第123話 警邏隊
松明の灯りが、拠点の篝火へと戻されるのを見つめながら、シホはそれまで研ぎ澄ませていた神経をゆるりと解いた。
宵闇にぽかりと空いた路地裏の広場には、いまはシホのほかに複数人の男が集まっている。
年齢も様々、武装もそれぞれ。アーミントン市の衛兵もいれば、この街の自警団だろうか、手製の武器と防具をつけた、威勢のよさそうな若者もいた。
もう二日、こうしてシホはアーミントン旧市街の夜警に駆り出されている。
それもこれもすべては、あの日のひと言――――学長室での、学長からの依頼で始まった。
*
――1日前。
――アーミントン魔法学院、学長室。
「――ですので先生には、アーミントン旧市街での警邏活動に参加していただきたいのです」
人払いをした学長室で、わざわざ修練場まで足を運びシホを呼び出した学長は、声を落としてそう告げた。
「警邏活動……」
「そうです。これはまだ公にはなっていませんが――――市内ではここ5日で、2件の殺人事件が発生しています」
「……!」
それを多いとみるか少ないとみるかは、正直過ごしてきた街の治安にもよるだろう。
だがシホの率直な印象でいえば、このアーミントンに限っては、それは通常ではありえないような頻度だと受け止められた。
「死体は共に深夜、旧市街の路上で発見されました。どちらも近隣で働く娼婦でした」
「………………」
街娼が料金をケチった客に暴行を受け路上に捨てられるのはよく聞く話だ。それがいいか悪いかは別にして、安い金で女を買おうとする客は、相応の手合いになってくる。
が、それだけで学長がわざわざこのような話を持ってくるとは思えなかった。
「犯人は…………ただの酔っ払いや荒くれ者ではないということですね」
「そうです。だからこそ、恐ろしい」
学長は一度こちらを窺ったあと、大丈夫だと判断したのだろう。背後の机から二枚の紙を取り出すと、シホの目の前のテーブルに広げた。
「………………惨いことをしますね」
「えぇ……」
そこには市の衛兵隊が取ったのだろう。現場調書らしき発見時の遺体の様子が、克明に図案とともに記されていた。
絵の中で横たわる女の腹の上には、場違いに大きなリボンがかけられていた。
正確には、本来なら彼女の内側に収まっているべき臓物が引き出され、長く伸ばされて、女の腹の上で綺麗な蝶々結びをされていた。
――明らかに、常軌を逸した遺体だ。
しかも特徴書きはそれだけではない。
図案は女の胸元も拡大して描かれ、そこには衣服を破かれ零れ落ちた乳房と、その胸元に女の肉をナイフで裂いたのだろう、血文字のようなものが彫り込まれていた。
「2件とも胸に刻まれていたのは名前でした。それも、男性の。……犯人の自己主張によるものかと思いましたが、2件とも異なる名だったことから、犯人特定の手がかりにはなり得ません。ですが、これが同一人物による犯行であることは明らかです。――このような猟奇的な殺人事件、たとえ模倣犯だろうと、そうそう易々と多発して堪るはずがない」
そこには学長の、前アーミントン領主としての、静かに煮えたぎるような怒りが滲んでいた。
「もちろん、最初の事件が起きた日から、衛兵隊には旧市街の警備を強化するように指示を出したと聞いています」
脳裏にまだ年若いアーミントン領主の顔が浮かぶ。
彼ならば的確に、即座に市民のためにそうするだろうと察せられた。
「ですが今は聖霊祭前。冬を控え、遠方へ遠征に出ていた傭兵や商人が街へ戻ってくる時期でもあります」
怪しい人間を挙げようとしてもおそらくキリがないだろう。
各々の町に戻るためにアーミントンを経由する人間を遮ることはできない。それは、常に流動し続ける多数の容疑者に揉まれながら、犯人を確保しなければならないということだった。
「ちなみに生徒たちには――――」
「あなたのクラスの生徒には、という意味でしたら、明日代理の先生から、あなたが不在でも生徒たちが心配することのないようご説明いただきます。この学院の生徒たちの安全ということでしたら、今晩、全校生徒の帰校を確認次第、無期限の外出禁止令を発令します」
「………………」
旧市街へ行く生徒がほぼいない中で、これほどまでに早い対応。
まさか…………。
シホの胸に、一抹の不安がよぎる。
「先生もお察しのとおり、これは学院生も無関係ではいられません。今回の2件の事件で殺されたのは街の娼婦でしたが――」
心臓が、早鐘を打つ。
「――もう一件、未遂事件の可能性だったものがあります。昨日夕刻、街に買い物に出ていた女子生徒が、新市街の入り口で声をかけられる事案が発生しました」
手に、汗が、じわりと滲む。
「幸いその生徒は事なきを得て学院に戻ってきましたが、今日の午後、担任にそのときのことをこう話したそうです」
――普通のお兄さんだったよ。
――旅人……だったのかなぁ?
