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第125話 黒猫亭


 娼館『黒猫亭』。


 それはアーミントン旧市街の一角に店を構える、街ではそれなりに老舗の娼館だった。


 一階には広く誰もが利用できる酒場があり、ここでは店自慢の肉料理から、故郷のおふくろの味を思い出す家庭料理まで、様々な料理が堪能できる。


 これらの料理に舌鼓を打ちながら美味い酒が飲め、おまけに食事中は『上の階で働く』美人のお姉さんたちに接待してもらえるとあって、街を訪れる傭兵や庶民には人気の店として繁盛していた。



 かれこれ3日、シホはこの店で給仕として働いている。

 念を押す。給仕として、だ。

 間違っても現役教師が『娼婦として副業していました♪』なんて実績を残すわけにはいかないので、シホは新人給仕としてここに潜り込んだ。

 犯人に顔を売るためだ。

 それならば給仕だろうが娼婦だろうが、同じ娼館で顔を売れればどちらでもいい。


 特にこういった店では、一階で接待する娼婦のうち気に入った娘を、客が『追加料金』を支払って2階へいざない、事に及ぶ仕組みになっている。

 ならば顔を売る時間が長く、けっして『買えない』給仕というのは、実に都合のいい仕事だった。



「シルヴィちゃん。2番のお客さん、もう上がりだから。後を片付けておいて」


 偽名を呼ばれ、振り返る。

 すると、色香の漂うすらりとした先輩娼婦が、どこかの商会の旦那だろうか? 先ほどまで接待していた客に腕を絡め、奥の階段へと向かっていく。

 『上がり』とは、つまりこの店では、『上の部屋へ上がるための追加料金を支払った』ということだ。

 彼女は今夜の客を捕まえたことになる。



「わかりました!」


 シホは元気のいい人懐こい笑みを浮かべて、カウンター裏からホールへと飛び出した。



(我ながら……意外と性に合ってるのよね)


 ここで働くようになって自覚したことがある。

 給仕という仕事が、自分には意外と向いているようなのである。

 前に学園祭のときにティーハウス・リースターを開いたときもそうだったが、無駄に人懐こそうに見える性格と、客や生徒にはサービスしたくなる奉仕精神が相俟って、ここでの仕事は新人給仕にはあるまじき順調さで回っていた。


(まぁ衣装が気にならないかと言われれば、若干気になるけど……)


 娼館が運営する酒場らしく、衣装は給仕までもが、通常よりも露出の多い仕様になっていた。

 胸元の露出した黒のエプロンドレスに短いスカート。

 幸いなことに可愛さを売りにしているというよりは、大人っぽさや色っぽさを売りにしているようで、年甲斐もない格好だと羞恥に染まらないで済むのがせめてもの救いだった。



「シルヴィ! こっちにもお酒をちょうだい! 料理も追加で」

「はい! ただいま!!」


 別のテーブルの娼婦から、追加の注文が入る。

 テーブルを片付けたそばから次の注文が入り、店内は目の回る忙しさだ。


 そしてそんなときに限って、いたずらをする客も現れるのである。



「……!!」

「おっと姉ちゃん、すまねぇ。手がぶつかっただけなんで、悪く思うなよ」

「あは、あはははは……」


 これである。

 こちらが忙しいときにつけこんで、すれ違いざまに人の尻を触っていく輩がいるのだ。


「そうなんですねー。でもここの店、給仕へのお触りは禁止なんでー、次からは気をつけてくださいね。あんまり何度もあると私も先輩に怒られちゃうんで~」


 なるべく角を立てないよう抗議するが、実際、怒られるのは本当である。

 給仕は見習い娼婦の仕事だが、それはまだ客を取る技術がないから給仕をしながら学んでいるに過ぎない。

 店の求めるレベルに達しないひよっこが、姉貴分の仕事をタダで提供していては、着席料で小遣いを稼ぐ先輩娼婦から目を付けられても仕方がなかった。


 これ以上構うのも時間の無駄と、そそくさと注意だけして、目の回るホールから退散する。

 そして追加のジョッキを持てる限り鷲づかむと、再びホールに舞い戻るのだった。





 この日は、ここに勤め始めて以来の、最も忙しい一日だった。

 東の大遠征から帰ってきた傭兵団が街に来たとかで、夕方の開店時間からひっきりなしに客足が絶えない。

 あわよくば店を訪れる客の顔も覚えておこう……などと考えていたが甘かった。

 顔を売るために大きな繁盛店を選んだが、そのせいで客を観察するどころか、いま一体何人の客がこの場にいて、誰が自分を熱心に見つめているのかも、まるで把握できていなかった。



