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第114話 告白 2


 数年後、彼女は美しい女になっていた。


 アーサー・フラムスティードは、隣で伸びをする女を眺めながらそう認める。


 ウィルテシアからの一団が交換留学で来るという初日。

 学院の前に姿を現したシホは、紛れもない『女』になっていた。

 少女だったころの面影は薄れ、体には年相応のメリハリが生まれ、顔には化粧だって施していた。


 リンデール時代には予想もしなかった真っ当な変化をあいつは遂げていた。


(認めざるを得ない事実だな……)


 シホは紛れもなく美しい女だ。

 当時は『色付き』ということもあり、リンデールでは誰も見向きもしなかったが、それを差し引いてみれば自分の旧友はどこに出しても恥ずかしくない、胸を張って自慢できる美しい女だった。


(見た目もそうだが、性格だってそうだ)


 自分と馬鹿ばかりやっていたから幼く見えたが、曲がったことは許さず、どんな逆境にも負けず。

 折れず、挫けず。

 いつだって真っ直ぐ前を見て、自分で自分の道を切り開いてきた。

 そんな後ろ姿に――――密かに憧れていた。



 生まれ落ちた瞬間、何もかもを与えられた自分。

 才能も、家柄も、富も、自由も、将来も。

 何一つ不自由のないものを与えられていた。

 望めば何だって手に入った。

 そんな自分が有頂天になって――――――その鼻っ柱を叩き折ったのがシホだった。


 何もない。

 金も、人脈も、まともな人権も。

 ただ人らしく一人前に扱われることさえなかった彼女が、自分の才能と努力だけを頼りに、必死にあらゆるものを勝ち取ってきた。

 その目映いばかりの横顔に――――――惹かれないはずがなかった。



(この馬鹿は気づきもしないのだろうな)


 この脳天気な女は、きっと一生気づくこともない。

 自分がずっとその横顔とともにあることを望んで、彼女の一挙一動に振り回されて、それでもその傍を離れがたかったこと。

 友であると同時に、淡い恋をしていた――――……。



 リンデール人にしては珍しい、よくころころと変わる表情。文句を1言えば10になって返ってくるうるさい口。

 少し悪い足癖に、それを自覚して注意される前に舌を出すその奔放さも、高原を駆ける雪豹を見ているようで――――その自由さに憧れた。


 そしてその瞳を、真っ赤な命の輝きを、ずっと隣で見ていられたらと――――望んでいた。


『こいつに付き合えるのは僕くらいだ』。


 そんな慢心に、浸っていた。



 だから――――――ある日突然自分の隣から消え去ってしまったことにさえ、気づかなかった。


 こいつは――――どこまでも自由だったのに。





「お前、ウィルテシアに行くときに、僕に何も言わなかったな」

「!」


 ぎくりと、また説教が始まるのかと身構えたシホが距離を取る。


「待て。逃げるな」

「えぇぇぇぇ……」


 がしり、と。その腕を掴んで引き寄せても、シホが怒ることはない。それくらいの接触は許されている。

 まだ遠い昔の間柄が生きていることに、密かに安心する。


 こいつは外見が変わっても、中身は変わっていない。


「お前は僕がある日突然ロームに旅立ったら……どう思う?」

「……は? 無理に決まってるじゃない。だってロームって、肉体言語上等の超戦闘民族系の社会よ? アーサーなんか行った日には、野盗に襲われて一瞬で身ぐるみ剥がされて終わるわよ!」

