第127話 朝焼けの決意
――『あああぁんっ!』。
部屋にどこからともなく響いた女の嬌声は、最初は大きく、すぐに小さくなりながらも、断続的に続いていた。
その『壁の向こう』から聞こえてくる断続的な嬌声をベッドの上に押し倒されたまま聞きながら、シホ・ランドールは目の前で、今まさに自分に覆い被さっているミリウスの目が点になっていることに気がついた。
先ほどまで自分を容赦なく拘束していた手も固まって、心なしか――というか、完全にシホの手首から浮いていた。
よく見れば、みるみるうちにミリウスの顔は真っ赤になって、バッと慌ててその手を引き戻す。
外部からの嬌声で、やっといまになって自分のしようとしていたことを自覚したのか、彼は真っ赤に茹で上がってベッドの上で固まった。
(これは……助かったけど……)
さすがに教育上よろしくないよね?
未だに微かだが断続的に続く嬌声に、シホは体を起こし両腕を伸ばすと、顔を真っ赤にして固まっているミリウスの両耳を塞いだ。
「!!?」
「ごめんね。さすがにこれは聞かせられないから。……って、これも聞こえてないか。でもま、もうしばらく我慢しててねー」
「?!?!?!」
目を白黒させるミリウスの顔を引き寄せて、彼の視界を奪う。こうすれば何も見えないし、何も考えなくて済むだろうと思ったのだが……なぜかミリウスは肩を震わせて何かに耐えている。
「……?」
すると突然、コンコンと部屋の扉をノックする音が響いた。
そして、
「おーい、いるかー。俺だ、ファビアンだ。ちなみにラスティンもいるぞ」
「あ、ファビアン!」
どうぞ入って、と勧めれば、ファビアンは遠慮なく部屋の扉を開けて入ってくる。
「なんだそりゃ。新手のプレイか?」
「?」
「さすがにそいつが可哀相だから離してやれよ」
部屋にずかずかと入り込んだファビアンが、ミリウスの肩に手をかけると、容赦なくべりっとシホから引き剥がした。
途端にぜえはぁと息を荒げるミリウスの様子を見ていると、どうやら彼は呼吸まで止めていたらしい。
「自慢の乳を見せつけたいなら、せめてここ以外の場所でやってやれ」
まだ擦れていない青少年にはあまりに酷な環境だと、ファビアンは適当に紙を丸めた耳栓をミリウスに放ってやる。
それを握ってキッとファビアンを睨み上げるミリウスの後ろで、遅れてお揃いの耳栓を耳に嵌めたラスティンが部屋に入ってきた。
「よー先生、無事かー?」
自分は何も聞こえていないだろうに、ひらひらと元気よく手を振っている。
その背後に一人の少女の姿がちらりと見えたのを確認して、シホは目を丸くした。
「ファビアン、これでいい?」
「あぁ、助かった」
「いいよ、お代さえちゃんと貰えれば、こっちは別に全然構わないし」
ひらひらと手を振って少女は別の部屋へと戻っていく。
「ああ……あれな。ま、昔馴染みみたいなもんだ」
ガキの時分からの知り合いだから口が硬いしそれなりに信頼できると付け加えて、ファビアンは自分たちのことを説明する。
昔馴染みの彼女を買うという名目で上階に上がってきたファビアンは、この部屋を見つけ出し、こうしていま合流してきたというわけだ。
「じゃあお金を払って上がってきたの? ごめんなさい……下にいてくれればよかったのに」
「んな悠長に待ってられっかよ。この暴走王子のことだ。銀貨20枚も払って帰り際だって見定められねぇだろうし、なんならお前だって………………」
ファビアンは沈黙する。
その視線はシーツが皺くちゃになったベッドを見つめていた。
「…………まさかな」
ファビアンは冷たい目で友人王子を見下ろすと、その先ほどまでの無呼吸状態で涙の浮いた瞳に「ハッ、考え過ぎか」と鼻で笑った。
「とりあえず、お前は今後気をつけるよーに」
べしり、とファビアンは持っていた謎の紙束でシホの頭を叩く。
「危険な男ってのは、案外どこにでもいるんだぜ」
いつしかのファビアンとの夜の教訓が思い出されて、シホはムゥと反論できずに唸った。
