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第134話 乾いた血


 烏がバサリと飛び立つ。

 旧市街の薄暗い路地に踏み入ると、その通路の奥には小さな血溜まりがあった。


「ここもか……」


 シホ・ランドールは一人呟く。

 これで3件目だ。

 ここ数日、あの男を追って旧市街中を探しているが、『ここか』と思われる場所に踏み入る度、そこには同じような血溜まりがあった。


 惨劇の現場ではない。

 これはあの男の血だ。


 自身の左手に宿る炎の明滅を確認して、シホはその火をフッと消した。


 あの夜、シホが男のナイフを握る手を灼いた炎はこれだった。

 一見攻撃魔法のように見えるが、その本質は追跡。

 灼いた相手の骨まで染み込み、対象者の位置を術者に伝える魔法だった。


(通常なら、あの時点で取り逃がしてもすぐに追跡できるはずだった……)


 市民の住む家屋への放火という、捕縛以上に優先すべき対処事項ができたせいで、犯人を取り逃がしてしまったが、それでも挽回はすぐに可能なはずだった。

 上手く逃げられたと思わせたところで、翌日、その寝床を押さえればいいだけの話だったのだ。

 それが…………。


(アイツ、恐ろしく勘がいいわね)


 シホが近づいているのを、どのような手段かはわからないが、嗅ぎ取ったのだろう。

 すんでの所で掻い潜り、その度にこうして血溜まりを囮にして逃げおおせてきた。


 対象者へ『最短距離』で導く仕組みが、『最も近い場所』へ撒かれた囮に誘導させられることで、こうして3度も空振りをさせられていた。


(しかもこの血、乾いている……)


 犯人がこの場を離れてから随分時間が経った証拠だ。

 この魔術は精度が高く解呪も難しい代わりに、捜索範囲がそれほど広くないのが難点だった。

 旧市街の3分の1ほどをカバーできれば、あとは自分が動くことで対応できると踏んでいたのだが、犯人のほうが上手だった。


(あの男……)


 勘も鋭い、頭も回る。何より決断までの速度が早い。

 野盗の集団を追いかけていたときのような、もたもたした鈍さがまったくなく、単独行動ゆえの身軽さがそこには現れていた。


「まるで獣を追いかけている気分ね」


 それは森に潜む狼を狩っていたときの、生死を賭けた知恵比べを思い起こさせた。









「――――先生っ!!」


 シホが細い路地の奥から出、見晴らしのいい広い通りに出た瞬間、遠方から自分のことを呼ぶ声が聞こえた。


 ――先生。

 つい数日前にそう呼ばれていたばかりだというのに、随分懐かしく感じる呼び名に、顔を上げて足を止める。


 通りの向こうから駆けてきたのは3人だった。


 ラスティン、ミリウス、ファビアン。

 つい先日、ここは危険だと追い返したばかりの3人組だ。

 まだ夕刻前だとはいえ、褒められたものではない行動に、眉を顰める。


「どうしたの。学院の外出禁止令はまだ解けてないと思うんだけど」


 彼らは優しすぎる。

 年齢もそう変わらない女の担任教師が荒事に駆り出されている状況に、じっとしていられないのかもしれないが、安易な騎士道精神や仲間意識で、学院を抜け出してくるのは褒められたものではなかった。


「それが先生……! そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!!」


 ラスティンが大きく両腕をわななかせる。


「エメリーとマリーベルが消えたんだ!!」

「!?」

「昨日からどこにもいないんだよ!!!」


 シホが焦るラスティンからその背後に視線を投げれば、進み出たミリウスが詳しい状況を説明する。


「最後に確認できたのは昨日の午後の授業までだったようです。その後エメリーとマリーベルは翌日の授業に出席しなかったことから学院内で捜索が行われ、謹慎中だった俺たちのところにも何か事情は知らないかと教授たちから質問がありました」


「その後、前日に生徒からお前宛ての手紙を預かってたって衛兵が見つかったわけだ。あのバカ真面目二人が、こんなときに気まぐれで授業をサボるわけがねぇ。手紙の内容から、行くとしたらお前のところだろ――って、ことでここに来たんだ」


 ファビアンもまた落ち着いてはいるが、しきりに周囲の様子を観察しながらシホを見つめる。


「…………ごめんなさい。ここには来てないわ、あの二人は」

「だろうな。あいつらが来て、お前がそのままエメリーたちを街に留めるとは思わねぇ」


 何を差し置いても、まずは学院に帰すはずだとファビアンは言った。


(もちろん、もしエメリーたちが来ていたならそうした。でもそうじゃない。ならあの二人はいまどこに――――)







 その時、太いダミ声がその場に割り入った。






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