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第174話 冷たい部屋


『ミリウス、大丈夫ー? 入っていいー?』



 コンコン、とノックされる扉に、ミリウスは重い身体をベッドから起こすと、ノロノロとドアまで引き摺った。


「はい……どうしました……?」


 若干掠れる声で問いかけ、寮室の扉を開けると、そこには満面の笑みの担任教師――シホ・ランドールがにこにこと手に籠を抱えて立っていた。


「ミリウス、体調を崩したんだって? 一人じゃ大変でしょ。私が面倒見てあげる!」


 そう言ってシホは学生寮のミリウスの私室に入り込む。


「ちょっ…………」


 平時であれば、あわてて制止したはずの挙動。

 何しろシホは、紛れもないミリウスの想い人だ。

 部屋に見られて困るものや、整頓が行き届いていない箇所はないとはいえ、やはり好意を寄せる相手に私室を見られるのは恥ずかしく――――。

 思春期の男子学生らしく、ミリウスは抵抗を試みた。


 が、それも可能なのは平時の体調が万全なときだけで。

 数日前から風邪気味で体調を崩しており、ついに今日高熱を出すことになったミリウスには、意気揚々と私室に乗り込んでくるシホを制止することはできなかった。


「遠慮しないでいいよ。今日は半日授業だし。私は担当教科の授業はもうないからついていてあげる」


 そういうシホは看病する気満々なのだろう。

 何やら籠いっぱいに荷物を持っていた。



「ですが先生に伝染ると……」

「あ、そこは大丈夫。私怪我は多いけど意外と病気には丈夫だから」


 陽気に笑って先生は『ちゃんと寮長の許可も取ってきたのよ?』と胸を反らす。


「だってミリウス、誰も他の人を頼ろうとしないじゃない。病気のときなんだから、こういうときこそ他人の力を借りて早く治さなきゃでしょ」

「………………はい」


 たしかに、他人を拒んだのは事実だった。

 学院に来てから友人たちや教員とも打ち解けてはいるが、ミリウスは私室に他人を入れるのが――怖い。

 それは王宮時代の後継者争いの一環からくるもので、信用のおけない者を身近に招くのが恐ろしかった。


 もちろんラスティンやファビアンなど友人たちなら招き入れられるが、それでもこうして弱っている姿は見せたくない。

 意地というか虚勢を張っているというか……単純に同年代の男同士として、そうした姿を彼らに見せるのに抵抗があった。


「医務官を部屋に入れるのもダメ、医務室に泊まるのも嫌。それならここで誰かが看病するしかないじゃない」


 もっともなシホの意見に、ミリウスは渋々シホを受け入れたのだった。








「ミリウス、食事は食べた?」


 ミリウスが再びベッドに戻りそこで話を聞く体勢を整えると、シホはさっそく患者の食事状況について尋ねてきた。


「えぇ、朝にラスティンが持ってきたものを少し……」


 ほとんど喉を通らずすぐに脇に下げたのだが、その器を見たシホは『うーん』と唸って何やら荷物から金属製のプレートを取り出した。


「これ、チーズを細かく削る道具なんだけど……」


 そう言いながらシホは、持ってきた林檎をその道具で細かくおろしていく。

 しばらくすると、ガラスの器いっぱいに小山になった、氷菓子のような林檎のペーストができあがっていた。


「これなら喉を通るんじゃない? はい、どうぞ」


 そういってシホは、甲斐甲斐しく林檎のペーストを匙にすくってはミリウスに差し出す。


「え…………」


 まるで子供にするように、匙にすくった食べ物を差し出されて――――ミリウスは狼狽えた。


「じ、自分で食べられます……」


 匙をもらおうと手を伸ばすのだが、シホは『ダメ』と言って譲ってくれない。


「これは私が看病してもらったときの恩返しなんだから、今度は私がするの!」


 まるで子供が駄々を捏ねるように、シホは頑なに匙を渡そうとはしなかった。


「……わかりました」


 渋々ミリウスが羞恥に呑まれながら林檎を口にすると、シホは大層満足そうに頬を緩ませる。


「どう? 美味しい? 喉は痛くない?」

「はい…………」


 熱く熱を持つ身体に、瑞々しい甘さが染み渡る。

 けれどそれ以上に、正直味よりも、羞恥に染まり火照る体に流れ込む冷たい感触のほうが焼き付いた。



「先生……んむ…………、ちょっと待ってください」


 シホは誰かの世話をするのがよほど嬉しいのか、次々に林檎をすくってはミリウスに与えようとする。

 その雛鳥への給餌のような状態が恥ずかしく、もどかしくて、ミリウスはなんとも情けない顔をするしかなかった。


「あれ、もしかして嫌だった……?」


 今更シホが不安そうな表情をみせる。

 あまりこういったことをしたことがないらしい彼女は、相手に嫌がられることを想定していなかったのかもしれない。


「そういうわけでは……」


 もちろん、ミリウスとしてはそんなことがあるはずがない。

 何より意中の恋い焦がれるシホがいて、自分の部屋のベッドサイドで、自分のために甲斐甲斐しく食事を運んでくれているのだ。

 それが嫌な男など、この世にいるはずがない。


 なのに………。


 突然今更になって、シホと二人きりの現状や。

 いまの自分が寝間着のままで、髪も紳士らしく整えず、汗ばむ髪を額にはりつけているような状況に、いたたまれなくなって顔を背けた。


(せめて身形くらいは整えるべきだった……!)