「じゃ、とりあえず、まずは情報交換だ。今の状況を詳しく教えろ」
*
下町側と学院側。双方の持ち寄った情報を交換し、シホの目の前でファビアンは唸る。
「やっぱりその事件の影響か……」
「そう。だから危険だし、あなたたちも学院に帰って」
もう時間が時間だけに、今更学院に戻すのも心配だが、この狭い部屋で4人朝まで過ごすというのも無理があった。
「俺たちが帰ったら先生はどうするんですか!?」
「ミリウス……」
「またここで働き続けるんですか!?」
そんなことはやめてくれ。そうミリウスの表情には書いていた。
(まぁ……それを教えるためにミリウスもあんなことをしたんだろうし……)
それほどまでに彼に不安を覚えさせるというのも申し訳ない。
「わかった。まぁこんなことをするのも私らしくなかったし、もう顔も売れた頃合いだろうし……次はもっと、私らしい方法で戦うわ」
これは歴とした仕事で、この街の治安を取り戻すための戦いだ。いくら泣きつかれようと、引き返すという選択肢はない。
「先生らしい方法?」
ラスティンがオウム返しに呟き、そしてピンと来る。
「そうよ、私らしい方法――――」
警邏でも、護衛でも、娼婦の真似事でもない。
「――――ここからは『狩り』の時間よ」
*
その日、シホはとても大きなベッドでぐっすりと眠った。
ファビアンが気を利かせて手配した、ミリウスが支払った金貨1枚分で用意した上等な個室のベッドで、日中の疲れを浄化させるように深く眠った。
眠りに就く前、少しばかり一悶着あったのはここだけの話だ。
『――暴走王子。お前はそこのカウチな』
『なっ……!?』
『お前は、前の部屋に一人残されないだけ感謝しろ。お前にコイツと同じベッドで寝る資格はねぇ』
部屋を移り、誰がどこで寝るかという話になったとき、娼館の主と化したファビアンの裁定でミリウスは部屋の隅のカウチに押しやられることになった。
『いや、それなら私がそこで寝ても……』
夜間に生徒たちを街に放り出すことを危ぶんだ結果、結局ここで朝まで時を過ごすことになったのだ。
『俺には王子と同じ寝床で寝る趣味はねぇ』
ファビアンはきっぱり切り捨てると、お前だってそのほうがいいだろ?と、シホに意見を尋ねてくる。
部屋にはギリギリ3人で眠れそうなベッドとカウチが一つずつ。
誰かと一緒にならなければならないのなら…………。
ちらり、と目の前のミリウスを見て。
『そうね、ミリウスにはそこで寝てもらいましょう』
『……!!!』
目にも鮮やかなショックを受けるミリウスを脇に、シホはファビアンやラスティンたちと眠りに就いた。
『ラスティン、よろしく』
『お、おう……』
『…………。待て、やっぱお前こっちな』
体の大きなラスティンを中心に両脇に自分とファビアンとで寝るつもりが、なぜかラスティンが脇に追いやられ、真ん中にはファビアンがでんと座り込んでいた。
『なんだよお前! いっつもいい場所取りやがって!!』
『うるせぇ。お前にはまだ早い。どうせお前のことだ。コイツの隣なんて眠れなくなるんだ。ならそこで大人しくメシのことでも考えながら寝てろ』
『おまっ……俺のことを一体何だと…………』
そんなやり取りをしながら眠りに就いたのだ。
ぐっすり眠った次の朝、何故か目覚めると体にファビアンの腕が巻き付いていたり、寝ぼけて額を押しつける彼に気づいたミリウスが、目の下に隈を作りながら猛抗議をしたり。
それを朝からすっきり爽快なラスティンがまぁまぁ二人とも、と宥めたり。
そんないつもの愛おしい日常が広がっていた。
大事な、大切な生徒たち。
視界に入る、目に入れても痛くないほど愛おしい生徒たちを見る。
彼らの平穏を守るためならば――――……。
そう、自分は、どんなことでもするのだ。
本当に、どんなことでも。
温かな朝焼けの光景を目にしながら、シホはひとり密かに決意するのだった。




