第165話 封じられた記憶 7 ー忘却ー
焚き火の側に放置されていた、夕食準備用のナイフを手に取った。
蹴飛ばしたまな板も、散らばる干し肉も気にもせず、握り締めたナイフを振り下ろす。
「っ……!!」
「だから、そんなんじゃ駄目だっつったろ?」
容易く手首を捻られて、転がされ、藪にぶつかって停止したシルヴィアは地面を掻いた。
あれから、5日が経とうとしていた。
皇宮に賊が入り、父母が血の海に沈んだ翌日。
長い眠りから目覚めた皇女シルヴィアは、憎い敵――ヴィルに、荷物のように運ばれていた。
『っと、暴れんなよ』
芋袋から引っ張り出され、抵抗するも再び眠らされ、そしてどこかわからないこの場所に連れて来られたのが二日前――。
それからこの男は、シルヴィアを連れ回してはどこかへ連れて行こうとしていた。
「俺を殺そうとすんなら、もっと技を身につけるこったな。いまの姫さんには、子犬だって殺せねえ」
隙を見て背後を狙っても、その体に焚き火の炎をつけてやろうとしても、どんな方法で殺そうとしても、その男は絶対に殺せなかった。
それどころか反対に地面に転がされて砂を噛み、皇宮ではついぞ目に入らなかった土汚れに、ぼろぼろと涙をこぼす……その繰り返しだった。
「あーあ、せっかくの飯がダメになっちまったじゃねぇか」
ヴィルはシルヴィアが地面に転がした干し肉を拾いながらその砂をはらう。
「っても、ほかに飯なんかねーしな。しょうがねーだろ」
ヴィルは、シルヴィアの前にしゃがみ込む。
「ほら、いい加減飯食えよ。意地張ってももたねぇだろうが」
「…………」
絶対に、こんな男から与えられるものなど食べるかと思った。
父母を殺した男から与えられる食事など、喉を通るはずがないと思った。
どれほど腹が鳴っても、喉が渇いても、この男から与えられるものを口にする前に、この男を殺してやる――と。父や母が見たように、地獄に送ってやると、そう思っていた。
「だぁーかーらぁ、わがまま言うんじゃねーって」
顎をつかまれ、無理矢理口を開かされ、その中に砂の味のする干し肉を押し込まれる。
吐きそうになるそれを出そうとすると、ヴィルは手の平で口を塞ぎ、決してそれを吐き出すことを許さなかった。
「ほら、食えよ。その肉はお前にとっちゃ汚ぇ肉でも、城下の奴らからしてみれば、喉から手が出るほど欲しい肉だ」
喉の奥でジャリと音のする肉を、涙を流しながら嚥下する。
まずかった。とても美味しいとは口が裂けても言えなかった。どれほど腹が減っても、乾いた砂の味のする肉は、ただの汚くまずい肉だった。
「これからも砂の味の飯を食いたくなきゃ、大人しく言うことを聞くんだな」
どんな願いも聞き入れられず。
優しく甘やかしてくれる使用人もどこにもおらず。
ただ、憎くて恐ろしい男とするこの旅が、両親を理不尽に奪われたシルヴィアにとっては……地獄のようだった。
だから――――――シルヴィアは、次第にやつれていった。
地面に横たわり、動かなくなり。
ヴィルが覗き込んだその瞬間――――シルヴィアは、服の袖に隠し持っていたガラス片を突き上げた。
「っ」
やっと憎い男のその顔に、一筋の傷がついたのを認めて――――最後の武器を、放り出す。
もう、どうでもいい。
父も、母も、兄も、使用人たちもいないこの世なら――――生きていたって、しかたがない。
自分の大好きな者たちは、もうこの世のどこにもいないのだから。
徐々に細い乾いた息を吐き始める幼い体に、ヴィルは困ったように息をつく。
「これで本当に大丈夫なのか? オレについてくりゃこいつは絶対に死なねーっつーのは、何かの間違いなんじゃねぇの?」
いまにも息絶えそうな子供を前に、ヴィルは頭を掻く。
「しゃーねぇ。やっこさんはこうすることも織り込み済みでオレに預けたってことか。ならそれはそれで、オレの好きなようにさせてもらうけどよ。…………後悔すんなよ」
どこの誰にとは口に出さず、ヴィルは長い独り言を呟き続ける。
「『姫さん』、しばしのお別れだ。そっちのほうがあんたにとっちゃ幸せかもしれねーが、ま、この数ヶ月間。それなりに楽しかったよ」
光る不思議な腕が、視界いっぱいに伸びてくる。
それが視界を、感覚を、記憶を、まるで覆い隠すように蓋をして、皇女シルヴィアは長い眠りにつく――――。
「今度目覚めたら……そうだな。憎い敵の殺し方、教えてやるよ。せめてそのくらいの権利は――――あんたにもあるはずだ」




