求婚
母が夕食に招待する話をしたときには表情が曇ったように思えたが、次第に会話が弾み普段通りのエミルに戻ったので安心した。
「お姉さんはお腹の中に赤ちゃんがいるのですか?」
「そうよ、2ヶ月入ったところなの。5ヶ月くらいになったら赤ちゃんも沢山動くようになるわ。今はまだ安定期ではないからたまに実家に帰ってきてのんびりしているのよ」
「私も近所のおばさんにお腹を触らせてもらったことがあります。話しかけると返事をするみたいに動いて不思議でした」
「動くようになったら触りに来てね。エミルちゃんは子供は好きかしら?」
「はい、とっても大好きです。お母さんは昔、体が弱くてお父さんは仕事でいない日が多かったので兄弟がいないと両親に言われました。私は健康な体なのでお母さんになったらたくさん子供が欲しいです」
ブボッ、俺はお菓子を口からを思わず出しそうになってしまった。
「あら、エミルちゃんはたくさん子供が欲しいのね。それならフィルにお願いしたらいいわよ」
「うーん、フィルさんにお願いですか? あっ! 夫婦が仲良くしていると子供を授かるとお母さんから聞きました。お姉さんは旦那さんととても仲良くしているのですね」
「エミルちゃん…もしかして。仲良くすることも大切だけれども結婚してからもっと夫婦の仲良い方法をフィルに教えてもらいなさい。フィル、聞いていましたか?」
「あ、あぁ…聞いていましたよ」
「フィルさんにですか? そうなれたら私に教えてくださいね、よろしくお願いします」
「エミル、そのときには優しく教えてあげるから何も心配しないでいいよ」
「「おほほほ」」
「母さんと姉さん。エミルが混乱しますから余計なことは言わないでください」
「フィルがエミルちゃんを大切にしていることもわかりましたので余計なことではありませんよ? それよりもエミルちゃんのご両親には挨拶を済ませているのかしら?」
「ご両親とは頻繁に会っていますが、そのような挨拶はまだしておりません。その前にエミルにもまだ…」
「エミルちゃんにもまだなの? まあ、真剣に交際していると聞いていたのに焦ったいわね。先に進みたいならきちんと筋を通しなさい。私が気に入ればお父様には話をしておきますから心配無用よ」
「はい、ありがとうございます!」
「エミルちゃん、今度来るときには主人とも会って欲しいですし、夕食も招待するからゆっくりと過ごしましょう。この屋敷に泊まってもいいのよ? そうだわ、フィルが使っていた部屋を見てみるといいわ。」
「はい…」
「あらあら、一度にたくさんお願いしてしまったから混乱してしまったかしら」
違うエミルは多分、記憶のことが気になっているんだな…。
「母さん、お伝えしたいことがあるのでエミルをメイドに部屋まで案内させてください。」
「あら、何かしら? ではクラリス、エミルちゃんをフィルの部屋まで案内してあげて。エミルちゃん、少しだけ部屋で寛いでいてね」
クラリスという名のメイドに連れられてエミルは俺が使っていた部屋に向かい立ち去ったのを確認する。
「母さん、実はエミルの件でお伝えしなければならないことがあるのですが、詳細を話すには時間がかかりますので日を改めます。日時は手紙でお知らせしますのでよろしくお願いします」
「何かしら…気になりますが連絡がくるのを待っています。エミルちゃんを待たせているからあなたも早く行きなさい」
とりあえず母に後日話があることだけ伝えて急いで俺が使っていた部屋に行く。ソファーに座って待っていたがなぜか項垂れて背中を丸くしている。
「お待たせ、何かをあったの?」
「フィルさん! ううん、何でもないよ。慣れない雰囲気だから少し疲れちゃっただけ…」
「それならいいけど。あれ? ここまで一緒に来たメイドはエミルを一人にしたのか?」
「メイドのお姉さんはすぐいなくなったから一人で待ってたの。それにしてもお部屋は大人の雰囲気で素敵な家具が多いね。私の部屋とは全く違うし男性の部屋を見たのも初めてよ。」
「そうかな?部屋は飾り気もないし家具もカーテンも大人な色合いの紺色だからね。」
「うん、フィルさんの印象に合ってるし貴族のお部屋な感じがする。家具が装飾されているから部屋を飾ったりしなくてもとっても素敵だわ!」
「今度泊まりに来たらこの部屋で僕と一緒に過ごそうか?」
「うん…」
また項垂れて下を向いてしまったからやっぱり様子が変だ。記憶の件が気になっているだけか?
