父の心境
フィルが国境へ行ってから14日が経ちエミルが覚えていられるのも限界にきているな。最初の2、3日はぼんやりしたり急に泣きそうな表情をしていたり食も細くなったので見るに忍びなかった。
仕事に没頭できるように配達などの用事を頼むと少しは気が紛れたような様子だ。俺とマリアはできるだけ自然に振る舞いフィルの話題をエミルがしてきたときにはじっくりと話を聞いてあげるように心掛けた。すると次第に落ち着いてきて明るさが戻ってきたと感じている。
丁度その時にメンデス家の執事ロダンさんが我が家に来てフィルからエミル宛の手紙を持ってきてくれた。
「ナジェルさん、こんにちは。フィルバート様からエミル様への手紙をお持ちしました。フィルバート様は現地に無事到着なさっておりますが、現地から手紙を送る際は検閲官を通して一度宮殿に送ります。メンデス家に手紙が届いたのも昨日でしたので遅くなりまして申し訳ございません」
「こちらこそありがとうございます。エミルに渡してやりたい気持ちはあるのですが記憶がなくなるときが遂にきてしまいました。エミルがフィル君のことをまだ忘れていないようでしたら渡しても良いのですが私に判断を任せてもらえませんか?」
「はい、旦那様と奥様には私からナジェル様のお気持ちを伝えておきます。それではよろしくお願いします」
ロダンさんは帰っていったがフィルの手紙をエミルに渡すべきかまだ判断がつかないのでマリアに相談することにする。
「マリア、今さっきロダンさんがきてくれてフィルからエミルへの手紙を預かった。でもな、最近は落ち着いてきたから渡して良いかが分からん」
「そうね、残念だけどエミルの記憶はもう限界だわ。私はご飯も食べなかったりベッドの上で寝ながら泣いていたりするのを見ると辛くて心配よ」
「ロダンさんには手紙を渡す判断は任せて欲しいと伝えたのだがどうするべきだろう。エミルを優先に考えるとこのまま忘れたほうがいいとは思うのだが」
「今エミルに渡してもフィルさんが帰ってこないといずれ忘れてしまうわ。私はエミルのことを考えるとね…渡さなくても同じではないかしら?」
「まぁ、そうだな。フィルには申し訳ないが渡すのはやめておくか…フィルもエミルが忘れてしまったときには初めからやり直すと言っていたから納得してくれるだろう」
「本当に申し訳ないとは思うけどなかなか帰ることはできない様子だし仕方ないわよ」
「分かった、エミルに手紙は渡さないことにする。マリアがロダンさんに聞かれたときにはそのように答えてくれ」
フィルには申し訳ないが手紙は俺の手元に保管することにする。次の日の夜、エミルからフィルのことを聞かれて一瞬驚き慌ててしまったがどうやらメイがエミルに聞いたらしい。
咄嗟に話を合わせて俺の知り合いだと答えたが2人に対してやるせない気持ちでいっぱいになる。
早く嫁に出すのは嫌だったがフィルのことは俺も信用できるし恋人で良かったと思っている。
エミル、お前は毎日キャンディの瓶を抱きしめて寝ているが本当に覚えていないのか? フィル、お願いだから早く帰ってきてくれ……。
トムは頻繁に私に会いに来てたくさん話をしたり、休みがあると私を誘って色々な所に出かけたりするようになった。今日はメイも誘って茶菓子店に行き3人でお茶をする。
「エミル、種類が沢山あるけど何のケーキを食べようか? うーん、迷っちゃうわ」
「私、茶菓子店のケーキを初めて食べるから分からないの。メイのおすすめは何?」
「そうね、生地の中に果物とクリームが間に挟んであるのがさっぱりしているわ。あとは…チーズを使ったケーキが濃厚で美味しいわよ」
「最近、前より食欲がなかったし両方とも美味しそうだけど2つも食べられない…」
「トムは何がいい?」
「俺は甘いものが苦手だから2人で好きなだけ頼んでいいよ。女性は甘いものが好きだよね」
「そう、トムは甘いものが苦手だったのね。エミル、私と半分ずつにしない? そうしたら2つの味が楽しめるわ」
「2つ…半分ずつ…」
「どうしたの? もしかして嫌だったかしら」
「ううん。すごくいい案だと思って感心しちゃっただけよ」
「そうでしょう! エミルは小食だからいい案よ」
「ありがとうメイ。半分ずつしよう」
メイが注文してくれている間、また息苦しくて胸が痛くなるから私は病にでもなってしまったの?
