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第133話 罠


『 シホ・ランドール

  女子修道院には近づくな。

        それは罠だ。 』




 短く、それだけが記された安い紙切れ。

 荒々しい走り書きの文字が並ぶ手紙を前に、エメリー・バークリーは固まっていた。



(罠……? 罠ってどういうこと……??)



 事態の緊急性を告げるように無造作に書き殴られた筆跡が、エメリーの心を掻き乱す。


(先生は……誰かに罠にかけられようとしているの……??)


 なんで。どうして?


 疑問が浮かぶと同時に、嫌な想像が脳裏を駆け巡る。


 女子修道院に何も知らず潜入する先生。

 そこに伸びる魔の手。

 暗い闇の底に落ちてゆく先生と、二度と戻らない日々。

 静まりかえる教室。


 背筋の温度が、みるみるうちに冷えていく。



「……っ!! 先生に…………伝えないと!!!」


 手の中から木箱に入った荷が落ちる。

 その反響する落下音に驚いたように、廊下の端から誰かが駆け寄ってきた。



「エメリー!! どうされましたの……!?」


 息を切らせて遅い足取りで駆けてきたのはマリーベルだ。

 マリーはその綺麗な顔を青くして、何事かと自分の手を取った。


「大丈夫ですの? 怪我は……?」

「そうじゃない、そうじゃないのマリー! 先生が……っ!!」


 ひと気のない廊下の端で、エメリーは必死に事の経緯を訴えた。



「それは……もしかしたら先生とご一緒されていた警邏隊の方からの警告なのかもしれません」


「だよね!? だったら先生に伝えないと――!」

「待ってください!」


 駆け出しかけたエメリーをマリーベルが呼び止める。


「エメリー、あなたが行くんですの? 先生方にご相談しては――」

「だってそれじゃいつになるかわからないじゃない……!」


 たとえば、教員の誰かに相談したとして。実際に街で対応してくれるのは市を守る衛兵だ。

 教員から学長、学長から衛兵隊、衛兵隊から現場の兵士。情報が伝達されるのを待っていては、いつ先生のもとに届くかわからない。


「もし間に合わなかったら……!!」


 最悪の事態を想像してエメリーは震える。


「マリーは先生に相談して。わたしが学院を抜け出したあとに。……じゃないと、きっとすぐに捕まっちゃう」


 クラスメイトのミリウスたちが学院を抜け出したのが昨日だ。間違いなく教員に相談したその瞬間から、自分たちにも監視の目がつくだろう。

 もしかしたら最悪ミリウスたちのように謹慎を言い渡されるかもしれない。


(本当だったら……皆を頼りたいけど……)


 自分たちより遥かに頼りになる男子たち。

 彼らは皆、昨日の無断外泊で、謹慎を言い渡されていた。


(ミリウスに――このことを伝えたら……きっと飛び出していくんだろうな……)


 何をしても。どんな手段を使っても。

 けれどそれで退学になる可能性もないとは言い切れないのだ。


 そうでなくとも彼は一国の王子。

 わかっている危険に巻き込むわけにはいかない。



「大丈夫。伝言役だけなら、わたしでも――」


「わたくしも! 行きますわ……!!」

「マリー!?」

「一人よりも二人のほうが、何かあっても助け合えるはずです……!」


 マリーベルはそれだけは絶対に譲らないと、固い意志を貫いた。


「先生方には、ほかの方に連絡を頼みましょう」


 言うなり、マリーはすぐさま行動に移す。



 そして二人は、担任を救うべく学院を抜け出した。







         *




 アーミントンの新市街を、二人の少女が全力で駆けていた。


「はぁっ、はぁっ……! エメリー……!!」

「マリー、大丈夫!?」

「ごめんなさい、わたくし、もう、これ以上は……っ」


 息を荒げて、肩どころかくの字に折った背を上下させて呼吸するマリーは、その場にがくりと崩折れた。


 大通りで辻馬車を降りてから、ここまでずっと全力で走ってきたのだ。

 深窓の令嬢として育ったマリーには、人生初めての激走だっただろう。

 走り込みの授業でも、一人おっとり周回遅れで、皆が6周するコースを1周でも完走できればいいほうだった。


「無理しないで、ここからは私一人で先に行くから!」

「でも…………」


 そうだ。何も必ずしも二人で行く必要はないのだ。

 万一の事態のために二人で来たが、今回の目的は先生を引き留めることだ。

 先生のいまいる場所がわからない以上、先生より先に女子修道院を訪れて、そこに入ろうとする先生を止めるだけでいい。

 それだけなら、十分自分一人でもできる。


「ごめんね! マリー! 気をつけて!!」


 そう言い残すと、何度も自分の名を呼ぶマリーを背後に残して、エメリーはただひたすらにひた走った。


 春先から先生と一緒に走り込みをしたせいで、ずいぶん体は軽い。


(先生の言うこと、本当だったんだ……!)


