第161話 封じられた記憶 3 ー密談ー
商人の護衛だったヴィルが皇宮を訪れてから早2ヶ月――。
得体の知れぬ男の何がそんなに気に入ったのか、皇帝はよく彼を招くようになった。
初めは娘の遊び相手として。次は自分の他愛ない話し相手として。
しまいには妻への贈り物の相談までし始める始末で、いまではすっかり男は皇帝家の客人だった。
「きっとヴィルさんの物怖じしないところが、陛下は気に入ってらっしゃるのよ」
シルヴィアを膝に乗せながら母は語る。
「陛下は…………孤独なお方だから」
どうして孤独なのだろう?
家族も、部下も、使用人たちも。この宮殿にはたくさんの人たちがいるのに。
まだ幼いシルヴィアには、その言葉の意味が理解できなかった。
*
「閣下! また陛下があの下賤の者を私室にまで招き入れております……!」
「何!?」
皇宮の一画、政を行う政庁の一画で、二人の貴族が会話していた。
「陛下……! 我々の話には『後日申せ』と耳を傾けぬばかりで、どうしてあのような野良犬の……!」
「使用人の間では、陛下はあの者に貴族位を与えるのではという噂まで出る始末」
「馬鹿な!! あんな者と我々が同列だと? 陛下は一体何を考えていらっしゃる……!」
男は、廊下の壁を激しく打つ。
「だから市井かぶれはならんのだ! この歴史あるレムリア帝国が逆臣により一度滅びて――いや、帝室の方々が残らず弑されてから90年。始祖の女神レムリアの怒りを買い立ち行かなくなった国を、傍流の末裔を探し出し再び玉座に据えることで、何とか国を立て直してきたのが我ら忠臣たちだというのに!」
それを陛下は――!何もわかっておらん…! と男は拳を握る。
「先々帝はまだ立派だった。傍流といえど貴族としての心得のある両親に育てられ、皇帝を名乗るに足る威厳も誇りもあった。……それがどうだ? 先帝は市井育ち、かろうじて先々帝の教えがあり大きな瑕疵なく国を導いたものの、息子の元帝はあの始末!!」
「ひっ!」
「政に興味を示さず、忠臣の声に耳を傾けず。日がな皇妃やお子たちを集めては、庭で市民の真似事をして地べたに座り茶を並べる始末……!」
皇帝とは、地べたで茶を啜ることが仕事だったか!!
と、臣下である男は激昂した。
「閣下……お気を確かに……」
「儂は正気だ!!」
重臣らしき身形のいい男は、ふーっと細く長く息を吐く。
「これならば……まだいないほうがましだ」
「!!」
「市井からの怨嗟の声は収まるどころか激しくなる一方だ。やれ税は厳しい、パンが少ない、属国との国境沿いの警備の賦役も渋る始末。このままでは…………国が立ち行かん」
「ですが……っ!」
聞いていたもう一人の貴族は、身を震わせる。
「そ、そ、そ、それはつまり……陛下をし、し、弑するということで……?!」
畏れ多すぎる大逆に、もう一人の男は抗議する。
「それでは前回の二の舞ではありませんか! 始祖の女神の末裔を弑するなど、再び女神の怒りを買うのが必定! 我々にはどうしようも……」
「心配はいらん。女神を出し抜く策はある」
ぽかん、ともう一人の男は目を瞬かせる。
「新しい皇統に――――女神の血筋を加えればいい」
「……?」
女神の血筋――――始祖の女神レムリアの血を引くといわれるのは、現在では元帝の一家だけだ。
ほかの皇統は先の大逆により絶やし尽くされ、もはやどこにも残ってはいない……。
「皇女がいる」
「!」
「元帝と皇太子殿下には気の毒だが、不抜けた皇帝を廃したあとも、新しい皇統に皇女の血を加えれば女神の末裔は生き延びる」
「な…………」
しかし、それしか選択肢はないような気がした。
「なに、10年だ。10年もすれば皇女殿下も子が産める。それまでに女神の怒りが降りかからねば――――それでよい」
10年。
前回国が立ち行かなくなるまでは30年の期間があった。
ならば、本当にやってのけられるのだろうか?
この、大逆を。
密やかな大罪の計画を抱えた二人は、まるで何事もなかったように、それぞれの執務に戻っていった。
それを、どこかの誰かが聞いているとも、知らないまま。
「……お兄さま?」
階段下の、女神の彫像に隠れる物陰で。
一人の少女――――皇女シルヴィアが呟いた。
ちょうど兄と二人で、使用人を鬼にかくれんぼをしていたところだった。
兄の勧めで、普段は立ち入ることのない政庁に隠れたその日。偶然にも、重臣たちが父のことを話しているのを聞いた。
「あの人たち……なんて言っていたの?」
怒っているようだった。父や、先帝――祖父たちのことを、何度も口にしているようだった。
「大丈夫。お父さまに相手にしてもらえなくて、ちょっと機嫌が悪いだけだよ」
2つ年上の兄と違って、シルヴィアには彼らの話す難しい言葉がわからない。
けれど大好きな兄がそう言うなら、きっとそうなのだという気がした。
「じゃあ、だいじょうぶね」
にこりと笑って、シルヴィアは階段下から抜け出す。
兄である皇太子――エミリオが、その手を取った。
「行こうか、シルヴィ」
「うん」
この手さえ握っておけば、この世のすべての不安が消えてゆくような気がしていた。




