第147話 大樹の下で 1
シホがミリウスの後に続きダンスホールを抜け出すと、突然、入り口脇から上擦った声がかけられた。
「あの……! ランドール先生……!!」
振り返ると、そこにいたのは生徒ではない。
かといって知らない顔でもなく――――その場にいたのは、シホがよく世話になっている学食にいた料理人だった。
20そこそこの、シホとそう変わらない年齢の青年が、なぜか真っ赤な顔をしてそこに立っていた。
「あの、よ、よかったら、今晩オレと――……」
青年は拳を握り締め、何かを言おうとしている。
が、シホが回廊の先に目を走らせると、視界の端では、ミリウスの後ろ姿が回廊の角へと消えていこうとするところだった。
「ごめん、いまちょっと急いでるから――――」
短く詫びて、彼に背を向けると走り出す。
大事な用だったのかもしれない。
けれどいまは、あの思い詰めた表情をしたミリウスを追いかけることのほうが大切だと思った。
*
夜の校舎に白い息が舞い上がる。
シホが暗い階段を上ると、その度に吐く息が白く煙りふわりと広がった。
夜の校舎は暗い。
聖霊祭ゆえに、会場周辺の中庭には煌々と灯りが焚かれているものの、そうではない棟は、点々と、要所要所に魔光石の淡い灯りが広がるだけだった。
(どうしてこんな場所に…………何があるの?)
とても用があるとは思えないような暗い校舎の階段を上っていくミリウスを、静かにシホはつけていく。
夜の校舎に響く足音だけを頼りに、校舎の4階までたどり着き、ある部屋を抜けると――――そこは物見台だった。
教室の半分はあろうかという広いバルコニー。
その縁の手すりに手をかけて、シホの生徒ミリウスは――――静かに、学院を眺めていた。
「…………来たんですか、先生」
ミリウスは気づいていたのだろうか?
ゆっくりと振り返って、驚くでもなく静かに――そして少しだけ嬉しそうに――笑みを浮かべた。
「どうしたの、こんな場所で……。会場にいるのは嫌だった……?」
「いいえ…………」
ミリウスは、穏やかに首を振る。
「ただ…………静かな場所に行きたかったんです」
「…………??」
「ねぇ先生、ここからは学院の様子がよく見えるんです」
ミリウスに倣い眼下を見下ろすと、確かに学院の様子がよく見えた。
賑やかな音楽と灯りが漏れ出すホールに、周辺の中庭に。
いつもならすでに寮棟への帰宅が命じられるはずの時刻に、学院中に生徒が溢れていた。
「あ…………」
目を凝らせば、あの大木の下にも、何組か順番を待つように男女の生徒が集っていた。
「……先生、知っていますか? あの大木にはあるジンクスがあるんです」
そうしてミリウスは、いつしかエメリーに聞いた、大樹のまじないの話をする。
「聖霊祭の日に大樹の下で告白した男女は、その後末永く結ばれる――――……」
「えぇ」
ミリウスが、そんなことに興味があったとは驚きだけど。
おそらく、学院の生徒ならきっと誰もが知っている話なのだろう。
「先生も………………さっき告白されかけていたんですよ」
「……? ……………え!!?」
「あなたは気づいていないでしょうが、先ほど、ホールの入り口を出たところで、声をかけられていたでしょう?」
「あれは――――」
何も話を聞かずにその場を離れてしまった。
けれどまさかそんなことは――――と否定しようとしたのだが、ミリウスは微笑って首を振っただけだった。
「そうなんですよ。……俺にはわかる。だって彼は――――ずっと先生のことを見ていましたから」
「!?」
「学食に行くたびに、あなたに料理を差し出して。そしてそれに『美味しそう』と顔を綻ばせるあなたを、嬉しそうに眺めていた――――」
ミリウスは、まるでそれをいつも見ていたように静かに語る。
「それがとても――――――悔しく、羨ましかった」
「………………」
「あなたをいつでも笑顔にできる力を――――あの男は持っていたから」
ミリウスは、まるで自分にはないものを渇望するように、遠くを見る。
そしてゆっくりと目蓋を閉じると、真っ直ぐな瞳で静かにこちらへと向き直った。
「だから俺は――――あなたが、あの男ではなく俺を追いかけてくれて…………嬉しかった」
花開くように笑みをこぼす。
「あなたにとっては、ただ自分のクラスの気になる生徒を追いかけただけなのかもしれない。けれど、それでも……選んで、追いかけてくれて――――嬉しかった」
そこには、あの思い詰めた表情はどこにもない。
ただ、真剣に何かを伝えようとする強い意志だけがあった。
「先生――――あなたが好きです」
白い吐息が、夜に舞う。
「教師としてではなく、一人の女性として――――あなたが好きだ」