 何事も体力が肝心。そう言って、先生は子爵家の令嬢であるはずの自分にも、しっかり厳しく指導をしてくれた。

 先生は決して無理はさせないけれど、ちゃんと生徒のできることを見極めて、自分に期待をしてくれた。


(先生…………っ!!)


 息苦しさからか、懐かしさからか、目尻に浮かぶ涙を拭って路地を走った。


 そうして何本か路地を曲がって、新市街のなかでもひっそりとした地区の入り口に立つ。

 そこは新市街と旧市街の境にある、都市内において世俗を離れ神に祈りを捧げる信徒たちが集う女子修道院の前だった。



(先生は……まだいない)


 ホッと、安堵の息を吐く。


 修道院の正門からは、内部で平穏に洗濯物を運ぶ修道女たちの姿が見えた。

 罠というのがどういう意味かはわからないが、見る限りその内部は日常と変わらないように見えた。


「よかった…………」


 エメリーがほっと胸を撫で下ろした瞬間、背後の壁の隙間から両腕が伸びてきてぐっと身体を引きずり込まれる。


「っ……!! むぅ……ッ!!」


 口を押さえ込まれ、声を出すこともできない。

 無我夢中で暴れると、やがて背後から焦ったような男の声が聞こえた。


「まっ、待てって! 暴れるなって……! その格好、魔法学院の生徒さんなんだろうっ……!?」

「…………?」


 散々背後を蹴り散らかしたあと、その敵意のなさそうな声に、エメリーはようやく暴れるのをやめた。


「ほら、口を離すから、間違っても悲鳴なんてあげないでくれよ……」

「っぷはっ。はぁーっ、ふーっ、はーっ、……ッきゃ――」

「待った待った待った……! 約束だろうっ!!?」


 そのなんとも情けない声に、エメリーは身の危険よりも疑問を感じて、とりあえず悲鳴を上げるのを先送りにした。


「あなたは?」

「それよりも先に確認させてくれ。きみはもしかして、あの手紙を見てここに来た生徒さんなのか?」

「!! じゃああなたがあの手紙の」

「シホ・ランドールは。きみたちの先生はどうしたんだ」

「それが先生は! いま学院にいなくて……! それでどうしても先生にこのことを伝えないとと思って……!!」


 そうか……と、男はエメリーを解放すると、その肩についた埃を払う。


「それでここまで……すまなかったな。俺がもっと早く、先生とちゃんと話をできていたらよかったんだが……」

「ううん」

 その眉毛を綺麗な八の字にして詫びるその人は、悪い人ではないような気がした。

 きっと先生のことを思って、できる限りの忠告をして、そしていまもここでこうして先生を待ってくれているのだ。


「それで先生は……? ここから潜入する作戦だったの?」


 壁と壁の隙間といっていい細い小道から窺う限りでは、修道院は平和そのものだ。

 先生はまだ来ていないのだろうが、もし入り口が複数あるのなら、手分けして見張ったほうがいいように思えた。


「そうだな、先生は…………」


 男が答える。……が、その声がやけに遠い。

 まるで水の膜を通して聞いているようだった。


「あれ…………?」


 朧気に揺れる視界のなかで、男がその手に嵌めた手袋を無造作に外して摘まみ上げる。


「ありゃりゃ。まったくあの親父……遅効性の薬にしろって言ったのに」


 目蓋が、とろりと落ちる。

 脚に力が入らない。立って、いられない。


「あれ……? わた……し…………」



 とさり、と。崩折れた体を受け止めて男は、




「だから言ったろ。これは『罠』だって」



 細い少女の体をゆっくりと地面に下ろすと、荷から出した帆布で巻いて担ぎ上げる。

 そして遅効性の眠り薬の染み込んだ手袋を無造作にポケットに捩じ込んだ。



「さァ、先生? 早く俺の下で鳴いてくれよ」



 くつくつと嗤いながら、男は鼻唄を歌いながら闇に消えた。






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