「エミル、どうしたの? なんだか店に入ってから元気がないね」
「トム、私ね最近変なの。突然息苦しくなったり胸が痛くなったりするんだけど原因がわからないから悩んでて」
「息苦しくなって胸が痛くなる?」
「うん、今もそうだったけどずっと続くわけではないの。不思議でしょう?」
「……エミル、それは気のせいよ。だから気にしない方がいいわ」
「それならメイも同じようになったりする? 私、何か病にかかっているのかもしれない」
「あ、あるわよたまに。一時的なものでずっと続かないから気にしないでいいわ。大人になったら誰でも一度はあることだからエミルは心配しなくてもいいの」
「そう……じゃあ、トムもあるの? 男性と女性は違うのかな?」
「トムもあるわよね、そうよね? ね?」
「あぁ、あるとも。病…ではないから気にするな」
「そっかぁ、すごく心配しちゃった。このまま自然に治るのね?」
「「治るよ!」」
2人も胸が痛くなったことがあるなら私は病なわけではないから安心した。でも…変な症状だし家に薬もないので困るから嫌だわ。早く治るといいな…。
夕方、自宅に帰った私は初めて食べた茶菓子店のケーキの話を両親にする。
「お母さん、茶菓子店のケーキは見た目も綺麗だしすごく美味しくて驚いちゃった! 初めて食べたけどまた食べに行く約束をメイとトムとしたんだ。本当に感動したわ」
「そう、良かったわね。お母さんは何回か食べたことがあるけど最近は茶菓子店に行っていないわ。今はケーキの種類も増えたでしょうね」
「エミル、トムは誰だ? メイの交際している男か」
「お父さんも覚えてないの? メイが教えてくれたんだけど幼馴染みで私とメイそれにトムとサニーでよく遊んでいたんだって。トムとサニーは引越してしまったんだけど最近トムは王都で働くことになったみたいだよ」
「あぁ! あのガキどもか思い出した。トムは王都に来たけどサニーはいないのか?」
「サニーは引越ししてから誰とも連絡を取っていないから行方がわからないみたい。私はトムとサニーのことも覚えてなかったの…でもね、トムは覚えていない私とも仲良くしてくれるから今日はメイも誘って茶菓子店に行ったんだ」
「そうか。エミルは会って楽しかったか?」
「うん、楽しかったよ。2つのケーキをメイと半分ずつしてね、今度茶菓子店にまた行ったら…また……」
楽しかった話をしていたのに私は涙が出てきてまた息苦しくて胸が痛くなる。
「あらあら、エミルどうしたの? 何か嫌なことでもあったのかしら…」
「ううん、楽しかったし嫌なことはなかったけど何で涙が出てくるんだろう? それに最近変な症状が出るから困っているの…。でもメイとトムに聞いたら大人になってから2人もなったことがあるって言ってたから病ではないわ」
「そう、変な症状ね…。それは疲れたのかもしれないから少し休んだほうがいいわ。夕食の準備はお母さんがしておくからエミルは手伝いをしないでベッドで横になっていたら?」
私はお母さんに言われて部屋に行くことにした。ベッドに横になると昨日の夜抱いていた飴の入った瓶があったのでまた抱きしめたら自然に落ち着いて涙が止まったの。私にとってどうやらこの瓶は安心できる存在みたいでそのまま朝まで眠りにつきました。