部屋を出て母や姉に別れの挨拶をしてメンデス家の送りの馬車に乗ったが更に元気がなく沈んだ表情になって無言だ。
「どうしたの? なんだか元気がないね。お茶会は楽しそうにしていたし、母や姉とも仲良くしていたから原因は記憶のことかな?」
「はい、お茶会は楽しかったですしフィルさんのお母さんやお姉さんもとても優しくて大好きです。あんなに親切にしてくれたのに覚えていられないから申し訳なくて」
「そうか。少し馬車を止めて寄り道してもいいかな?」
「はい、分かりました」
俺は御者にお願いして実家の近くにある植物園に寄ってもらい馬車を一旦降りた。
2人で植物園に入りゆっくり散歩をしてから噴水前のベンチに座ることにした。
「この植物園は家族でよく遊びに来て小動物も住んでいるから発見すると兄弟で追いかけ回していたよ。
母さんもお淑やかに見えるけど活発な人で子供達の後をついて回ったりする人だった。
それに昔から人の好き嫌いがはっきりしている人なんだけどエミルのことはとても気に入ったと思うよ。
だからね、エミルが心配していることは僕が家族に何度でも説明するからきっと理解して受け入れてくれる」
「ううん、フィルさんや皆さんにも迷惑かけてしまうから記憶障害のことは説明しないで欲しいの。今日のことは覚えていられるまで楽しかった思い出にするわ」
「僕も家族も迷惑なんてかけられてないよ。それに記憶障害のことは話してみないとわからないじゃない。これから先も共に生き一緒に暮らして幸せな家族を作りたいんだ。エミル愛してる、僕と結婚して欲しい」
「フ、フィルさんは平民の私よりも貴族の人と結婚した方がいいよ。私とフィルさんでは釣り合わないから結婚はできない」
「今まで釣り合わないなんて考えたことはなかったよね? 急にそんなことを言い出すなんておかしい」
「何もないよ。フィルさんの屋敷に行ってみてそう思っただけだから」
エミルは顔を逸らしてしまう。急に態度が変わるなんて納得できない。
「僕が知らないところでエミルが傷ついているなら耐えられない。何があったのか正直に話して、お願いだから」
「メイドのお姉さんに…、平民の私が貴族のフィルさんと交際するのは相応しくないとか色々言われて気がついたの。私の考えが甘かったから平気で傍にいるけど世間では違うみたい。言われたことも納得したし今まで知らなくてごめんなさい」
「部屋まで案内したメイドが?」
「私が世の中を知らないから駄目なだけでメイドのお姉さんは何も悪くないの。それから…、私はフィルさんと会えるだけでも幸せだから交際するのは終わりにする」
「僕の言葉よりも初めて会ったメイドの言葉を信じるの? 僕にはエミルしかいないのにエミルはそうではない? 交際を終わりにしたいなんて聞きたくないよ。それとも僕が嫌いになったの?」
エミルは項垂れながら首を横に振り大粒の涙が落ちている。
「交際も結婚もしたくないと言っても他の人は要らない。エミルを失うなんて自分を失うことより苦しくて悲しい。僕を愛してくれているなら余計なことは考えずにこれからもずっと傍にいて」
「私もフィルさん以外を好きになれないけどやっぱり駄目だよ…」
「エミル、愛してる。自分の気持ちに素直になって」
「平民の私はフィルさんに相応しくないのに本当にいいの? 記憶障害もあるのに後悔しない?」
「勿論だよ、エミルが良いし一切後悔はしない。平民だとか相応しいかなんて誰かの意見を聞く必要はないし僕達2人が決めることだ。返事は?」
「はい、私もフィルさんを愛しています。ずっと傍にいて一緒に家族を作りたい!」
俺は求婚を受け入れてもらえて愛情が溢れ出し腰を引き寄せ涙を拭うように頬を優しく撫でた。自分の唇をエミルの顔の至るところに軽く口付けて最後は唇まで近づくと愛を込めた深い口付けを何度も繰り返した。
別れるなんて言われたときには胸が潰れてしまいそうなほど悲しくなったのもあり思わず濃厚な口付けをしてしまった。
そういえばエミルは子供の授かる方法を知らないのだったな…。
エミルはやっと明るい表情を取り戻し、待たせていた馬車に乗り込み自宅へ送る。
ナジェルさんとマリアさんに後日改めて挨拶に伺うことを伝えたところ、すでに内容は察知している様子であった。
今日の求婚記念に衣囊にあるミントキャンディを全てエミルに渡すと手のひらで大切な物のように受け取った。
これで婚約してから結婚できるな。ん? 貴族同士でないわけだからいきなり結婚をしては駄目なのか? 婚約なんかしなくても…。
いや、駄目だ。焦ってはいけないし結婚するためには筋を通さないと。
今日は初めて一切照れたりしないでエミルが俺に「愛してる」と言ってくれたし、結婚を受け入れてくれたあとの口付けは最高に気分が良い。
自分がこんなにも夢中で女性を愛せるなんて思っていなかったので正直なところ驚いている。




