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第149話 抱擁


 聖霊祭の夜に、ミリウスの想いを聞いてからというもの――――ミリウスの態度が少し変わった。



「それじゃせんせー! また明日ねー!」

「また明日」


 大きく手を振るエメリーに、シホは手を振り返す。

 その脇で、ミリウスもまた下校の準備をしていた。


「それでは先生。また後で」

「あ……えぇ、また後で…………」


 教室ではいつもと何も変わらない。

 日々のこれまでと変わらずに、いち生徒として在り続ける。



 しかし、自分たちを教師生徒の目で見る周囲の目がなくなった途端、


「っ……!」


 突然、手を握り込んできたミリウスにシホは肩を跳ねさせた。



 ――場所は、学寮の研究室。

 

 いつもと変わらない放課後の個人授業、その合間のことだった。


 突然、書き物をしていた手が触れた途端、ミリウスが何も言わずにその手を握り込んできた。


「な、なに…………?」

「手が、随分冷えていると思って」


 そう言ってミリウスは、自分の大きな手の平でシホの手を包み込むと、やんわりとペンをその手から奪った。


「ちょっと……! 授業中でしょう!?」

「問題ありません。このままでも口頭の説明で理解できます」

「そういう問題じゃ……」


 ことあるごとに、ミリウスはシホに触れてくるようになった。


 それは、決してシホが嫌がるような触れ方ではなかったが、ほんの些細な隙や、きっかけを与えてしまった途端、まるで蝶の羽に触れるように、そっとシホに触れてゆくのだ。


 手を握り、髪をすくい。

 シホが気づくのが遅れれば、そこにキスを落とす。


 そうして、あの青く熱を持つ瞳でシホのことを射貫くのだ。


「~~~~~~! こんなことばかりしてるなら、個人授業は無しにするから!!」


 椅子から立ち上がり、踵を返し部屋を出ようとする。


 すると背後から長い腕が伸びてきて、開きかけた扉を押し戻した。


「!?」

「それは――――駄目です。あなたといられる時間は今しかない…………」

 背後から落とされた声は、苦しみに歪んでいた。


「どうしたら…………俺を好きになってくれますか?」

「………………」

「俺は、ずっと。こんなにもあなたのことが好きなのに……!」


 この数週間で、それは痛いほどに伝わっていた。


 苦しそうに、切実に、シホを求めて手を伸ばし、それを無視するたびに深く傷ついたように顔を歪めて。

 そして、罪悪感に苛まれたシホが時折その手を取れば、この上ない喜びのように顔を綻ばせる。


 彼の感情も、人生の全ての幸福も、自分次第なのではと錯覚するほどに強く寄せられる――――彼のひたむきな好意。


 その溢れるような愛情を、憧憬を、静かに燃えるような執心を、一身に浴びながらシホは目を瞑る。



(応えられるはず……ないじゃない……!)



 彼と自分は、生徒と教師だ。

 そして、もしそうでなくなったとしても――――それ以上の大きな隔たりがある。


 彼は王族で、次期国王候補で。自分は平民。

 彼につり合う人間では――――決してない。



「だから、無理だって言ってるでしょう――――っ!?」

「っ、だったら! その理由を教えてください!!」


 強く拒絶した瞬間、ドアを押さえていた手が引き戻り、そのままシホの体を強く掻き抱いた。


「…………!!」

「すみません、怖がらせたくはないんです……。あなたのことは大事にしたい……。でも――――理由もなく拒絶だけは――――しないでほしい」


 悲痛な、震える声音が落とされる。


「駄目なところがあるなら直します。あなたのためなら、どんな無理難題でも――――努力します。だから――――……」


 ぎゅうと、体を抱く腕に力が篭もる。


「もし、その理由が。俺ではどうにもならないものだったなら――――あなただけは。あなただけは、その理由で俺を…………拒絶しないでほしい」


 シホだけは。

 そこに込められた意味に、シホは身動きができなくなる。


 ――誰よりも、何よりも、生まれながらにどうにもならないことに人生を振り回されてきたのは誰だったか。

 リンデール人らしくない容姿に生まれ、周囲から拒絶されてきたのは誰だったか。

 その慟哭を――――やるせなさを。痛みを――――誰よりも知っているのは誰だったか。


「………………」

「あなたがもし、身分のことを気に病んでくれているのなら、誰にも文句は言わせません。だから…………」



 ――俺を、受け入れてほしい。


 そう言外に語る彼を、シホは今日も突き放せない。



 彼を罵る言葉を、なじる言葉を。

 欠点をあげつらう言葉を、投げつけられればよかったのに。


 どこにも見当たらないそれを創り上げて、彼が傷つくことをわかっているのにぶつけることが、シホにはできなかった。


(そのほうが、きっと彼のためなのに――――……)



 変わらずその温もりを、縋るような優しさを、振り払えず享受してしまう自分は、きっと最低な人間なのだろう。



「………………」



 そうして、意味もなく。

 すれ違いながら二人は時間を共有する。



 行き着く先など、考えぬまま。






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