国には譲れない」


「それを理解した上で申し込んでいる……!」


「いや、理解してないよ。きみは。あの子の本当の価値を何も理解していない」


「…………」



 皇帝エミリオは、静かに語る。



「僕には歴代皇帝の中で、最も優れた夢見の力がある。この世のあらゆる人物、出来事、国――どんなものの未来でも見通せる、神に等しい力が。……でも本当に価値があるのは妹のほうだ」

「…………」

「僕には所詮この世のことしか見渡せない。どれほど未来を視ても、どれほど『正しい選択』を選んでも。所詮、選べる未来はこの世界の枠組みの中だけで、神が描いた以上に世界は変えられない」


 でも妹は違う、とエミリオは天を仰ぐ。


「妹は――シルヴィアは、ほかの世界を覗くことができる。ほかの世界の知識を、知恵を、恩恵として世界にもたらせる。それはきっと――――世界を変える、ということなんだ」


 神の手中にある世界から、その外へ。

 誰も意図しなかった世界へ羽ばたいていける可能性があるとエミリオは語る。


「だから、そんな妹をみすみす他国のただの王子に、はいそうですかとくれてやれるわけがないだろう?」


「………………」



 皇帝エミリオは、尊大に長椅子からこちらを見上げる。


 まるでこちらを――――()()ように。








「…………貴国の事情はわかった。ならばこちらも相応のものを用意しよう」


 ミリウスは懐から、ひときの書簡を取り出すと、無造作に皇帝へと放り投げる。

 それを受け取った皇帝エミリオは書簡に目を通し――……。


「話にならないね。これで皇女を、僕の可愛い妹を嫁にもらおうと――?」


「その桁の――10倍の量の支援を用意する」

「…………」

「必要があるなら通商上の制約事項を見直してもいい。他国と協議したい事項があればそれも働きかけよう」

「…………」


 ふむ、とエミリオは書簡を見下ろす。


「つまりきみは、僕たち帝国に恩を売ろうというわけだ」


「恩を売るつもりはない。これは歴とした協定であり契約だ。 飢饉のたびに隣国との紛争を起こし、常に属国離反の危機に瀕している貴国に、我が国は周辺国を通じて支援を行う用意がある」


 レムリア帝国は巨大な帝国だ。

 本国こそ豊かな土壌を持つが、征服した属州やその先の属国には貧しい国も多く、飢饉になるたびに食糧不足で離反運動が絶えなかった。

 それらはすべて、ただでさえ貧しい土地から、『より高く売れるから』という理由で、穀物の大半が帝国中央部へと流れていってしまうからだ。

 ならば『より安い価格の穀物』が、帝国内で流通するようになればいい。


「これは……周辺国に王国の穀物を安く卸し、値崩れを起こしたものを帝国への輸出に切り替えさせるつもりかな? でもこれだと他国の市場を荒らすことになるね。……いいのかい?」


「飢饉時の一時的な対応だ。それに他国に利こそあれ損はない。すでに各国の了承も得ている」


「ふうん……」


 エミリオは気だるげに書面を眺める。

 そしてぽつりと呟いた。


「これの原資は王国民の食料だ。本来なら民の腹に収まるべきものを、自分の欲望で妹を手に入れるためだけになげうつなんて……いい王様だね?」


「これは国庫の備蓄の循環だ。余剰分を国内の穀物価格を下げずに排出できる……問題はない」


「それでも本来なら輸出で得ていた利益を失うのだろう……?」


「だとしても、貴国の安定で得られる利益は彼女だけではない――」


 帝国周辺の国情の安定による紛争の減少。

 金属および魔石類の価格安定に、戦災孤児や野盗の減少。それはやがてリンデール等周辺国での人攫いの減少に繋がり、ウィルテシアとしては対価に安定した魔石類鉱物資源をリンデール公国から特別価格で輸入できる……。


「これは双方に、いや――周辺国全体を巻き込んで、行うに十分利のある契約だ」


 だからそのために――2年もの間をかけて奔走したのだ。

 なんとしても、彼女を取り戻すために。

 この食えない皇帝に――『是』とただそれだけ、言わせるために。



「………………」


 皇帝は書面と睨み合う。


「……ま、いいだろう。詳細はあとで詰めるとして、大枠で不満はないよ」


「なら……!!」


「きみとシルヴィアの結婚を認めよう」

「………っ!!」


 思わず熱くなる目頭に、歓喜と万感の思いを押し殺すように拳を握る。


「……ただし、条件はつけさせてもらうよ」

「!?」

「僕が求める唯一の条件……それは」

「それは……」


 皇帝が、男女の差こそあれ、彼女にそっくりな顔の眉間に皺を寄せて。……妹への求婚者を睨めつける。



「条件――それは…………シルヴィアが了承することだ。シルヴィアがこの結婚に反対であれぱ、僕は絶対に認めない」


 そう言うと、エミリオは話はこれで終わりだとばかりに立ち上がる。



「さて、何を悠長にしているのかな? このまま僕と商談に移りたいというなら止めないけれど。……僕、無駄な時間は嫌いなんだよね」


 ゆるり、と振り返った視線の先。

 その、この部屋のどこでもないある場所へと向けられた視線の先は――――…。



「シルヴィアなら、東の棟だよ」

「!!」


「さっさと振られて、僕に泣きつきに来てくれると嬉しいね」



 ミリウスは、部屋を飛び出した。







        *






 広大な敷地を有する、世界屈指の名城、レムリア宮。

 その皇宮の長い廊下を、足早に大股で闊歩する一人の男がいた。


 男は案内役の役人すら置き去りに、ただ一点。皇宮のある場所を目指し、床石を蹴る。



 視界の外を流れる窓も、美しい景色も、彫刻も。足を止める理由にはなりえない。



 目指すのは、ひとつだけ。



 求めるのも――ただ、一人だけ。




 皇宮の奥深く、案内人が示していた一画に、皇宮にしては小ぶりな扉が並ぶ場所に出くわす。


 ざっとその扉の列に目を走らせた瞬間――


 その中の一室が偶然開き、中から女官らしき女が姿を現した。


「それでは……様、行ってまいります――」



 その言葉に、ミリウスは問答無用でその扉を押し開いた。




 驚き跳び退る女官に、乱暴に開け放たれる扉。


 視界に広がる光景に、光が溢れる。



 その光の中心に――窓辺に佇むある人を発見して――――…………。



 ミリウスは、口を真一文字に引き結んだ。













 その日、長らく暗く色褪せていた世界に、色が芽吹いた。


 鮮やかな色彩が、世界を塗り替えていく――――。





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