第126話 男
黒猫亭の2階に上がると、そこは廊下の先にいくつもの『個室』が並ぶ、宿のようなつくりになっていた。
各部屋のドアには、それぞれ違う花の絵が描かれたプレートが吊り下げられており、そのいくつかは裏返され赤い裏面を見せていた。
(つまりは、あの赤が『使用中』ということね)
シホは先輩娼婦から聞いた知識を思い出し、廊下の端の、何の絵も描かれていない部屋の前に立つ。
いわゆるここは予備室だ。
どの娼婦にも割り当てられていない予備の部屋。
見習い娼婦の練習用などにも使われる、まさにいまのシホたちが使用しても問題のない唯一の部屋だった。
「さ、どうぞ」
爪先まで美しく磨き上げた指先で、コトリとプレートを赤に裏返す。
腕を組んだミリウスに婉然と微笑むと、彼はごくりと唾を飲んだ。
*
プレートを裏返し『使用中』の証を立てた部屋の中に入ってしまえば、そこはもう、ひとまず安心できる空間だった。
あの傭兵男も振り切ったし、ホールの客や娼婦にも、これが潜入捜査であることはバレていないだろう。
シホは安堵の息をつきながら、今しがた入ったばかりの部屋を観察した。
部屋は、とても狭い空間だった。
簡素な内装の室内には布団のないベッドのみが一つ置かれ、そのほかにはキャビネットはおろか椅子一つない。
一人で寝るにはやけに大きすぎるベッドが、まさに『そういうこと』をするために作られた部屋なのだいうことを示していた。
(ここなら他人に聞かれる心配もないし、まずは状況の確認からかな)
シホは部屋の奥へと進み、とりあえず椅子代わりのベッドに腰かけると、入り口に立ち尽くしていたミリウスに手招きをする。
(ミリウスがこんな場所を利用するはずはないから、おそらく今回の事件が関係しているんだろうけど……)
きっと事件の詳細をつかんだファビアンあたりが、ミリウスたちをここまで連れて来たに違いない。
下町のことに関してなら、自分以上に詳しく鼻の利くファビアンの存在を見た時点で、あらかたの予想はついていた。
「ほら、立ったままじゃ怪しいでしょ。一応ここ、個室とはいえ、見回りの監視役が来るらしいから」
特に新人の部屋には、無茶な要求や乱暴を働く客がついていないかを確認するために、小窓が扉に設けられている。
普段は蓋をされているが、中の気配や監視役の気分でそこを開けられてしまえば、内部の様子を窺うことも可能なつくりになっていた。
やけに頑なにこちらに近づこうとしないミリウスを根気強く呼び、なんとか外から見られても許容範囲内な状況を作り出すと、シホはさっそく礼を言った。
「さっきはありがと。おかげで助かったけど……どうしてここに? 下にファビアンたちもいたけど、一緒に来たの?」
「…………はい」
「一応外出禁止令は出てるはずなんだけど……。それは知ってるよね?」
「っ!」
こうなった以上強く咎めるつもりはなかったのだが、生徒たちの安全を心配してそう言えば、ミリウスはカッと頭に血を上らせたかのように顔を紅潮させた。
「先生こそ――――っ!」
ベッドサイドに腰かけたミリウスの指が強くその縁を握る。
「こんな場所で、こんな紛いごとをして……! さっきだってもう少しで――」
身を乗り出して顔を歪ませるミリウスは必死だった。
「だ、大丈夫だって」
「何がですか」
「ほら、私の実力はミリウスだって知ってるでしょ? さっきだって本当は一人で……」
――部屋まで招き入れた男を、室内で眠らせるかどうにかして、朝までやり過ごすつもりだった。
そう言おうとすれば。
「っ!」
「!?」
「一人で――――どうにかできるはずないじゃないですか」
詰め寄ったミリウスに肩を突き飛ばされ、シホは何の抵抗もなくベッドに沈む。
突然視界に映った天井と、背中に伝わるベッドの軋みを感じた瞬間、視界いっぱいに男の影が覆い被さってくるのが見えた。
「え…………?」
状況が理解できず目を瞬かせると、シホの上に覆い被さってきたミリウスの目が暗く光った。
「ちょっ……」
慌てて身を起こそうとするが、両腕を取られ頭の横に縫い止められる。腕を動かそうとするが、それはより強い力で押さえ込まれびくともしなかった。
「さっきの男は、俺よりもずっと力が強かったはずです」
淡々と落とされる言葉に、自分の肩を覆っていた太い指を思い出す。
「先生は女性だ。こうして男に押さえ込まれれば、勝てないんですよ」
「っ!」
カッとなって、念のため懐に仕込んでいた腕力強化の魔法を起動する。
が、それは発動の気配だけみせるとすぐさま消えるように効力を失った。
「!? なんで…………」
愕然として懐を見下ろすと、その紙片が仕舞われていた胸元を見つめて、ミリウスは皮肉げに笑う。
「先生、お忘れですか? 俺に魔法攻撃を無力化する護符を与えてくれたのは、先生なんですよ――」
言った瞬間、まるでタイミングを合わせたかのように、彼の胸元から、彼が肌身離さず身につけていた、あの紅い魔核のペンダントが零れ落ちた。
「いまの俺には、どんな魔法も効きません」
冷たい感情を失った瞳でミリウスは、淡々とシホの両足の間に膝を割り入れる。
「!!」
「魔物退治をする傭兵なら、俺と同じように耐魔用の装備を持っていてもおかしくなかったんですよ」
「っ」
抵抗するものの、その間にも両足の間に埋め込まれた片膝は両膝になり、そしてこんな日に限っていつもより短いスカートはずり上がった。
ミリウスの視界に、普段はけして見せないような腿の内側や、胸の谷間を晒しながらシホは息を詰める。
「じょ、冗談よね」
ミリウスのことだ。これは彼なりの『教育的指導』というやつに違いない。
「……冗談にみえますか? あなたがどう思っているかは知らないが、俺だって『男』の一人なんですよ」
ペットか幼児だとでも思っていましたか?と、ミリウスは悲しそうに顔を歪める。
「俺は『男』です」
ミリウスの膝が内腿をなぞる。
「その気になれば、あなたを抱ける――」
ミリウスの頭がゆっくり降りてきて、そして大きな赤い口が見えた瞬間――――。
『あああぁんっ!』
女物の艶めかしい嬌声が部屋に響いた。




