第146話 聖霊祭
「わぁっ、外は冷える~」
ふわりと白く煙る息を包み込みながら、隣を歩くエメリーがそう言った。
「先生、もうすぐ雪が降るのかな?」
「どうだろうね?」
空を見上げるエメリーに、シホはゆっくりと肩を竦めてみせる。
二人並んで歩く校庭は、すっかり冬の装いへと姿を変えていた。
秋に色づいていた木々は葉を落とし、これから来る厳しい冬の寒さに備えているようだ。
そんな庭園の様子を眺めながら目的地に移動していたとき――――シホの目に、ふとあるものが留まった。
「エメリー、あれは?」
「? あぁ! 『聖霊祭のおまじない』!」
シホが指差した先では、そこだけ緑の大木が生い茂っていた。
そしてその下で二人の男女が――この寒空の下向かい合って、何やら話し込んでいる。
「あれを見ると、本当に聖霊祭の時期が来たんだって実感するな~」
「聖霊祭?」
「そっか、先生は知らないよね。ウィルテシアではこの時期に、大樹の聖霊に祈るお祭りがあるの」
「お祭り……」
エメリーは語る。
「ウィルテシアでは、国章にもなるくらい、大樹は大切な存在なの。その中でも伝説の大樹には、知恵と豊穣を司る聖霊様が宿っていて、皆、この時期になると、家族の無事とか、いろいろなことを聖霊にお願いするの」
「それで……」
この寒いなか、わざわざ外に出て大樹の下に集っている男女にようやく納得がいくと、エメリーは『でも』と意味深な笑みを浮かべた。
「でも、それはあくまで一般的な祭日について。あの二人は……きっと別の『おまじない』」
「?」
「この学院には、聖霊祭のときだけの『特別なおまじない』があるの」
そう言って、エメリーはそっと耳打ちをする。
「それは――――恋のおまじない、なんだよ」
すっと離れたエメリーは、伸びやかに両手を広げてみせた。
「この時期に、大樹の下で告白した男女は、聖霊の加護で、永遠に幸せになれる――――そんなジンクスがあるの!」
だからこの時期になると、こうして人目を忍んでは、大樹の下で告白する生徒たちが現れるのだと。
「そうでなくても……もうすぐ卒業だから。きっとみんな、焦るんじゃないかな。誰だって、好きな人とはずっと一緒にいたいから――――」
そう呟くエメリーの声は、白く煙る吐息の中に、吸い込まれるように消えていった。
*
「先生、準備はいい!? 今日は女子にとって重要な大仕事の日だよ!」
聖霊祭当日。
学院のひときわ大きなホールの前で、エメリーは拳を握りしめて意気込んだ。
「今晩のダンスパーティーは、教員生徒全員参加の懇親会。特に女子は人数が少ないから、それなりの人数の相手を覚悟してね!」
なるほど……。
貴族子弟の学院らしく、社交界の予行演習――ダンスパーティーのあるこの学院では、聖霊祭の夜に、全校生徒がダンスを義務付けられていた。
すでにホールの内部には大勢の生徒たちが集い、各々談笑したり、最初のパートナーを探すべくそわそわと視線を彷徨わせている。
「先生は最初に誰と踊るの?」
「さぁ? 特に決めてないけど……」
なんとなく、クラスの生徒の誰かだろうなぁという気はしていた。
すると、人混みを掻き分けて騒々しい足音が近づいてきた。
「先生! 先生は俺と踊ってくれるよな!? な!?」
振り返ると、ラスティンが必死な形相で詰め寄っていた。
「……まだほかの子と踊れないの?」
「うっ……」
前の舞踏会では、ちゃんとほかの令嬢とも踊れていただろうに。
しばらく時間が経つと、また振り出しに戻ってしまったのだろうか。
「お、踊れるけど。やっぱ最初は緊張するし――――」
「じゃあ最初だけね。あとは自分で最低3人とは踊りなさい」
「え゛……」
最初に教師を頼ったことが運の尽きだ。
余計な課題を負わされて涙目になるラスティンの腕を取る。
会場に流れ始めた音楽に合わせホールに踊り出すと、会場のあちこちでも同じようにダンスを踊り始める男女の輪ができた。
不安げなわりには、しっかり上達しているラスティンに歩調を合わせ、続けて意外にもダンスの上手いファビアンや、ほかの生徒たちとも踊ってゆく。
ダンスを一曲終えシホの手を離れた生徒たちは、新たにエメリーやマリーベル、ほかの女子生徒をパートナーに迎え、和やかに年末のイベントを楽しんでいるようだった。
(さて、そろそろうちの子たちとはほぼ全員踊ったはずだけど……)
さすがにそろそろ疲れてきた。
一度会場の端に退いてもいいかな……と思っていたのだが、まだ一名、踊っていない男子生徒がいた。
(監督生の用事で遅れるとは言っていたけど――――)
横目で会場の入り口を窺うと、ちょうどその生徒――ミリウスがホールへと入ってきたところだった。
彼は自分のクラスの生徒が固まっている場所を見つけると、静かに人並みを抜けて歩いてくる。
その姿に周囲の視線が集まっていることに、本人は気づいているのだろうか?
「遅いぞ! ミリウス!!」
すでにダンスを終えたらしいラスティンが、彼の肩に腕を回す。
「ノルマは一人1曲だからな! さっさと済ませてこいよ!」
「バーカ、こいつが1曲で解放されるわけねーだろ。ほら、さっさと飯に行くぞ」
同じくダンスを終えたらしいファビアンが、ラスティンの腕を取り、待ってられないとばかりに奥の立食会場へと向かっていく。
一人残されたミリウスは、彼らから再び会場へと視線を戻し――――そして、ちょうど曲の終わりを迎えようとしていたシホと目が合った。
ゆるやかにダンスは終了し、次の曲の開始に向けて、ダンスを終えた者たちが新たなパートナーを目で探す――――……。
シホはなんとなく、彼のほうへと一歩足を踏み出した。
が、
(え――――?)
ばちりと合っていたはずの視線は逸らされ、ミリウスはシホの脇を抜けると、その隣にいたマリーベルの手を取った。
「………………」
新たな曲の開始とともにダンスを始める二人。
呆けていたシホも、他クラスの男子生徒に誘われ、彼とダンスを開始する。
(それは…………そうだよね)
本来は、この形が正しいのだ。
今晩の主役は生徒たちで、これはあくまで生徒たちのための催し物。教師として参加する自分は、ただの添え物に過ぎない。
なのにどうして――――彼が一番に自分のもとに来てくれるなどと錯覚をしていたのだろう。
マリーベルと踊るミリウスは、周囲が囁くように非常に絵になっていた。
美男美女で、煌々と焚かれる灯りの中でも、ひときわ輝いて見えた。
そしてミリウスは、マリーベルと踊り終えると、今度は隣にいたエメリーと踊り始めた。
そうしてクラスの女子生徒全員と踊り終えると、今晩の義務は果たした――――とばかりに、静かにダンスの輪から身を退いてしまった。
そして、そのまま会場の出口を目指して歩いていく。
「――――――――」
その横顔に、何か思い詰めたようなものを感じ取って――――――シホは次の誘いの手を断ると、無言で立ち去る彼を追いかけた。




