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第115話 夢の魚


 リンデールから戻りしばらくしたある日。

 休日にわざわざ用があるからと言って、ミリウスはシホに予定を空けさせた。


(一体何の用かしら……?)


 ここ最近の学院生活は特に順調で、交換留学で視野が広がったせいか、皆以前より授業に熱が入るようになっていた。


 アーミントンに残ってリンデール公女ユリスの応対に当たったエメリーなどは、彼女と友達になったのだといって、年の離れた友人の誕生を満面の笑みで報告してくれた。

 なんでも実家では三女という立場上、自分より年下の妹のような存在がどうしても欲しかったらしい。

 その相手が公女とは、公女の心がおおらかなのか、もしくはエメリーが見た目以上に豪胆なのか……どちらかだ。


(まぁ私も人のことは言えないんだけど)


 ちゃっかり雲の上の大公オーレリアを憧れの人認定しているし、そもそもミリウスやラスティンたちともただの教師・生徒で接している。

 本来ならとても気さくに語り合えるような身分ではない者同士でも、その垣根なく触れ合える場所が、この学院という学び舎なのかもしれなかった。



 カランコロン、と。気持ちのいい音を立てて、寮の扉が押し開かれる。

 開いた扉からは、約束のミリウスが姿を現した。


「どうぞ。お茶は飲む?」

「いえ。あぁ……先に用件が終わってから、ゆっくりといただきます」

「そう?」


 ということは、用件とやらは相談事ではないのだろう。

 それならばいつも彼は、菓子を持参し紅茶を飲みながら、時間をかけてゆっくりと話をしていた。


(そういえば相談事のときも気づけば最後はただの世間話になってたような……。ほとんど8割以上、ただ談笑してるだけなのよね、ミリウスとは)


 まぁ最後が笑えて『また明日ね』と言えるならそれでいいのだが、振り返ればほとんど毎回そんなことの繰り返しだった。


「それで? 用件って?」


 シホはドンと胸を張って、何でも来いと受けて立つ。

 どんな困難な用件でも、いまこの絶好調な状態ならば、なんでもこなしてみせる自信があった。


「それでは、早速…………」


 ミリウスはシホがかけたソファの向かいに腰かけて、そのローテーブルにばさりと分厚い封筒を置いてみせる。


「? ……???」

「すみません。追ってひとつずつ説明しますね。まずこちらは、先生が春にコルトフィールド演習場で黒竜を退治したときの『請求書』一式です」


「請……求書……???」

「はい。黒竜を退治したのち、俺たちは学院に帰還しましたが、そののちも演習場には黒竜の巨大な遺骸が残されたままでした」

「…………」

「もちろん貴重な魔物の生体標本です。国内のあらゆる学者が参集し、研究標本としてその肉や破片を採取して帰りましたが…………その最後に残ったのが、このおびただしい量の肉塊です」


 ミリウスは資料の中から、『小山ほどの腐敗しかけの肉が残った』という一文を指差した。

 ご丁寧にそこには、色付きの下線まで引かれている。


「動物の死骸は疫病の元です。ましてや魔物、どんな呪いが染み付くかもわかりません。即座に、可及的速やかに解体して焼却処分することが決定しました」


 ならばそうすればいいのに…………それでどうしてここに『請求書』が???


「解体は――――難航の限りを極めました。黒竜は硬い超高硬度の鱗を纏う上に、分厚い表皮を持ちます。軍内部の魔物解体班だけでは手に負えず、外部からも人を雇い、人海戦術で解体・焼却処分を終えました」


「それは…………ご苦労様」

「そこで。この費用は誰が持つのかという疑義が出たのです」

「ええと…………それは演習場内での出来事だし、演習中のことだから軍で持つのが当然じゃないかなーって…………」


 そうだろう。というかそうとしかありえないでしょう。

 シホはだらだらと冷や汗を流しながら訴える。


「そうですね。通常の軍の演習で起きた出来事ならそうです。ですが今回は、学院側の依頼で行っていた魔法学院の校外演習。半分は演習場側が業務として行っていたとしても、完全に彼らが彼らのために行っていた演習での出来事ではない」

「…………あは」

「ましてや、今回黒竜を倒したのは、軍ではなく先生です。ウィルテシアの法において、公務の業務上定められた活動以外で野生動物を狩った場合、その獲物の所有権は狩人のものとなります」

