第121話 エメリーとマリーベル 2
マリーほどの美人の娘がいる親なら、一度は考えないこともないだろう。
娘が王族に見初められ、一族から王妃を輩出するというその夢を。
マリーの父、ブラックフォード伯爵もそれを夢見たのだろう。
もちろんマリーほどの美人なら、社交界に出ても引く手あまたである。
けれど同時に社交界は、各家の権力闘争の縮図だ。
家格の低さを理由に、王族の出席する舞踏会に呼ばれないかもしれないし、それが同年代の娘を持つライバル家主催の会ならなおさらだ。
また運良く会に出席することができたとしても、今度はその中で上手く立ち回り自分を魅力的に見せていかなくては、すぐに多くの令嬢の中に埋もれてしまう。
社交界は令嬢たちにとっても戦場であった。
だからこそ、期待の持てない社交界よりも、同年代の級友として、より密に時間を過ごせるこの学院に伯爵は賭けたのだろう。
―― その辺の中級貴族など眼中にない。
―― 求めるのは最上、ただそれだけ。
―― 娘には、それだけの価値がある。
―― そう、作り込んできた。
そう、伯爵の怨念にも等しい意思が滲むほど、マリーは完璧な非の打ちどころのない令嬢だった。
(でもマリーは…………本当にそんなことを望んでるのかな)
一年以上彼女と付き合っているが、マリーがミリウスに迫っているところなど見たことがない。
もともと控えめな性格でもあるし、彼女はただこの時間が過ぎるのを待っているだけのような気がした。
(それに――――――)
肝心のミリウスにも、まるでマリーベルへの興味がなかった。
もちろん級友として分け隔てなく接しているが、それだけだ。これほどの美人を前にしているというのに、まるで興味や異性としての関心が感じられない。
(……けど、今年になって変わったよね。ミリウスは、わたしたちにも前よりずっと話しかけてくれるようになった)
それは以前のように義務的なものではなく、それ以上に友人として親交を深めようとする積極的な姿勢がみえた。
そこには彼なりの、前向きな情熱さえあったように思う。
(それもこれも全部影響は――――あの人のおかげなんだけど)
興味に瞳を輝かせるミリウスの視線の先。
そこにはいつもあの人――――シホ・ランドールがいた。
先生が来てからミリウスは変わった。
よく笑うようになったし、よく喋るようになった。ときどき王子に似つかわしくない間の抜けた表情を見せることもあったし、控えめだがはっきりと怒りを表すようにもなった。
そしてクラスのほかの生徒たちとも、より積極的に関わるようになった。
その違いは昨年とは見違えるほどで、昨年は昨年で監督生としてクラスを正しくまとめていたが、今年はより友人らしい距離で接することが多くなった。
そう、昨年まではどこか『壁』を感じていた。
けれど今年のミリウスは違う。
壁を壊したい。近づきたい。あなたのことが知りたい。
そんな熱意が、ある人のもとに強く向かっていて、その余波ともいえる影響が自分たちにも広がっているような気がしていた。
そう、いつだってミリウスの視線の先にいるのは、先生だった。
ミリウスの瞳は、授業中、休み時間、昼休みの食堂でだって――――いつだって密かに先生を追いかけ続けていた。
この手のことに鈍い男子は気づいていないかもしれないけれど。
エメリーにだって、さすがにわかる。
誰が誰を想っているのか。そんなことくらい。
(マリー……勝ち目はないよ)
マリーがそれを望んでいるかどうかはわからないが、それでも彼女の父が望んでいることは間違いなかった。
けれどその願いはもう、きっと叶わない。
それならば、それに囚われ続ける必要はあるのだろうか?
マリーは、マリーの道を歩んでもいいはずだ。
「ねぇマリー。わたしさ、ずっと思ってたことがあるんだけど」
「?」
マリーは愛らしく小首を傾げてみせる。
「わたしね、お姉ちゃんにずっと聞きたかったことがあったの」
実家で、姉妹のなかで最初に生まれ、そして跡取り問題で家中に重い空気が漂っていたとき、自ら従兄弟のハドリーとの婚約を申し出た姉に、ずっと聞きたいことがあった。
「お姉ちゃんは――――本当にハドリーのことが好きだったの?って。妹たちや、家族のために、『好きになった』んじゃないの?って……ずっと聞きたかった」
それは、怖くてずっと聞けなかった問いかけだった。
長姉はおっとりとしていて、けれどしっかり者で、よく他人の気持ちに気がつく、気配りのできる人だった。
だからエメリーも小さいころから何度も救われたし、姉もそんなエメリーを可愛がってくれた。
けれど同時に、エメリーはこうも思っていたのだ。
他人のことによく気がつく分、お姉ちゃんは――――他人の期待の枠のなかで自分を育てているのではないか。
無意識に他人の期待に添うような生き方をしているんじゃないの?