 彼女の前では、少しでも立派な格好の自分を見せていたい。

 ただでさえ生徒としか、子供としか見られない自分が、こんな情けない姿を見せてしまったら――――もう二度と彼女に男として見てもらうことができないような気がした。


「すみません……帰ってもらえますか……」

「!」


 これ以上情けない自分を見られるのが、耐えられなかった。


「………………どうして?」

「?」


 けれどシホは、先生は。生徒の突然の拒絶にも、動揺することなく語りかける。


「私がいるとやっぱり邪魔だった……?」

「そうではない……です」

「じゃあどうして?」

「………………」


 ミリウスは観念したようにぽつりと漏らす。


「俺が――――あまり身綺麗にはできていないので」


 顔を背けて言ったのが、精一杯の抵抗だった。




「なんだ、そんなこと!」


 シホはからりと笑うと、『じゃあ待ってて!』と、部屋を出てどこかへ向かって行った。

 そして帰ってくると、湯桶と手拭いを手に持っていて、よく絞ったそれをミリウスに差し出した。


「本当は背中とかちゃんと拭いてあげたいんだけど……やっぱり抵抗があるよね。部屋の外に出てるから、これでさっぱりして」


 そうして風呂代わりの濡れた手拭いを渡すと、自分はそそくさと廊下へと出て行った。


「………………」


 ミリウスは手の中の手拭いを見下ろして、考える。

 こうしてちゃんと身を清めるのはいつぶりだっただろう……と。

 汗をかかない乾燥した季節であることをいいことに、体調が優れないからと、いつも重い体を引き摺っては、自室に戻るなりベッドに沈んでいた。


 二、三日ぶりに体を清めると、心まで蘇るようにさっぱりとしてミリウスは大きな息をついた。


 ついでに寝衣も新しいものに着替えると、どこか体調まで良くなったような気さえする。



 再びシホを部屋に招いたとき、そんなミリウスの姿を見てシホも安堵したようだった。



「大分顔色もよくなったね。熱も少し下がったみたいだし……あとは寝てようか」


 ミリウスの額に手を当てて、熱を測りながらシホは言った。

 その細い指先が、冷たい指が、とても離れがたくて、ミリウスはシホが手を引くとき思わず、


「あ…………」


 と、名残惜しそうな声を上げてしまっていた。



「……?」

「いえ、何でもありません……」


 ミリウスはすぐにそっぽを向く。

 何でもないと、寝るだけだからと。シホが帰るのに邪魔にならないように気配を消す。

 けれどそんな生徒の心中などシホは見抜いていて――――。


「大丈夫だよ。一緒にいるから」


 優しく微笑むと、ベッドサイドに椅子を持ってきてそこに腰かけた。


「体調が急変するといけないし。今日は暇だからここにいるよ。安心して」


 魔法学院の教師など、暇なときなど一瞬たりともないだろうに――――。

 日々彼女の休日を、個人授業や個人的な願望による生徒相談で奪ってしまっているだけに、ミリウスは彼女の懐の深さを思い知った。


 本当は、平気だと。大丈夫だと断るべきなのに――。


 それでも、傍にいたい。


 同じ時間を共有していたい。



