逃走
モダミール伯爵家での暮らしも数えてみれば25日が経ってしまった。植物園に行った後から娘は俺に恋人のような関係を強く求めてきたりしたがその場逃れの嘘をつきやり過ごしている。
そろそろこんな暮らしにも限界がきていたときにザジトから逃げ去る計画を聞けた。
「フィル、待たせたな。俺達は新しい雇用主が決まったからモダミール家とはおさらばだ。そのついでにお前を逃す。決行は明日、俺と一緒だと目立つかもしれないからお前はライロに任せる。服や金、馬や武器も用意してあるから心配するな。ライロは分かるな?」
「話をしたことはないが、顔は分かる」
「そうか、明日の夜0時に屋敷の裏庭に門があるからその場所へ来るんだ。そのあとは西のライゼンに入りニルセンブリナへ帰れよ。ライゼンの国境付近まではライロが送るからあとは自力で何とかしろ」
「分かった、ありがとうザジト。ライゼンには兄がいるから大丈夫だ。やはり直接祖国には帰れないか…」
「まぁな、国境付近はこの国の兵士が大勢いるから危険な賭けになるよりはいいだろ?お前には世話になったし気が合いそうだ。せっかく助けたんだから祖国に帰っても元気でいてくれよな。殿下には伝書鳥で知らせておくから心配するなよ」
「ザジトには本当に感謝しているよ。いつかニルセンブリナに帰ってきたら酒でも飲もう!」
「へへっ、約束しよう!」
翌日、いつも通りに過ごすように注意を払い日付けが変わる0時にこっそりと裏庭の門へ行き小声でライロを探す。
「ライロ、フィルだ。どこにいる?」
「フィル、こっちだ。すぐに出発するぞ」
詳しくは教えてもらえなかったが、ザジトは40代でライロは30代に見える。ライロとは初めて会話をしたがザジトと雰囲気が似ていた。
抜け道を通るから付いてこいと言われて暗闇の町を走り郊外の一軒家に着くと馬が2頭用意されていた。手早く着替えて武器を装備し、衣囊に渡された金をしまい馬に跨り出発する。さすが密偵だけあって準備が完璧だ。
「ライロ、国境まではどれくらいかかる?」
「そうだな…休憩を含めたら4時間くらいか。日が登る前に着くよ」
ライロと2人で馬を全速力で走らせて小さな川のある森に入り馬を休憩させた。
「おい、月明かりがあるからまだ視界は確保できるが薄気味悪いし物騒だな」
「お前、近衛だから野営は慣れていないのか? 俺達はいつもこんな感じだぜ。この場所は獣も出ないし盗賊も出ないから安心しろ」
「獣が出ないのは助かるが盗賊が出ないのはなぜ分かる?」
「そりゃ、この近辺にある村はこの国で一番貧困地帯だからだよ。食うものにも困っているのに金目の物なんてないからな。それに村からみんな出ていってしまったから廃村の状態に近い。狙うとしたら商人だが、商人でさえ半年に一度通るか通らないかだよ」
「そうか、そんなに貧困が……」
「俺は密偵だから仕方なくこの国にいるけど祖国に帰って普通に暮らしたいと考えているよ。まぁ、他の国なら帰りたいと思わなかったかもしれない」
「ザジトもそうなのか?」
「さあね、お互い結婚もしないで自由にしているからザジトには聞いたことがないけどそうなんじゃないかな」
「ザジトと別れるときにニルセンブリナに帰ってきたら酒を飲む約束をしたからライロも来いよな」
「そうだな、その時がきたらよろしく。勿論フィルのおごりでな!」
休憩を終わらせて再び馬を走らせ暗闇が明るく変わる頃、やっと国境の砦の前に着くと俺はライロが予め用意していた通行証を渡される。
「この通行証を見せて国境を越えるんだ。ライゼンまでは行けないからここでお別れだよ。フィル、元気でな。酒の約束忘れんなよ」
「ありがとうライロ。本当に感謝している。ライロとザジトと酒を飲む約束は忘れないから楽しみに待っているよ」
こうしてライロと別れ国境を無事に越えた。ライゼンの王都を目指して馬を走らせ到着したが夜になってしまったので近くの町で宿を取る。