「…………お前なァ……」


 ピキピキと青筋がこめかみに浮く。

 シホと違い物理的な戦闘にはからっきしの自覚はあるが、それにしても酷い言い草だ。


「ね、ホントに行くの!? なんで? どうして!??」


 シホは友人の頭がついにおかしくなったのかといわんばかりの焦りようである。


「……ロームには行かない。が、これでわかっただろう。お前が知らぬ間にウィルテシアに行った日や、知らぬ間に仕事を辞めた日、調査討伐隊に移籍した日の僕の気持ちが」

「………………」


 シホはようやくその気持ちに想像がついたのか、その場に黙り込んでしまった。


 自分とロームの例えは心外だが、シホのその身を危ぶんだのは事実だ。

 どうして自ら危険な場所に行くのだと危ぶみ、どうして何も言わずに自分の知らないところへと行ってしまったのだと、書き置きですらない報告の手紙をその手で握り潰した。



「お前はまた……ウィルテシアに戻るんだろう?」

「それは………………うん」


 引率で来たのだから、当然戻らなくてはならない。

 けれど『またすぐ会える』のひと言もないこの様子では、当分リンデールに戻ってくる気はないのだろう。


「…………そんなに嫌か、この国は」

「そういうわけじゃ……ないけど」

「ランドール商会、エヴァンのことなら気にしなくていい。なんとかする」

「――――それはやめて」


 シホは鋭く制止する。

 絶対に、自分の事情で他人を巻き込むことをよしとしない彼女の強い意思だった。


「わかってる。お前のことだからな。そう言うだろうと思った。…………その件は、二人でなんとかしよう」

「?」

「シホ。お前、この僕と一緒に――――店を出さないか」


 シホは呆気にとられていた。


「魔道具の店だ。僕と、お前で、この都に出す。僕たち二人の腕なら、間違いなく評判の店になる。そうすればすぐに借金だって返せるだろう」


 魔道具はいままで単純なものしかなかった。

 だから用途が限られて、魔法の完全代替にはなり得なかった。

 けれどもし、それを成すだけの魔道具が生み出されて、広く世に売り出せたなら――――それは、この世界中から求められることだろう。


 自分の魔術の知識と、シホの器用さ。もちろん呪紋から得る発想力も応用すれば、けしてできない話ではないはずだ。


「………………」


 シホは黙り込む。

 逡巡しているのかもしれない。

 また昔のように――――気の置けない友人同士で、笑い合い、喧嘩をしながら店を盛り立てていけたなら。


 その先に――――――自分だけが、さらにそこから繋がる未来を淡く夢見ているけれど。


 最初は友人みたいでもいい。

 年老いて死ぬ直前まで、そんな関係性でもいい。

 でも、隣に彼女がいて。自分は苦手だが彼女の好きだという犬がいて。

 もし、子や孫に囲まれる未来があったなら――……。


 それは、なんと温かで満たされる光景だろう。


 冬の厳しいリンデールにおいてなお、その場所だけは未来永劫光り輝いていそうに見えた。



「………………」


 シホは沈黙を続ける。

 そしてやや躊躇って…………こう切り出した。


「駄目だよ。……駄目。アーサーは……そんなことをしていていい人じゃない」

 シホは首を振る。

「アーサーは天才だよ。だからもっと上に――もっと国のみんなの役に立つところまで、登っていく必要がある。――そうしなきゃ、いけない人なの」


「っ……そんなこと!! 店を開いても同じじゃないか!」


 アーサーは吐き出していた。


 店を出し、魔道具を売り。誰もがその実力に関わらず魔法が使える世の中が来たのなら。

 この馬鹿馬鹿しい血統重視の社会も終わる。

 お前も――――『色付き』だと蔑まれることのない世の中になるのに……!


 アーサーの願いとは裏腹に、シホの決意は固かった。


「アーサーは偉い人になってよ。それを私は……楽しみにしてる」


 まるで自分では到達できない高みに登れる可能性のある友を見送るように。

 シホは穏やかに笑っていた。



「お前は…………ウィルテシアに行くのか」

「うん」

「誰かに……嫁ぐのか?」

「っ……!!!? まさか! どうしてそういう発想になるの!?」


 シホは目を白黒させながらこちらを見る。

 この様子では、その言葉はまだ真実なのだろう。


(あの王子もまだそこまで手を出せてはいないか)


 逆に言えば、その悪手を踏めば、けじめにうるさいシホが逃げ出す可能性があると理解してあえて引いていることも考えられる。


(まったく厄介な奴だ…………)