 少しでも長く。


 できれば永遠に。


 ずっと彼女と共に在れたらいいのに――……。




「ミリウス、おやすみ」



 そうして目蓋に手を翳す彼女の声に導かれて、ミリウスは頬を紅く染めながら目を閉じる。


 夢の中に彼女が出てきてくれたらいいのに。


 目が覚めても彼女がそこにいることを祈りながら、ミリウスはゆっくりと眠りに落ちる。


 永い、永い眠りの底へ――――。



























「――――――!!!」


 暗い部屋の中で、ミリウスは弾かれたように跳ね起きた。


 息は荒く、額には寝汗を掻いていたのだろう。

 汗ばんだ髪がパラパラと貼りついていた。


 呼吸を整える。悪夢を見たように動悸が激しい。

 肩を上下させる息を整えて、暗い室内でミリウスは天井を見上げた。


(ああ――――やはり――――…………)



 先生はいない。



 ミリウスが夢から飛び起きたのは王宮だった。


 広く豪勢なばかりで、一番大切なものがどこにもいない、空っぽな私室。

 何の愛着も、拘りも、何もない部屋がぽかんとそこには広がっていた。


「先生………………」



 あの日シホがミリウスの前から姿を消してから、もう半年。国中を探してみたが、シホはどこにもいない。


 リンデールの彼女の実家も探させてはみたが、彼女どころか、彼女の祖父母だった人間も、家畜も、もぬけの殻になっているばかりで、彼女へと繋がる手がかりはどこにもなかった。


 国内も、国外も。どこを探しても彼女はいない。

 その行方さえ――見たという情報さえ――何もない。

 本当に彼女は生きているのか、存在していたのかさえ怪しくなるほどの何もない痕跡。


 ミリウスは頭を抱える。


「先生…………出てきてくれ…………」


 妻になってくれなどとは言わない。

 ただ生きている姿を見せてくれるだけでいい。

 それだけでいいから。


 脳裏を最悪な想像が駆け抜ける。


 かつての師を追って、両親の仇討ちのために挑み、返り討ちに遭う彼女。

 仇討ちが叶わなくて、あるいはすでに両親のいないこの世を儚んで、自ら命を絶つ彼女。


 そんな心臓を引き裂くような想像が、ミリウスの身を苛んだ。



 毎夜、毎夜。眠るたびに訪れる。地獄の光景。


 数ヶ月ぶりに今日のような幸せだったころの夢を見られても、目を覚ませば彼女はここにはいない。


 ここだけじゃない。


 もしかしたら、もう、この世のどこにも――――。



 そんな身体の震えるような恐怖にミリウスは身を縮こまらせる。





「シホ…………出てきてくれ…………頼むから」




 自分が壊れてしまう前に。



 あなたの記憶を、顔を、思い出せなくなってしまう前に、どうか再び姿を見せてくれ――――。



 ミリウスは冷たく暗い部屋で祈り続ける。




 どうか、誰か――――この世を司る者たちよ。




 どうか、俺から先生を――――奪わないでくれ。






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