第173話 旅立ちの日
卒業のセレモニーに、学院中が華やかな空気に包まれていた。
あるところでは、親友の女子二人が、理想どおりの進路に進めたことを祝い合い。
あるところでは、長らく学院生活を共にした学友同士が、しばしの別れを名残惜しんでいた。
人生の一部としては短いが、貴重な青春時代にしてはあまりに長い二年間――――その間苦楽を共にした仲間との別れに、学院のあちこちで惜別の声が上がっていた。
シホもまた、クラスの生徒たちを送り出して、一人佇む。
とても――――とても素晴らしい一年間だった。
担任として彼らを預かったのは、たったの一年間だったけれど。
自分の人生ではもっと大きな――――かけがえのない大切な時間をもらったように思う。
春には、突然担任を任された学級で校外演習に出かけ、黒竜を倒すことになった。
夏には、まったく右も左もわからない侯爵邸で過ごすことになり、貴重な貴族の生活を経験できた。
秋には、初めての学園祭を経験したり、故郷に戻って旧友と再会したり、街を襲う殺人犯や傭兵と対峙して生徒の成長を感じることができた。
きっと自分一人では、一生感じることのできなかった、人生で最も彩り豊かな一年間だった。
「…………」
そうして、もう一つ。
自分には答えを出さなくてはならない問いが残っている。
生徒たちが去り、誰もいなくなった学寮で、そのサンルームで。
高いガラス張りの天井を見上げながらシホは思う。
(ここは……こうして見ると『鳥籠』みたいだったのね……)
半円状のドームを持つガラス張りのサンルームは、こうして先入観なく見上げると、大きなひとつの鳥籠のように見えた。
(温かで、安全で、何不自由なくて――――でも永遠には、そこにいられない)
自由との代償にすべてを得ても、そこに留まり続けることも、空の広さを知った身で居続けることもできないのだ。
人は、子供は、生きている限りどこかへ飛び立たなくてはならない……。
シホはカラン、と鳴るドアベルの音に、ゆっくりと目を閉じた。
「先生。あの日の答えを――聞かせてくれますか」
唯一最後に学院に残ったその生徒――――ミリウスが訪れる足音に、シホは静かに目を開けた。
*
光が降り注ぐサンルームは、長く一年を過ごしてきた住処だったというのに、この日はまるで別世界のようだった。
生徒たちが旅立つにあたって物を整理したからか、すっきりとしていて、天井から降り注ぐ春の日射しに、きらきらと植物たちが輝いていた。
『先生。あの日の答えを――聞かせてくれますか』
そう尋ねてきた生徒――――ミリウスを前に、シホは正面からじっと向き合う。
散々逃げ続けた分、今日くらいは誠実に、正面から本当の言葉で彼と向き合いたかった。
「俺は――――あなたが好きです。あなたが思っているよりずっと、この世の何よりも、あなたのことを想っている」
ミリウスの口から語られる言葉は、あの日冬の夜に、聖霊祭のまじないとともに聞いたまっすぐな熱意そのものだった。
あのときと何も変わらない。いや、むしろ静かにより熱意を増した情熱が、シホに向かいまっすぐに注がれている。
「だから、今日その答えを、聞かせてください」
「………………」
シホは口ごもる。
彼に伝えたい言葉は数多くあるが、どれから話せばいいかわからない。
だからシホは――――思ったままを口にすることにした。
(余計な言い訳は彼に失礼なだけ……)
ミリウスの緊張に揺れる瞳を見据えて、シホは語る。
「ミリウス――――――ごめんね」
「……!!」
「あなたがせっかく誠実に想いを伝えてくれたのに……私は、生徒だから、身分が違うから……色々な理由をつけて、ただあなたから逃げていたの」
本当は断りたいのなら――――それらの理由を告げて、説明して、ちゃんと理解してもらうべきだったのに。
「本当はちゃんと話し合うべきだったのに――――それをしなかった。できなかった。きっとそれは――……」
告げてしまうことで、確定する未来が怖かった。
断ることで、そんな未来が永遠に消えてしまうことを、自分でも知らないうちに恐れていた。
