第154話 本質
あれほど皆が緊張し、震えながら挑んだ卒業試験も全科目が終了し、あとは数日後の結果発表を待つだけとなったある日――。
ミリウスは学内で口笛を吹きながら歩くある男を見つけた。
「お、なんだ。王子じゃねーか」
「…………どうも」
偶然鉢合わせたのは、あの男。ヴィル。
試験を終え、もうすぐ軍の練兵場に帰るという先生の師匠だった。
「お前、いつ見てもシケたツラばかりしてんなぁ。人生楽しいか?」
「……。それなりに」
どうしてか、この男とは会話を弾ませることができない。
相手も一応友好的な態度を取っているはずなのだが、心の奥のわだかまりが引っかかって、王子ともあろうに外面を取り繕うこともできずにいた。
「ふーん……」
ヴィルは、自身の顎を撫でつける。
「お前、オレのことが嫌いだろ」
「!!」
「んな驚くようなことかよ。隠すも何も、ダダ漏れじゃねぇか」
「………………」
ヴィルは、呆れたように溜め息をつく。
「ま、オレも人に好かれるような性質じゃねぇけどよ。原因は……言わずもがな『アイツ』だろ?」
「…………」
「ここで会ったのも何かの縁……か。――せっかくだ。ついてこいよ」
ツラを貸せ。そう言うように、ヴィルは庭園の広場を指し示した。
*
冬の間、その機能を停止させた噴水広場は閑散としていた。
人の姿もなく、冬の風に乾燥したベンチが晒されているだけで、寄り付く者の影もない。
そんな広場のベンチにどかりと腰かけて、ヴィルはこちらを仰いだ。
「何、お前は座んねーの?」
「俺はこのままで。結構です」
「ハハッ、そりゃそうか。いくら隣の椅子でも、目の敵の野郎とは並んでダベりたくねえな!」
豪快に笑って、ヴィルは『で?』と組んだ片膝に頬杖を突く。
「そんなに目障りか、オレは」
「何のことです」
「ずっとお前の目が言ってるぜ。動物と同じだ。例えそいつの親父だろうと、自分が許した奴以外の男が、自分の女に近づくな。……そういう目をしてるぜ、お前」
「………………」
ヴィルはニヤリと、こちらの内心を見透かしたように笑う。
「お前、心は狭ぇだろ。自分が信用した人間以外は、何があろうと受け入れねぇ。切り捨てる準備も、切り捨てられる計算も、全て織り込み済みの上で他人を見てやがる」
「…………」
「ま、お前の身分じゃ仕方のねぇことなのかもしれねぇ。けどよ、そういう姿勢は苦労するぜ? あいつ相手だと」
「……どういうことです?」
ミリウスは思わず聞き返す。
この男が言う『あいつ』とは、間違いなく先生のことだ。
自分の内面分析などとは違い、聞き捨てならなくて耳を傾ける。
「あいつは――シホは、他人を惹きつける女だ。無自覚に男を――いや、女も。男も女も構わず、見境なく出会った人間を無差別に自分に惹きつけちまう――……そういう本質を持った女なんだよ」
お前も思い当たる節があるだろう?と、ヴィルは言う。
(………………)
たしかに、先生には人が集っていた。
生徒たちが、教員が、そう多くはない数しか顔を合わせない職員が。
皆、彼女のことを好いていた。
剣術講師が、舞踏会の紳士たちが、学園祭の狼藉者が、彼女を買おうとしていた傭兵の大男が、連続殺人鬼が、皆、彼女を手に入れて自分のものにしたいと、その腕を伸ばしてきた。
「本人の意思とは無関係に、あいつは他人を引き寄せる――」
それは、リンデールという籠の中でだけ、その効力が抑えられていた資質だった。
「ま、あの見た目であの性格だ。無駄に懐こく、隙が多い……。特に男にとっちゃ、自分から手に入れてくださいと言ってるようなもんだろう」
「……っ!」
「あいつは――――男を誘う女だ。だからお前も――……」
「ちがう!!」
ミリウスは吐き捨てた。
この男の言いたいことを理解して。
つまりこの男は――――自分の、この想いもまた、無数に寄せられる数多の有象無象と同じく、取るに足らないものだと言いたいのだ。
「俺は――――」
「顔か? 身体か? あいつの何がそんなに気に入った?」
「っ……!!」
本当にこの男は、彼女の師なのかと。
冷たく突き放した物言いに気色ばむ。
「手籠めにすれば満足か? だったらさっさとそうすればいいだろう。そうでもしないとあいつは――――納得しない女だ。自分の価値を低く見積もり、他人の言葉を真に受けず――――愛だの恋だの、易く囁いた程度では落ちもしない。自分で、自分に、納得できない。そういう女だ」
まるで、そうなるように育てた。
とでも言いたげな口調の男に、目眩がする。
(彼女が、俺の言葉に、俺の想いに、まったく耳を傾けない――――それは真実だ)
けれど、だからといって。
まるで彼女の意思など初めからないように、物のように扱えと唆すこの男の言動に……目眩がした。
「彼女を……愚弄するな。彼女は人だ。彼女は、大切な――――」
「なら、その『大切な人間』にお前は何をやれる?」
「っ」
「大切な女に、愚弄するなとまで憤る相手に、お前は何を――――くれてやれる?」
脳裏に、シホの姿が蘇る。
他愛ない日常のひととき。振り返る横顔。溌剌とした笑顔。弓なりに笑んだ瞳がきらきらと輝いていて、その瞳を――――ずっと見ていたいと思った。
「――――何だって。なんだって、くれてやる」
時間だって、言葉だって。彼女が望めば、何だって自分の持ちうるすべてを与えてやる。
彼女だけを見て、彼女だけに愛を囁いて。ほかは何も、何もいらない。自分が持ちうるすべてを、彼女のためだけに使っていい。
もし、それが許される立場なら。
「命だって――――この命さえ、許されるなら――――彼女のためなら惜しくはない!!」
彼女が、生かしてくれた命だから。
でも、もしもそうでなかったとしても、惜しくはない。
彼女が、この世界のどこかで生きていてくれるのなら。
それが自分の命と引き換えに、叶うのならば。
その望みのために、この命くらい、考えるまでもないような気がした。
「………………ま、何とでも言えるわな。王子様なら」
まるでそうはできないだろう身の上を見透かしたように、ヴィルは――――彼女の師だった男は立ち上がる。
「ま、せいぜい頑張るこった。後生大事にして、ここで無理矢理にでも奪っておかなかったことを後悔しないようにな」
そう言って、男は立ち去っていった。