――悪い人じゃなさそうだったけど。
――あ、でもそういえば変なこと聞かれたなぁ。
――『忘れられない名前はある?』って。
――『きみの胸に刻み付いて離れない人の名前だよ』って。
「――っ!!!!」
テーブルの上には、いまなお無残な姿を晒し続ける女たちの遺体があった。
その二人の胸にはそれぞれ、血文字の名前が刻まれている。
どちらも、異なる『男の名前』が。
「…………先生にお話をさせていただいたのは、先生の実力を見込んでです。この学院において、先生ほどの実力を持たれた方は少ない。もちろんほかの実技担当の先生にもご協力いただくつもりです。ですが」
彼らより先に、シホに話が来た理由。それはおそらく――――。
「その生徒も、『そう』だったのですね」
無念のままに死んだ、調書の女たちとの共通点。
「ええ。ですから先生に……お願いをしました」
学長はある意味冷酷に、統治者の冷徹さと共にその事実を告げた。
「声をかけられた生徒、殺された女たち。この三人に共通するのは――――」
「…………黒髪」
調書の中で血だまりに広がるその色を、シホ自身誰よりもよく知っていた。
「先生には、囮としての役割も担っていただきます」
否、という余地を残しつつも、そうは言わせないまでの強烈な眼力がそこにはあった。
(――――もとより、そのつもりもないけれど)
街の人々の、これまでの生活で出会った数々の笑顔が蘇る。
シホはこの街が、この半年という短い時間で出会った街の人々が、好きだった。
彼らの平穏を脅かし、無残に殺すような手合いなど捨て置けない。
ましてや――――――。
仄暗く、視界が紅く染まる。
(学院の生徒に手を出す奴なんて――――――)
万死に、値する。
「わかりました。その話、お引き受けいたします」
*
そうして警備にあたり始めてから早二日。こうして自警団や衛兵と共に小さな班を組んで巡回にあたるが手応えはない。
(当然といえば当然……か。囮が囮らしい場所にいないんだもの)
これ見よがしに自慢の黒髪を高い位置でひとつ結びになどしてみたが、周囲を怖い顔の衛兵や自警団の男衆で囲んでいては意味がない。
囮は、囮らしく野に放たれていなければいけないのに。
「……っ、伝令! 伝令です!!」
旧市街に設けた、警邏隊用の拠点に一人の市兵が駆け込んできた。
「………………」
嫌な予感がする。こんなときに来るのは、いつだって悪い報せだった。
予感が、的中する。
「南の区画で警邏に当たっていた衛兵が一人殺された!」
「!」
「それに、昨日から巡回に当たっていた兵のうち、一人行方知れずになってる奴がいて――」
矢継ぎ早に続けられる報告に、事態が想像以上の早さでより深刻なものへと移り変わっているのを実感する。
(こんなことを悠長にしている場合じゃない――)
シホは隊を率いる衛兵に、手短に警邏時の注意点を進言する。
そして最後に『悪いけど』と断って、自身は隊を抜けることを告げる。
同時に、新たな作戦の助力を請うて――。
(絶対に、おびき出してみせる――――)
血溜まりの中でほくそ笑む悪魔を釣り上げるため、シホは一計を案じることを決めたのだった。