「もし僕が『行くな』と言ったら?」

「?」

「そうしたらお前はどうするんだ」

「………………」


 申し訳程度の沈黙。

 そのあとに、シホはきっぱりと言い切った。


「ごめん。私は行くことにしたの。もう少し…………この先を見てみたい子たちができたから」


「…………そうか」



 そう言われてしまえば、仕方がない。


 あの一人で生きてきたような目をした子供が、誰かの未来を共に見たいと願うようになったのなら――。

 こればかりは、引き下がるしかないだろう。



「まぁ、後悔しないだけ好きにすることだ。それでもし嫌気が差したなら――――――僕のところに戻ってこい」


 そうすればきっと、あの日とまったく変わらない日々が、再びその瞬間から始まるだろう。


「うん…………そうする」


 シホはいつものように、お得意の――――にへらっと、だらしなく笑う。






 ……その瞬間、展望台に繋がる階段から騒々しい足音が聞こえてきた。



「――先生っ、無事ですか!!?」


「!?」


 見ればミリウスが血相を変えて展望台に駆け上がってきている。

 おまけに彼のあとに続いたのか、ラスティンや若干体力に劣るファビアンまでよろよろと続いては息を切らしている。


「どうしたの……三人とも…………」

「先生こそ……! 緊急時の魔道具を――――」

「!」


 見ればミリウスは、シホが彼に渡した魔石型の魔道具を握り締めている。

 それは激しく明滅し、もう片方の持ち主の緊急事態を切迫感をもって伝えていた。

 魔石の先から伸びる光を頼りに、ミリウスたちはここまでやってきたのだろう。


 ……シホの手元にある、淡く光りを灯す魔道具に呼ばれて。


「あ……金具が抜けてる」

「ああ、さっきお前の腕を引っ張ったときだな」


 アーサーは呑気にそんなことを言うが、それを耳にしたミリウスの肩が素早く反応した。


「どういうことです? アーサー殿――――」


 ゴゴゴゴゴ……と、効果音でもあったなら背後に背負わんばかりの怖い笑顔で、ミリウスはアーサーに詰め寄る。


「まさか先生に何か…………?」


「何かってのはこういうことか?」

「!?」


 シホは突然ぐいと引き寄せられ、アーサーと肩を組む羽目になる。


「なによ突然……」


 シホとしてはまるで意味がわからないが、アーサーとミリウスの間では通じるものがあるらしい。

 アーサーがフフンと鼻を鳴らし、ミリウスが不覚を取ったとばかりに悔しそうに奥歯を噛みしめていた。





         *




「それじゃ、また」


 至極あっさりと別れのときは来た。


 学院を立つ馬車の前に、シホとその一行が立っている。


 アーサー・フラムスティードは、彼らが馬車に乗り込む様子をただぼんやりと眺めていた。



「そういえばアーサー、ずっと気になってたんだけど」

「?」

「最後に聞いていい?」

「何をだ」


 馬車に乗る手前、ふと思い立ったらしいシホが、くるりと振り向くと問いかけてきた。


(本当に気まぐれな女だな…………お前は)


「アーサーって、どうして魔法学院で講師なんかをやってるの?」

「………………」


 同じ教職に就くものとして、気になったのかもしれない。

 まぁ自分でも、絶対に就かない仕事だと思っていただけに、シホの疑問も理解できる。


(自分に劣る人間の面倒なんて――――見る気なんてさらさらなかった)



 いま目の前に居る人物――――シホ・ランドールが自分の前から姿を消してしまうまでは。


「…………言う必要性を感じない」

「いいじゃん。教えてよ」


 こいつは自分の返答に、教職のなんたるかなどを求めているのかもしれないが、そんなことはない。

 ごくごく個人的な、些細な理由だ。


「もしかして学院生活が楽しすぎて離れられなくなっちゃった?」


 それはお前だろう……と、絶賛学院生活を謳歌中のシホに生暖かい目を向ける。


「まぁそれも……なくはない」

「やっぱり!」

「お前といた4年間――――――悪くはなかった」

「…………!」


 シホが目を見開く。

 その顔を見られただけで、この交換留学生の世話などという面倒な仕事を引き受けた甲斐があった。


「まぁその間抜けな顔も見られたことだし――――教えてやらんこともないが」

「!」

「僕がこの学院で講師業なんてやっているのは――――……」


 シホが期待に膨らんだ顔で、目をキラキラとさせている。



「僕みたいな天才が、こうして口を酸っぱくして言い続けないと――――すぐに忘れるからな。ここの連中は」

「?」

「僕に並ぶ天才――――お前みたいな奴が『色付き』にもいたってこと。そうしないとここは頭でっかちの馬鹿ばかり生産する、ろくでもない学び舎になる」


 だから、そうならないために――――そのために僕は、ここにいる。


 ただ、それだけのことだ。




「…………ははっ、あははははっ」


 シホは何がそんなにおかしいのか、腹を抱えて天を仰いで笑い出す。


 壊れたようにずっと――ずっと長い時間笑って、皆が心配になってきたころにスッとその目尻に浮かぶ泪を拭った。


「ほんっとに、アーサー。あなたって……」


 コツン、と。シホが自分の肩に額を預けてきた。


「本当に、どこまでも………………馬鹿ね」


「……馬鹿はお互い様だろう」


 言っておくが、別にお前のためじゃないからな。と、念を押せば、


「ハイハイ」

 と笑って流された。




 そしてそんな様子を、車内から複雑そうな表情であの王子が見つめてくる。



 それがなんだかとても清々しく――――秋の空のように心地良かった。







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