「それは――……?」
ミリウスが、期待を含んだ声音で問いかける。
「それは――――…………嬉しかったから」
「っ」
「あなたに、好きと言われて。一緒に生きたいと言われて。本当に、本当に嬉しかった…………」
おそらく一生言われてることなどないと思っていた言葉を、彼はくれた。
いっときでも自分を、人生で一番幸せな気分にしてくれた。
本当に……本当に。心の底から幸福だった。
「私に、好きと言ってくれてありがとう。一緒に生きると言ってくれて……ありがとう」
そんな人、この世のどこにもいないと思っていた。
「出会ったときも、全然ちゃんとした先生じゃなかったのに。いつも支えてくれて……見守ってくれて、助けてくれて……いつも傍にいてくれて、」
そんな人、永遠に現れるはずがないと思っていた。
「どれほど感謝しても……全然足りなかったのに」
溢れる涙に、震える声がとまらない。
「ミリウス…………ありがとう」
声に出して、名前を呼んで、溢れる想いを伝えれば、短く息を呑んだ彼は駆け出して、顔を覆うシホを抱き留めた。
「先生……!」
熱く自分を抱き締める長い腕も、頬を寄せれば安堵する広い胸板も、優しく自分のことを呼ぶその声も、全部が、全部…………大好きだった。
シホが人生の中で見つけた、一番、一番大切な宝物。
「ミリウス……!」
掠れる声で呼んで、頬を擦り寄せる。
そんな自分をミリウスもまた、熱く濡れる瞳で、優しく慈しむように抱き締めてくれるのだ。
「ミリウス……」
だからシホは腕を伸ばす。
大好きな、愛しい人のその首へ。
そうして腕を回し、きつく抱き合い、頬を寄せて――――そして呟くのだ。
「ミリウス……ごめんね」
「……?」
訝しむ彼が寄せ合った頬を離そうとする瞬間、
カチャリ、と。
シホはその留め具を外した。
「――――!!!」
気づいたミリウスが慌ててその腕を押さえようとした瞬間。
外された魔石のペンダントを手に、シホは無言で魔法を起動する。
春風に似た突風が室内を駆け抜けて、遠くで風にそよいだ観葉植物が揺れていた。
「先……生…………っ」
ゆるりと、力を無くしていくその腕に。
やがて立つこともできなくなっていくその身体を抱き留めて、ゆっくりとシホは大好きなその温もりを側にあるソファに横たえる。
「ミリウス、ごめんね。大切だから、あなたには幸せになってほしい……。鳥籠の中の幸せじゃなく、ちゃんと――――…………」
睡魔の術にかかり安らかな寝息を立てるミリウスに、シホは最後の言葉を呑み込んだ。
そうして、ゆっくりと彼の前髪を撫でる。
目を閉じると普段よりずっとあどけないその寝顔が……胸を占めるように焼き付いた。
*
*
*
そうして、再びミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガムが目を覚ましたとき――――。
彼女の姿は、どこにもなかった。
学寮にも。学院にも。
シホ・ランドールの姿は永遠に――――ミリウスの前から消えた。
ここまで読了いただきありがとうございました……!
最後がこんな終わりですみません。
でもご安心ください、あと一章あります! 次の第9章が最終章です。
次はエンディング扱いの章なので、ここからはただ幸せの階段をのぼっていくだけです。
でもその前にミリウス君には地獄の2年間が待っていますが……。
話数では閑話を挟んで数話分と割と早めに二人は再会しますが、作中では2年の月日が流れます。
その間ミリウスには先生の所在が知らされず、行方どころか生死不明の先生が、師匠を追いかけ仇討ちにいっているのでは?返り討ちに遭って実はすでにこの世にいないのでは?と地獄のような心労を抱えることになりますが、ちゃんと最後は大団円?のハッピーエンドの予定です。
卒業編で最終回と思われた方には申し訳ありません。
よりドラマチックにするためには、キャラに地獄を見せることも厭わない作者の作品なので、もうしばらくお付き合いいただければ幸いです。