「…………」

「――つまり、今回の場合は先生です」

「!?」

「ゆえに、黒竜の所有権は先生にあることから、その撤去費用も先生にご負担いただくのが筋ということで――――」


「待って待って待って……!!!!」


 何やらとんでもないことに話がなっている。


「そんな……所有権って……。だって私は何も獲物なんて得てないし……。ホラ、黒竜のお肉なんて臭くて食べないし……!」

「ですが先生。先生は、黒竜の魔核を持ち帰りましたよね?」

「……!!!!! そ、それは……」


 しどろもどろになって、指先を落ち着きなく突き合せる。

 シラを切ろうにも、その何よりの証拠を目の前のミリウス自身が持っていた。


「先生が何も持ち去らなければ魔物排除活動として公務の一環に含めることもできました。ですが、現場から価値のある品を持ち去ってしまった以上、これを認めると横領罪に――――」

「嫌っ! それはやめてぇぇぇぇ」


 泣きつくようにミリウスの腕にしがみつくと、ミリウスはしばし沈黙して…………深く目を閉じたあと、強い意志で残りを続けた。


「もちろん先生を監獄に送るわけにはいきません。元々本来の解釈をすれば、あの竜は先生の所有物ですし。監獄送りになるはずがありません。ですがその場合、やはりこの撤去費用は誰が持つのかという話になって――――」


 結局、話は始まりへと戻るのだ。


「この撤去費用は、先生に負担いただくことになります」

「!!!!!」


 嘘でしょう!? と、自分でもこれ以上ないほど目を見開く。

 ただでさえ返しきれない借金を背負っている身で、さらに追加の、それもあの竜の巨体を撤去するほどの費用。

 どれだけ人足が雇われたのか見当もつかない。


「うっ……ううっ…………。それで……費用は……?」


 今度こそ本当に身売りでもしなければならないかもしれない。

 それで賄えるならまだいい話だが。



 めそめそと泣く教師を不憫に思ったのか、ミリウスがふと優しい声をかける。


「あの……先生。よければこの費用については、条件付きで俺が個人的に立て替えても――――」

「それは駄目」

「………………」


 ミリウスはしくじったと言わんばかりに、ファビアンのように横を向いて爪を噛んでいる(実際にはマナーのいい彼はそんなことはしない。きっと友人の癖が移ったポーズなのだろう)。


「これで先生を王族付きの家庭教師にでもできればよかったのに…………」


 何やらぶつぶつとよく聞こえない言葉を呟いている。



「とにかく! 立て替えは駄目。私はいくら払えばいいの?」

「それは…………」


 ミリウスが机に広げた何枚もの請求書のその額を目にして――――シホは、正直夜逃げをしようかと思った。



「む、無理ぃぃぃいい。絶対、絶対無理!!!!」


 こんな大金、ランドール商会の借金の比ではない。

 破産どころか、シホに子や孫がいても返せるかどうかわからない額だ。


「ですから先生、王族付きの家庭教師にでもなれば……」

「冗談はいいから! そんなので返せる額じゃないでしょ! これは!!」


 だからこそ話を持ちかけたのに……などと、開き直ってミリウスは意味のわからないことを言っている。

 そんなことをすれば、永遠に返せない借金のために、死ぬまで王宮で家庭教師をしなくてはならないではないか。


「夜逃げ? 高飛び? どうしよう……どこに逃げればいいの……?」


 グレンシアか、ロームか、レムリアか……。盲点を突いてナディルという選択肢もある。


 シホがぶつぶつ呟いていると、さすがに高飛びされる事態はマズいと思ったのか、ミリウスが慌てて資料の続きをめくった。


「待ってください先生! この話には続きがあります!!」

「……?」

 シホはゆっくりと振り返る。


「今回先生に請求すべき撤去費用はこのとおりですが、同時に、今回黒竜から得られた貴重素材があります」

「貴重素材……」

「黒竜の鱗と外皮、そして爪と牙です」


 ミリウスの説明を待つ間でもなく、それらが一級品の素材であることはシホもまたよく知っていた。


「これらの素材の所有権もまた――――先生です」

「!」

「ですからこの素材の国庫での買い取り額から、素材化のためにかかった費用と撤去料を差し引いて――――残ったこの額が、先生への黒竜素材の買い取り額になります」


「これが…………」


 机の上に示されたのは、先ほどまでの膨大な桁数に比べれば余りに小さな額。

 だが、シホがいま抱えている借金を清算しても、十分におつりが来るだけの額だった。


「これを…………私がもらっても……??」

「ええ。それは先生の正当な報酬です」


 先生が命をかけて自分でつかんだ報酬だと、ミリウスは再度念押しをする。


「たしかに…………大変だったけど」


 腹に穴まで空いたけれど。


「でも…………本当にいいの? こんな額……」

「先生は、横領罪で投獄されるほうがお好みですか?」

「!!」


 それは未来永劫、お断りだった。


「ではこれで話は決着です。それは先生のお金ですが、必要があるならリンデールのフラムスティード商会が、先生の代わりにランドール商会から債権を買い取って清算をしてくれるそうです。支払いは、フラムスティードと取り引きのあるウィルテシアの第3商会へしてください」


