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第168話 声


 長剣を針のように研ぎ澄まし相手の脇腹を狙うと、男は『っ』と、短く舌打ちしながら跳び退った。


 上体を上手く捻ることで回避されてしまった渾身の突きに、ミリウスもまた苦虫を噛み潰す。



「さすが才能のある奴が使うと違うな。――その『呪紋』、そこの出来損ない仕込みか」


 シホに学んだその呪紋――――剣撃強化と初歩の身体制御魔法を駆使して斬り込めば、ヴィルは忌々しげにふざけた態度を取りやめた。

 正面からミリウスのことを正視し、油断のならない敵を相手にするように静かに神経を集中する。


「彼女は――――俺より強い。その侮辱を撤回しろ」


「……ハッ、そんなものはどうせ今だけだ。お前とそいつでは地力が違う。 お前みたいな剣技も魔法も、すべてにおいて高水準を叩き出せる奴と違って、そいつはろくに強力な魔法も扱えねぇ」


「そんなことは――――」


「呪紋だろ? そうだ。だから教えた。 魔力の()()()()()こいつでも、いっぱしの戦士として戦えるように――――」



(魔力が――――ろくにない……??)



 そんなことはないはずだ。

 いつだって先生は、強力な魔術を行使していた。

 その多くは呪紋を介してだったが、黒竜戦のときも、そのほかでも、口述魔法で高度で高出力な呪文を使用していた。


「不思議だって顔してるな? そりゃそうだ――――そうなるようにオレが()()()()()からな」

「!?」

「コイツの内部の回路を書き換えて、残りの寿命と引き換えに強力な呪文も使えるように…………オレが、作り変えた」

「!!」


 そんなことが可能なのか。

 信じられない神の御業――禁忌の術に、男の言葉を疑うと同時に、人の記憶さえ操る神技を持つ男に背筋が冷える。


「シホ――――!!」


 身体の芯から冷えるような恐怖に、彼女を視界に求めれば。それを悪意を持って阻むように、彼女の命を弄んだ男が浮遊させた鉄芯を撃ち込んだ。


「っ――――!!」


 飛来するそれを叩き落としながら、背を向けられない厳しい相手にミリウスは対峙する。


「………………」

「お前を殺せばそこの馬鹿の目も覚めるだろうと思ったが…………やめだ。それを抜きにしてもお前を倒してみたくなった」


 暗く肉食獣が吠えるように、彼女の師だった男の目が暗く光る。


「弟子の弟子とやらのその実力――――お前の命で証明してみろ!!!」







           *


 



 暗い闇の中で耳を塞いでうずくまっていた。

 何も見ず、何も聞かず。

 それでもどこかから聞こえる声が、『お前には才能がない』と囁いている。


(あぁ、そうだ――――そうだったんだ)


 自分でも、薄々気づいていた。

 だから工夫で、呪紋で、なんとか乗り越えてきたけれど――――それももう、必要ない。


 生き延びたいと――――生きていたいと。

 そう思わなければ、才能の有無なんて関係ない。


 ただ、静かに。ここで眠ってしまえばいいだけなのだ。



 深く深く、自分の内側へと沈んでいくシホの思考に、水面から叩きつけるように剣戟の音が鳴り響いた。



『――――先生! シホっ!!』


 誰かが、自分のことを呼んでいる。


 もうこんな人間、なんの力もないのに。

 家族を、他人を、巻き込んでその命を奪ってしまうことくらいしか。こんな罪深い人間にできることは……何もないのに。


 だから早く、彼らのもとへ行きたい。

 共に、静かに眠りたい。


 きつく目を閉じるシホに、なおも地上の声は強く呼びかけ続ける。


「あなたは――――きっと自分を責めているのでしょう。自分の所為だと。自分がこの男を招き、兄を動かし、皇帝夫妻や周囲の者を死に追いやってしまったのだと」


 荒い息と共に、何かが自分の前に立ちはだかる。

 その足音と共に、優しい声音が落とされる。


「それは…………まやかしです。この男を招いたのはあなたの兄で、あなたの兄を動かしたのは彼自身、ほかの何者でもない。 安易に問題を排除することだけを選び、諌言も、共感も、何もすることなくただ盤上の駒を動かすように他人をこの世という盤面から突き落とした――――そんな男に。ただ振り回されたあなたに。責任も――咎めを受ける理由も――何もない」


 声の色が変わる。

 それはまるで、遠く愛しいあの日々のように。

 学院でさえずる、あの小鳥の唄を聴いた庭園のように。


「先生。あなたがいたから、俺は生きています。あなたが生きて――――ここに来てくれたから、俺は今日まで生き延びることができた」


 皆も同じです。と、その声は言う。


「ラスティンも、ファビアンも。エメリーも、マリーベルも。ほかの皆も――――」


 愛しい輪郭が、暗闇を光で照らすように浮かび上がる。


「ほかの皆も――――あなたがいたから今がある。あなたに支えられて――――明日に夢見た。皆、あなたが――――あなたを――――――必要としてるんです」



(………………!!!!)



 


 暗闇が薄らぎ始めた空間で、シホは子供のように立ち尽くす。



 自分は、生きていていいのだろうか。



 必要とされて、いいのだろうか。



 こんな、何もかもが偽りだらけの人生だったけど――――まだ――――誰かに『いてもいい』と言われて――――それに寄りかかって、いいのだろうか??











 目蓋を、開ける。



 視界に広がったのは、夕刻の日射しとそれを反射させる銀の刃。


 そして、


 ふがいない自分を背に庇い、一歩もその場所を退こうとしないミリウス――――彼の姿だった。



「っ…………」



 涙を拭う。洟を啜る。

 自分がいま、やるべきことは。

 泣いてうずくまることではなかったはずだ。



 絶対に、守ってみせる――――……。



 シホは魔法書にそっと指を滑らせた。



 





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