第175話 恋敵からの手紙
「アーサー室長、お手紙が届いています」
リンデール公国の厳しい冬を控えた秋の午後。
都にある魔法研究院の一室で、アーサー・フラムスティードは、秘書の声に手元の書類から顔を上げた。
丁寧に封のされた封筒を受け取って、差出人の名前を確認する。
――『ミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガム』。
「もうそんな時期か…………」
窓辺に積み重なる封書の束を前に、アーサーは一人呟く。
(本当に、どこをふらついているんだ。お前は――――)
窓の外では、リンデールの高い峰々に、冬の気配が近づいていた。
*
アーサー・フラムスティードのもとに、奴からの手紙が初めて届いたのは、約一年半前の春のことだった。
奴というのは件の手紙の送り主、『ミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガム』のことだ。
隣国ウィルテシア王国の第3王子であり、アーサーの旧友シホ・ランドールが受け持つ生徒ということで、短い間だがリンデールまで留学しにきたことがあった。
そこで浅からぬ縁というか、アーサーとしては大変不本意な交流を持つことになったのだが、その留学から半年後――――突然あの男から手紙が届いたのだった。
「なんだ……? ミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガム……? あの嫌みたらしい王子か」
初めてその男から手紙が届いたとき、アーサーは実に嫌そうな顔をして、渋々その封書を開けた。
「また視察に来たいだのなんだの、僕の仕事を増やすようだったらただじゃおかないぞ」
ぷりぷりと怒りながら封筒を開けたのを覚えている。
するとそこには、
『 アーサー・フラムスティード殿
突然、手紙を差し上げることを許して欲しい―― 』
突然手紙を寄越すことを詫びる一文から、丁寧な字でアーサーへの真摯な頼み事が綴られていた。
「………………」
内容を要約するとこうだ。
シホが、卒業式の日に姿を消したこと。
国内や思いつく限りの場所は探したこと。
彼女の実家である村の家も調べたが、もぬけの殻で、すでに人も家畜もいないこと。
シホがアーサーのもとに行ってはいないか、いなければどこか心当たりのある場所がないか教えてほしいこと。
また彼女や、彼女へ繋がる手がかりになりそうな情報を得たら教えて欲しいこと。
そして最後に、
『 彼女の友人であるあなたには、俺より先生の意思を尊重したいという気持ちがあるのは理解している。けれどどうか、どうか教えてほしい…… 』
あのいつでも澄ました余裕顔の王子には珍しい、懇願するような一文が添えられていた。
(まったく…… 一体何をやったんだか)
あいつに逃げられるとは、余程この忍耐のない王子が、何かしでかしたに違いない。
大方卒業し教師生徒の枷がなくなったのをいいことに、無理にでもあいつに迫り逃げられたのだろう。
(だとしたら僕には関係のないことだ)
それに、あいつが本気で雲隠れを決め込んだなら、消息を追うことなど不可能だろう。
そういうところは、不思議と器用な奴だ。
(実家がもぬけの殻というのはよくわからんが……)
シホの実家の事情など詳しく知りようがなかったアーサーは、ただ『引っ越しでもしたのだろう』……それくらいに思っていた。
*
「アーサー室長、お手紙です」
次に手紙が届いたのは、その二週間後のことだった。
「誰だこの忙しいときに……。ってまたあいつか!」
リンデールとウィルテシア間の郵便など、早くて十日前後はかかるだろうに。
アーサーの返信もまたず、あいつは次便を送りつけてきた。
「何なんだ一体……!!」
しかし開いた封書は、前回より切羽詰まったものだった。
『 あれから、先生は見つかっただろうか……?』
その一文から始まる、繰り返しのシホの捜索依頼。
そして捜索はアーサーの周りだけでなく、かつてシホが在籍していた調査討伐隊やその知り合いにも声をかけてみてほしいこと。
リンデール公国主のオーレリアや、知る限りの伝手には声をかけているが、よい返事はまだ貰えていないこと。
次第に焦るように乱れがちになる筆跡で、そこには切実な頼みが綴られていた。
「頼まれたところで……これ以上どうしろというんだ」
アーサーは嘆息する。
不愉快だが、正面から頼まれた以上、アーサーも果たすべき義理はすでに果たしていた。
奴が思いつくような知り合いにはすでに声をかけ、手がかりになるようなことがあれば連絡を寄越すよう依頼は済ませている。
それで何の続報もないのだから、アーサーとしては手の打ちようがなかった。
『 すまない。頼む………… 』
まるで頼れる相手が、もうこの世に自分しかいないような語り口で縋る声に、アーサーはその手紙を窓辺の木箱に放り込んだ。
アーサーにできることなどこれ以上ない。
アーサーは静かに、『続報なし』の一文を送り返した。
*
それからというもの――――ミリウスからの手紙は、定期的にアーサーのもとへと届くようになった。
初めは二週間、それがやがて三週間間隔になり。
一ヶ月になり。二ヶ月になり……。
徐々に間隔は伸びるものの、けして途切れることはなかった。
その度に、奴は何度も何度も、書面の中で詫びていた。
繰り返し手紙を送りつけることを詫び、迷惑をかけていることを詫びながら、それでも諦めきれないのだと、頼める友人はあなたしかいないのだと、震える筆跡で綴っていた。
何がここまでこの男にそうさせるのか――。
まるですでにシホがこの世にいない可能性すら案じているように、鬼気迫るような懇願と、絶望にも近いような諦観が文面には滲み始めていた。
『 行方は知らさなくてもいい。どこかで匿ってもらっても構わない。だからどうか、彼女が生きているかだけでも教えてくれ…… 』
今にも息絶えそうな筆跡で、ギリギリの胸中で奴がこれを記しているだろう姿が脳裏に浮かんだ。
かつての恋敵になりふり構わず縋った時点で、相当に思い詰めていたのだろう。
あれから一年半――――今朝届いた手紙には、すでに枯れ落ちた枝葉のように乾いた筆跡が記されていた。
『 あれから何か変わったことはないだろうか――……?』
すでに問いかけも、答えを求めることも諦めかけた、諦観と絶望の淵にある者の言葉。
終わらない闇の中で、擦り切れるように何かが麻痺してしまったのだろう。
淡々と、淡々と、その文面は綴られていた。
それでも。
諦められない何かが、最後の力となって奴を突き動かしていた。
「本当に…………あいつはどこをほっつき歩いているんだ」
これほど苦しむ生徒を放っておくような奴ではなかっただろうに。
いくら奴に酷い仕打ちを受けたといえ、そろそろ無事の一報くらい、人づてに寄越していいはずだ。
窓際に積み上がった手紙の山を眺めながら、今日もアーサーはそこに一通を追加する。
そして返信をしたためる。
――そう気を落とすな。
あいつのことだ。どうせ気楽にどこかでやっている。
アーサー・フラムスティードにできたのは、それくらいのことだった。