「よぉねぇちゃん。可愛い黒猫じゃねぇか」


 この日何度目かのお褒めの言葉――もとい、タダで女子と会話しようというおじさまに引き留められ、シホはあるテーブル横で足を止めた。


 黒猫、というのは店の名前『黒猫亭』にもかけられているのだろうが、おそらくそれだけではない。

 シホの服装がそう見えるらしかった。


 この店に潜入捜査に入ったとき、唯一シホの事情を知るオーナーが、シホのために選んだ制服。

 髪色と同じ黒で揃えられたドレスには、シックな灰色のエプロンがかけられ、遠目には全身黒系統の猫のように見える。


 黒髪を目立たせたかったから、まさに願ったり叶ったりではあったのだが、変装ついでに髪を巻いたりいろいろしてみた結果、なぜかむさ苦しい感じの、血の気も熱気も多そうなおじさん傭兵の受けがよく、これまでも何度も引き留めにあっていた。



「なぁ、この席に座っていけよ。オレとお喋りしようや」


 筋骨隆々の傭兵は、パンパンと自分の隣の席を叩く。


「えぇと、そういうのは姉さん方の仕事なので……私はちょっと」


 自分はいま、目下配膳業務に忙しいのである。


「そんなこと言うなって。金ならあるぞ。東の大遠征で魔物をこれでもかと倒してきたからな。がっぽり儲かったから、何なら一晩でも二晩でもおめぇさんを買えるくらい金ならある」


 どさりと金の音がする革袋をテーブルに置いて、傭兵はニタリと自慢げに腰かけ直す。


「……よし、決めた。今夜の相手はねぇちゃん、おめぇだ」


 男が手を挙げて支払いの意思を見せたところで、すかさず先輩娼婦が助けに入ってくれた。



「お客さん、その子はまだ見習い中なのよ。そんな子猫より、私たちと遊びましょ?」


 歴戦の猛者ともいえそうな、貫禄さえ漂う美人がしなだれかかってくれたというのに、傭兵男は強情だった。


「うるせぇ! お前のことは呼んじゃいねぇ。オレはいまこの娘と話をしてるんだ」


 酒が入っている影響なのか、あろうことかこの店の看板娼婦を突き飛ばし血走った目で見下ろす男は、いまにも彼女を足蹴にしかねなかった。



「姉さん……!」


 とりあえず今最優先なのは、この場から先輩娼婦を逃がすことだった。

 彼女を脇に下がらせると、辺りを見る。男の背後にはほかにも多数の娼婦がいるが、相手が相手だからだろう。自分ではどうしようもないと、みな足が竦んでいた。


(しょうがない……)


 この男がこれ以上暴れないためにも、この場は自分で収めなくては。

 最悪の場合、部屋まで連れ込んで、そこで絞め落とすことまで想定に入れて筋道を組み立てる。


「お客さん、先ほども言ったとおり、私はまだ見習いなんで――」

「構わねぇ。オレがいいって言ってんだ。問題はねぇだろう」


 むしろ下手に手管を仕込まれていない若い娘を抱けるのが楽しみなのか、男は分厚い唇をじゅるりと舐めた。


「金なら出す。おめぇだって金が欲しいからこんなところで男相手に尻尾振ってるんだろう? 素直になれよ」


 好色男らしい実に自分本位な考えに、こめかみにひくつくものを感じながら、それでもこの場を丸く収めることを優先する。


「いくらだ。いくら出せばいい? いくら出せばおめぇさんを抱けるんだ」


 そんなものいくら積まれようが決して許すはずがない。

 が、そんなシホの内心など構わず、男は勝手に自分で値をつり上げていく。


「銀貨5枚だ。どうだ、5枚出す。おめぇさんみたいな見習いには破格だろう?」

「いくら積まれても……」

「6枚、ええい7枚出す。どうだ?」

「どうだ?と言われても……」

「ッ! クソッ、てめぇ見習いの分際で何様のつもりだ!!?」


 ダンッと、激昂した男が机を叩いた。

 反動で机が跳ね上がり、同時に蹴り倒された椅子が回転し、店の壁に激突する。

 店内に張り詰めたような沈黙が満ちた。


(……魔法を使えば伸せない相手じゃない)


 男との力量差を脳内で正確に計測する。

 が、ここでは駄目だ。囮役として犯人の目に留まるために潜入しているここで、素人ではない動きをするわけにはいかない。


(なら取れる方法は――――……)