宿の主人にライゼン王都の地図を見せてもらいシャノアール伯爵の屋敷を探した。シャノアール伯爵家は母方の親戚であり兄のデュークはライゼンに留学するときからシャノアール伯爵家の屋敷で世話になっている。
デュークとは2年ほど会っていないが明日屋敷を訪ねてみることにするが突然の訪問は驚くだろうな。
翌朝、シャノアール伯爵家の屋敷前に着くと門番に早速止められたので馬から降りて話をする。
「私はメンデス伯爵家のフィルバート・ギサ・メンデスと申します。兄のデュークがこちらの屋敷でお世話になっておりますので訪ねて参りました。どなたかにお取次ぎをお願いします」
門番は俺の見た目から不審な人物だと思っているようでなかなか取次いでもらえない。そこへ屋敷の玄関から馬車が出発し門へ向かってきて俺に近づくと止まった。
「フィル? もしかしてフィルか?」
「はい、兄上。ご無沙汰しております」
「フィル、その服装は…どうしたんだ?」
「説明すると長くなるのですが兄上はこれから外出でしょうか?」
「まぁ、そうなんだけど出かけている場合ではないな。とりあえず屋敷に入ろう」
馬を門番に預けてデュークと俺が玄関に着くと執事が慌てて出迎えにくる。
「デューク様、先程外出なさったのでは?」
「その予定だったけれど弟のフィルが突然来たから外出は次回にするよ」
「初めまして、フィルバートと申します」
「初めまして、私はシャノアール家の執事でロードと申します」
「あら? デュークは外出予定ではありませんでしたか?あなた……まさかフィルバート?」
「はい、ご無沙汰しております、リリアナ様。兄がいつもお世話になっております。突然の訪問とこのような服装で申し訳ございません」
「何か事情があるようですね。とりあえず応接室に行きましょうか?」
リリアナ様、デュークと俺で応接室に入る。
「フィル、お前近衛隊の仕事はどうした?」
「兄上、話は長くなりますが私は今でも近衛隊です。メッシュバルンときな臭くなり殿下に同行してパイゼン領に行きましたが不審者を発見し追跡したところ乱闘になりました。不覚にも矢で撃たれてしまい、意識が朦朧としたところであの国へ連れ去られてしまったのです」
「何? ではフィルはメッシュバルンからライゼンへ来たのか? それに捕虜だと嘸かし酷い目に遭っただろうな」
「それが…捕虜にはならなかったのです。俺を捕まえた不審者達はメッシュバルンの貴族に雇われている者でした。その男達の中の2人はニルセンブリナの密偵であの国に潜入していたのです」
「フィル…まさか自国の密偵に捕まったのか?」
「はい、お恥ずかしい話ですが仰る通りです。密偵の男2人は俺の徽章を見て殿下の近衛兵だということが分かりその場で殺さないようにしてくれたのです。その後は隙を狙ってニルセンブリナに帰るつもりでしたがある依頼を密偵から頼まれたのであの国に滞在しました」
「危険な目に遭ったのにも関わらず生きていてくれて本当に良かった。ところで密偵はフィルに何を依頼したのだ?」
「はい、詳しくは話せませんが雇い主の貴族の家に上手く取り入り娘を篭絡させ有力な情報を引き出すことでした」
「な、なんだそれは…だが、ここにいるということは上手く引き出せたんだな」
「はい、娘には嫌悪感しかありませんでしたが祖国を思い我慢しました。情報は得たのですでに密偵に報告してあります。それから逃げ去る計画を立てて機会をうかがいニルセンブリナに直接帰ってしまうのは危険でしたからこうしてライゼンに来ました。突然すぎて申し訳ございません」
「大体の事情は把握しました。安心なさい、主人が帰ってきたら改めて今後どうするかをお話しましょうか」
「「よろしくお願いします」」
俺は来客用の部屋に案内されたのでシャノアール伯爵家の当主が帰って来るまで休息することにした。