ハドリーのことだって、お姉ちゃんが彼を好きになるのが一番皆にとって円満だから。
だから、そうしたんじゃないの?と。
ずっと……聞きたくても聞けなかった。
「だからね、わたし。結婚って、無理に誰かの期待を背負ってするものじゃないと思うの。自分で、自分のためだけに、好きな人を見つけるべきだと思うの」
マリーの目をまっすぐに見つめて、この気持ちが届くように念じる。
(マリーは、マリーだけの道を選んでいい)
父親や家のことなんて関係ない。
マリーの人生はマリーだけのものだ。
「………………」
マリーはしばし呆けて、目をぱちくりと瞬かせたあと、こう言った。
「エメリー。ありがとうございます。でもわたくしは、ちゃんといま幸せですわ」
にこりと穏やかに微笑んで。マリーベルは桃色の唇をふわりと綻ぶ。
「入学の理由はお父様でしたけど、いまこうしてこの学院にいることができて、この学級で皆さまとご一緒できて。そして何より…………エメリー、あなたと一緒に毎日同じ時間を過ごすことができて。わたくし、いまが一番幸せですの」
それは花が開くような笑みだった。
「将来のことはまだわかりませんけれど。でも、エメリー。わたくしはあなたの努力する姿を見て、わたくしももっと努力をしてみたくなりました。自分がどうしたいか、誰といたいかを考えられるようになることは――――とても、素晴らしいことですわね」
……マリーベルは、いつの間にか父親の呪縛から解き放たれていた。
それは完全なものではないかもしれないけれど、その黒い繭から飛び立とうとする、羽化する前の蝶のような輝きがあった。
「だからエメリーも、一緒に頑張りましょう?」
ぎゅっと手を握り、マリーベルは柔らかく微笑む。
そして、ちょうど今しがた教室に入ってきたその人に視線を向けた。
朝が弱いのか、まだ眠そうな目をぎゅっとつむって気合いを入れ直すその横顔。
教室の前の入り口からは、担任のシホが入室してきたところだった。
「エメリーも、先生に近づくのが目標なのでしょう?」
悪戯っぽくウインクして、マリーはそっと席を離れた。
みなが自分の席に戻って、今日も朝礼が開始される。
変わらない、大切な一日のはじまりだ。
――――『エメリーも、先生に近づくのが目標なのでしょう?』。
マリーベルのひと言が脳内で繰り返される。
そうだ。自分は、先生に近づきたいのだ。
魔術を究めようとこの学院に入学して、そして自分は先生に出会った。
初めはとても話しやすい、年上のお姉さんのような人だと思った。けれどそれだけじゃない。彼女はとても――――強かった。
春先の校外演習。
黒竜の出現に驚いた生徒たちが逃げ惑うなか、足を挫き立てなくなってしまった自分を、先生は的確な判断で救ってくれた。
ほかの生徒に担がれ逃げるまでの時間を、たった一人黒竜に立ち向かい稼いでくれた。
だからこそいま自分は、生きてここにいる。
(どうやったらなれるのかな……)
素質も、経験も、努力の量も。
きっと先生には、ずっと、ずっと及ばない。
でも絶対に、同じところに立ってみたい。
立って、『先生見て! すごいでしょ!』って、胸を張って言ってみたい。
そのとき先生に『まだまだだね』と言われて、『もう!』と口を膨らませながら、その胸に飛び込んでみたいのだ。
強くて、綺麗で、何者にもとらわれなくて。
いつだって自分の人生を自分のものとして、格好良く、みなを助けながら生きるような人に、自分も強くなりたいと思うのだ。
エメリー・バークリーは、今日も誰より真剣に授業を受ける。
いつかその、憧れの人に追いつくために。
今日も夢を見ながら努力をする。




