第171話 決着 3
紅蓮の炎が、視界を覆い尽くしていた。
足もとでは草木が一瞬にして燃やし尽くされ、灰となって舞い上がる――――。
そんな業火の海の中で、ミリウスは静かに佇んでいた。
(チャンスは、一度だけ――――)
静かに唱えた口述呪文で、凍てついた氷の生成に集中する。
それは今まさに炎の壁の向こうにいる男の足もとで、樹氷へと成長しようとしていた。
男が戦いの中で射出した氷塊。
それを利用し、育て、男の足を絡め取る――――。
機動力に優れた男の足を止める、最初で最後の作戦だった。
そんな作戦を実行するため、ミリウスは炎に呑まれる。
けれど熱くはない。
何者の生還も許さない――――そんな地獄の業火でも、ミリウスにとっては熱も、痛みも、何もない。
ただ朱く踊る、焔の壁がそこにあるだけ――――。
(すべては――――先生のおかげ。彼女が俺を――――守ってくれる――――)
胸元でふわりと浮遊する紅い魔石を見下ろして、ミリウスは拳を握り締めた。
すべては、ここから始まった。
竜に襲われたあの日、彼女に命を救われ、竜の魔核を与えられた。
おかげでこの世のあらゆる魔法に対する絶対の防御結界を手に入れて、自身の暴走する魔力をも制御できるようになった。
彼女が与えてくれた多くに支えられ――――いま、自分はここにいる――――。
ゆっくりと左腕を掲げる。
魔力の制御用に腕に記した呪紋が熱を持ち、竜の魔核が激しく明滅する。
(全力で、ただ、一度だけ――――)
この攻撃に、すべてをかける。
男――――ヴィルが、振り返る。
こちらの仕掛けた樹氷に気づき、解呪を試みる。
そして、三重の絶対障壁を展開する男に――――。
ミリウスは、全力の魔法を撃ち出した。
*
手の平に収縮する熱に、太陽を手に掴んだような錯覚を覚える。
熱く燃える左手は、しかしミリウスの身を灼くことはなく、ただ一点 ――――ミリウスが狙い澄ました標的を目掛け、一本の光の奔流を解き放つ。
ほとばしる大河のような奔流は、ヴィルの展開する障壁にぶつかって。
うねり、ほとばしり、のた打って。
破壊的なまでエネルギーを叩きつけると、ヴィルの障壁に亀裂が入った。
初めは一枚。外側から、縦横に走る亀裂が網の目となり、強固なはずの結界を破断させる。
それは二枚、三枚目へと、次々に彼の展開する障壁に浸食し――――破壊した。
最後の三枚目の障壁に亀裂が走ったとき――ミリウスは、その男の目を視界に捉えた。
樹氷の解呪を終え、全力でミリウスの魔法に拮抗しようとする男――――その笑んだ表情に。
「っ」
ミリウスは……目を閉じて。
正々堂々、正面から――――全力で最後の力を叩きつけた。
*
光の奔流が大地と丘の斜面を削り、戦場となったその場所に傷を残したあと――――。
静かに風の音が鳴る草原で、ミリウスは佇んでいた。
脅威だった男は、光の奔流に呑み込まれ、もうここに姿はない。
あるのはただ、風の音と、それにそよぐ葉擦れの音ばかりだ。
「………………」
長かった一日の脅威が去ったことを確認して、ミリウスは遠くで地面に座り込んでいるその人に視線を向ける。
するとその人は――――シホは、目いっぱいに涙を浮かべた瞳でこちらを見て――――足をもつれさせながら駆け寄ってきた。
「おっと」
おぼつかない足に転びそうになるところを、すんでのところで抱き留める。
すると彼女は、ミリウスの衣服をぎゅっと握り締め、涙に濡れる声を絞り出した。
「ミリウス……っ!」
「はい」
「生きてる……?」
「ええ」
未だ不安げにぼろぼろと涙をこぼす瞳を、ミリウスはそっと指で拭う。
「あなたのくれた護符のおかげで……助かりました」
胸元に揺れる魔石のことは、誰より彼女がよく知っているだろうに。
炎に完全に呑まれてしまった自分の姿に、本当に死んでしまったと思ったのかもしれない。
縋りつき離れようとしない彼女に、ミリウスは優しく語りかける。
「先生……。俺は初めて――――全力で魔法が撃てたんです」
「……?」
何のことかわからないシホは、不思議そうに涙の浮かぶ顔で首を傾げる。
「あなたに出会い、魔力の制御方法を教えてもらうまでは…………俺にとって魔法は、恐怖そのものだった」
屋敷を焼き、周囲に害をなし、自身の身さえ構わず灼く。
恐ろしく手に負えない、自身の内に潜む魔物――――。
「でもそれが……あなたに出会って変わった。制御方法を教わって、魔石をもらい、自分で操れるようになった。……誰かを守れる力になったんです」
それがどれほど嬉しかったか――。
腕の中で話に聞き入るあなたには、きっとわからないだろう。
「それでも、全力を出すことに恐怖がなかったかといえば……嘘になります。……俺は強くない。自分の炎で燃え尽きるのは……やはり辛い」
離れがたい者が増えた分、無闇に確証のない力を使うのは恐ろしかった。
「でも……あなたが信じてくれたから。あなたが、俺ならきっとできると信じてこの石を授けてくれたから。そう思えたから――だから力を出すことができたんです」
「…………」
「あなたのおかげで俺は、こんな自分で。いまの俺でよかったと、やっと自分を肯定できる――……」
すべては、あなたがいてくれたから。
「先生」
見上げる紅い瞳が愛おしい。
「あなたに会えて……本当によかった。今日まで生きてくれて――――俺のところまで来てくれて……ありがとう」
心からの感謝を。
それが少しでも……彼女にかかる重荷を減らせればいい。
もし、それができないなら。
一緒に、背負っていけばいいだけなのだから。
「っ………!!」
息を詰めたシホが、またしても鼻の頭を紅くする。
眉根を寄せて、目尻に次々と溢れる涙を溜めて。
そしてその雫が零れ落ちると同時に。
彼女は、子供のように声を上げて泣き出した。
まるで十数年分の長い悲哀を吐き出すように、長く、長く…………。
ずっと、ずっと泣いていた。