「………………」


 合点が、初めていった。


 シホにそうさせるために、ミリウスはあれからいろいろ方策を練ってくれていたのだ。


「俺としては、先生にはもう絶対にランドール商会には行ってほしくないので。できれば俺の言う方法をお勧めします」


 眉間に皺を寄せて言うミリウスは、本気で心の底からそう思っているのだろう。



「でも…………」

「でも?」


 ミリウスが険しい声を出す。


「でも……あの竜鱗。ちょっと惜しかったなって……」

「……?」


 リンデールでも、魔物素材の所有権は討伐した者にあるとされていた。

 だからもしかしたら、あの竜鱗もあとで申請すれば国庫から譲ってもらえるかも――――などという淡い期待を抱いていた。


(撤去費用のことは、全然考えていなかったわけだけど……)


 それでもし、もし万が一、黒竜の鱗が手に入ることがあったなら――――。


「黒竜の鱗で、今度はミリウスの鎧を作れたらと思ってたんだけど…………」

「――――!!」


 黒く輝く無敵の装甲。その唯一無二の輝きで鎧を仕立てられたなら――――どんなに立派なものができるだろう。


 どんな害悪がミリウスを襲ったとしても、必ず跳ね返してくれるはずだ。


 それに戴冠式での見栄えも、きっと映えるに違いない。

 国の終わりまで語り継がれる偉大な勇姿になるはずだ。


 そんなことを夢見ていたのだけど……。


 やはり夢は、甘くない。


「やっぱり、駄目だよね。でも国庫に入ったなら、それはそれで……。国のほうでミリウスに合わせて仕立ててもらえたら……」


 それで自分の夢は叶うのだ。


「………………」


 ミリウスは何故か顔を上げない。沈黙している。

 そして…………。


「絶対に……絶対に王宮に連れて帰る…………」


 何かよくわからないことをぶつぶつと言っている。


「ミリウス?」

「!」


 大丈夫?と声を掛けようとしたが、その前にミリウスがパッと切り替えるように顔を上げた。


「では先生。俺が鎧を作るときは――――」

「ときは?」

「先生が――――俺に合うよう見立ててください」

「!」


 ミリウスからの思わぬ提案に、予想外に胸が高鳴る。


 いいのだろうか? 黒竜の鱗の鎧なんて、一級品の素材で。加工にも、組み上げにも、当代一流の職人たちの腕が必要だろうに。

 それを、私が? 国費を使って?

 好きに意匠や機能性に凝っていいの?


「え……ホントに? だってリンデールの伝説の技師とかにお願いしちゃうかもしれないよ? 機能性だって予算度外視で凝っちゃったりするかもよ?」


 自腹で頼むつもりだった際には、あくまで夢見るしかできなかった当代一の名工の腕によって、最高傑作の鎧を作ることができるのだ。


「構いません。先生のお好きなように」

「!!」


 シホは酔った。想像の中だけで、その夢のような甲冑が空から降ってくる光景を見て、うっとりと目を細めた。


「ですから、そのときは必ず。先生も一緒に」

「もちろん! 這ってでも行く!!」


 ミリウスはくすりと笑う。


「では、よければ戴冠式も。俺の隣にいてくれますか?」

「隣……は、なんだかちょっと恥ずかしいというか恐れ多いから、隅のほうで……」

「いいえ。ぜひ隣で」

「う…………わ、わかった」

「絶対に。約束ですよ?」


 ミリウスに念を押され、仕方なくこくこくと首を振る。

 そうするとミリウスは花がほころぶように微笑んだ。



 新たに国王に即位する者の、すぐ隣――――。

 その歴史的な瞬間に、王の最も近く――その傍らに佇むことの意味をまだ知らないまま。


 シホ・ランドールは夢を見る。


 自らが、誰かの夢の一部だとは知らないままで。

 愛おしげな視線を、一身に浴びながら。



 ミリウス・ウィルテシア・ヴェルトリンガムの夢の中で、自由に泳ぎ続けるのだ。






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