↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
影越しの使い 仮面の問い  作者: 月城玉菜
第三章 月隠れの声

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/45

第三話 旅立ちの道(後編)

第三章 月隠れの声


第三話 旅立ちの道(後編)


「下がっていろ!」


 鳴海武元の怒声が響く。

 暁狐は言われるまま、木の陰へと身を引いた。


 霧の中で、剣が交錯する。

 鋼が打ち合う音、荒い息遣い、足を踏み込む地の響き、そして、血の臭い。何かが空を切る音もする。


 それらすべてに混じって、自身の鼓動がうるさく響いていた。


 剣を、持っていた。握っていた。

 だが、抜けなかった。


(動けなかった)


 足が動かなかったのは、剣を抜けば何かが『壊れる』気がしたからだ。そんな、得体の知れぬ予感が胸を縛っていた



(見ているだけだ。また……)


 あの日を思い出す。

 母を、守れなかった夜。

 庄太の手を、ただ握ることしかできなかった自分。


 今も同じ。

 目の前で誰かが斬り合っているのに、自分はまた、ただ立ち尽くしている。


 そのとき──面の奥に、声が響いた。


──けれど、それが『お前』だ。何もできぬ者。面だけが、お前を形作る。


 静かな声だった。冷たいが、怒りでも嘲りでもない。

 まるで、『事実』を告げるだけのように。


 暁狐は唇を噛んだ。

 指の中で、柄が震えていた。

 草を揺らす風の音ばかりが耳を打つ。



 刃が交わり、一人が斬り伏せられた。

 鳴海が返り血を浴び、忠晃が息を呑んだ。

 残る者たちは警戒しつつも、一歩、後退する。


 そのとき──


 霧の奥から、新たな走ってくる足音が響いた。


 すうっと空気が変わる。

 現れたのは、濃藍色の外套に身を包んだ男。それは白鐘清雅であった。


「遅くなったな」


 そう呟いた瞬間には、すでに鞘から太刀を抜いていた。


 踏み込む。

 風が鳴った。一閃──

 それだけで、一人を沈めた。


 残る一人は目を見開いたまま後ずさる。


「お、おい……面の……」


 震える声が漏れる。

 清雅は太刀を静かに下ろしながら言った。


「面を狙うなら、我が相手だ。……この子は、守るべき『我が子』だ」


 面の奥で、何かが揺れた。


「……ち、ちくしょう……また会おうぜ、『仮面の小僧』!」


 捨て台詞を吐き、最後の一人も霧の中へ逃げ去っていった。


 静寂が戻る。

 風が霧を流し、枝葉がざわめいた。

 残されたのは、剣の余韻と、血の匂い。


 暁狐は、木陰でじっと身を縮めていた。



 鳴海武元が振り返った。

 血に濡れた剣を静かに下ろし、暁狐の方を見た。

 その目に、怒りも責める色も浮かんでいなかった。



「……無事で、よかったよ」


 そう言った声は低く、温かかった。


「なぁ、剣ってのはな。……振るわなきゃならん時もある。だが、振るえなかったってことは、それだけ『自分』と向き合ってたってことだ」


 武元は刀を鞘に収めると、それ以上は何も言わず、踵《きびす》を返した。


 そして清雅が、ゆっくりと暁狐の前へ来た。

 面の前で立ち止まり、ただ一言、問いかける。


「……暁狐。立てるか?」


 暁狐は、こくりと頷いた。

 膝に力を込める。少しよろめきながらも、なんとか立ち上がる。


 その背に、清雅の手が添えられた。


 温かい掌だった。

 冬の冷えを、心の芯まで融かすようなぬくもり。


 その夜、一行は峠を下った先の宿へと身を寄せた。


 面のまま、暁狐は床に就かず、縁側に座って夜空を見上げていた。


(結局、何もできなかった……)


 心の奥に沈むその想いに、あの『声』が静かに応える。


──いや。……見ていた。感じていた。それは、『始まり』だ


 それは、かつてのような冷たい声ではなかった。

 面の奥から、優しく響くような音だった。


 そして、もう一つ。


「……剣を抜けなかったことを、恥じるな」


 その声に振り返ると、そこには清雅がいた。

 薄手の羽織のまま、そっと傍らに腰を下ろす。


「『抜かぬ剣』もまた、強さだ。……心が向かう先を見極めぬうちは、抜かぬがよい。お前は、それを理解していた。だから、抜けなかった」


 暁狐は黙って頷いた。

 面の奥で、目を伏せる。


「『誰かを守る』とは、ただ斬ることではない。己を知り、問いを抱え、それでもなお剣を持とうとすることだ」


 その言葉が、深く、静かに胸に染み込んだ。


 清雅は、面越しに、その奥を見据えるように目を細めた。


「今日のお前は、『進んだ』。……一歩、確かに」


 暁狐は、自分の手を見下ろした。

 小さな、けれどしっかりと剣を握る力を持った手。


 その手に、まだ血はついていない。

 だが、冷たさも、恐れも、少しずつ消えていく。


 面の奥で、初めて、言葉が生まれた。


(これは『自分の旅』だ)


 面の下で、声にならぬ言葉がそっと響いた。

 守られてばかりの旅ではない。

 怯えていた過去に立ち返る旅でもない。

 問いを抱えたまま歩く、自らの意思による旅。



 たとえ面をつけていても。

 誰かの目に怪物と映ろうとも。


 それは、何よりも強い支えだった。

 面と共に歩む旅が、静かに、そして確かにここから始まるのだ。


 暁狐、十五歳晩冬。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
武士の立ち居振る舞いから、心構えのような描写からは、非常に内省的な印象を受けます。 とても精神的で、それは海外文学などでは表現されない、日本独自の和の精神なのかと……そう強く感じました。 展開とし…
ピンチに駆けつけてくれた清雅さんに痺れました。今回は剣を抜かない選択をした暁狐くん。清雅さんの言うとおり。それもまた、彼の成長に必要なことなのでしょう。迷いを捨てた暁狐くんは強くなるでしょうが、今の迷…
2025/05/29 20:26 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。