「――――わかりました」


 シホは先ほどの狼藉で怯んだふりをして、震える手を胸の前で組み合わせる。そして無理に笑顔を作り明るく振る舞っているように見えるよう、とびきり甘い猫なで声を出した。


「わぁ、お客さん、私に銀貨7枚も出してくれるんですかぁ~? うれし~! それじゃぁ早速、上の階に行きましょ~。――――いいですよね、姉さん方」


 無言で『本気か』と視線で問う娼婦たちに背を向けると、男がこれ以上狼藉を働かないようその腕にぴたりと自分の腕を絡ませる。

 すると男は気を良くしたのか、鼻の下をこれでもかと伸ばして目尻を下げた。


「そうか! そうかそうか! やっぱりおめぇさんもそうだよなぁ! 稼げる強い男がいいだろう? なぁに安心しろ、今夜はたっぷり楽しませてやるからな」


 ガハハハハと、お手本のような高笑いを上げて、男はシホの肩に大きな手を回す。

 それは魔物退治を生業とするだけあって、大剣でも易々と握り込みそうな、シホの肩をすっぽりと包み込むほどの巨大な手の平だった。


 シホと男は、連れだって奥の階段を目指す。

 店内からもよく見えるその階段を上ってしまえば、そこは別世界――――男と女の肉欲だけが満ちる後戻りできない世界だ。


 そこに向かって一歩ずつ歩みゆくシホに、背後から声がかかった。



「――――っ待て!」


 男の狼藉で静まりかえっていた店内に、その声はよく響いた。

 澄んだ声音。ともすればここが酒の匂いとダミ声に満ちた空間だったことを忘れさせるようなよく通る声。

 その声の主は、微かに震える力強い声でこう叫んだ。



「彼女は――――――っ、私が買う!!」



 そのどこか聞き覚えのある声にシホがゆっくり振り返ると――――――そこには。

 お忍び用だろうか? 深くフードを被り込んだ、私服姿の金髪の青年の姿があった。


「!!」


 自分が、彼を見間違えるはずはない。

 たしかにそこには、何故か学院にいるはずのミリウスがいた。

 ――ミリウスと娼館。

 そのあまり不釣り合いな組み合わせに一瞬脳が混乱する。が、ミリウスはそんなことには構わず力強く繰り返した。


「彼女は……その娘は私が買う」

「あ……?」


 つい先ほどまで機嫌良くシホの肩を抱いていた男が、こめかみをヒクつかせながら振り返る。


「なんだ小僧。青二才がどのツラ下げて……」

「――銀貨10枚。いや、20枚出そう。今夜の彼女の相手は私だ」

「……!!」


 銀貨20枚。そのあまりに大き過ぎる金額に、ざわりと店内がどよめいた。

 さすがの傭兵男も頬を引き攣らせる。

 銀貨20枚という金額は、とてもではないが、このような店で娼婦を一晩買うためだけに出せるような金額ではなかった。


「……この、ボンボンが」


 男が唸るように吐き捨てると拳を握り締める。

 が、突然現れたミリウスも、歴戦の傭兵相手に一歩たりとも引くつもりはないようだった。


 ……まずい。

 まさに場は一触即発。いつ戦闘に陥ってもおかしくない状態だった。

 シホは素早く頭を切り替えると、行動に移す。


 くるりと回転し、男の手の中から逃れると、両手をパンと打ち鳴らして満面の笑みを浮かべた。


「わぁ! 20枚も!? お客さん、そんなに私に出してくれるんですかぁ~! うれしー!! じゃあ当然今夜のお客さんはこちらの方ですよね! だって、たくさん稼いで、たくさん払ってくれる、いいお客さんなので!!!」


 言うなりすぐさまミリウスに走り寄りその腕を取ると、そこにしっかりと自分の腕を絡ませる。

 そして奥の階段へといざなった。

 あまり時間をかけ過ぎると戦闘に発展する恐れがある上に、ミリウスの身バレの可能性があるためそうしたのだが、ミリウスは腕を絡めた瞬間緊張しつつも、ちゃんと大人しくされるがまま誘導されてくれた。


 おまけに階段を上る前には、きちんと会計係に金貨を一枚支払って。


(……ごめんね! このお金は必ず返すから……!)


 ミリウスと階段を上りながら、わざとらしく彼の肩に頬をすり寄せる。そのついでに、階段上からそっと店内を盗み見た。

 そこには激昂し退店していく大男と、その脇のテーブルに、ミリウスと同じようにフードを被って変装しているファビアンとラスティンの姿が見えた。

 どうやら3人は、店の入り口付近の席で、ずっとこちらの様子を窺っていたらしい。



(とりあえず、部屋に入って落ち着いたら事情を聞かないと……)


 階段を上りきり、店内の客からの視線が絶えるまで、シホは本物の黒猫のようにミリウスに甘え続けたのだった。






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