静菜が召喚された十年後
私は環境省に務めて十年となり、半年前に長く政権を担っていた母の親友である総理大臣は勇退する事になった。
今のところ、後任は静菜を助けてくれていた一人に交代しており、反対勢力によって法律が捻じ曲げられると言う事はない。
現在の私はと言うと、先月の三月末付けで退職する事になった。
しかし、これは前総理からのお願いであり、私の後釜に議員をやってくれ、と言う傍から見ればある意味では世襲による交代とも言える。
現状、私は無職であり、次の選挙をやる際は彼女の区の公認候補として出馬する事が決まっている。これは二十年前から助けてくれた一部の大臣にも情報が行っており、出馬の際には全面的に支援をしてくれると言う事だった。
普通であれば、前総理の子供が世襲議員として出るはずだが、彼女は未婚で実子も養子も居ない為、私を子供代わりとして推薦してくれると言う事である。
そんな私は来月で三十七歳となり、母は去年の大晦日に引退試合をもって現役を退く事となり、現在は後進の指導に励んでいる。
そんな私は今、自宅で書類整理をしていると、玄関に車が停まる音がした。
少しして、玄関のインターホンから通知が来る。私はモニターを確認すると
「千城美結さん、少し話をしたいのだけど、よろしいかしら?」
モニターに映っていたのは前総理である。
「お久しぶりです、どうぞお入りください」
時期的に考えると、数ヶ月先に任期満了による衆議院の総選挙と言う事で話に来たのかもしれない。とりあえず、私は彼女を家に上げる。
「お久しぶり、元気してた? 今日は色々と話したくて、あなたに会いに来たの」
私はリビングにある背もたれ付きの黒革の椅子へ座るように案内した。
「ありがとう、あなたも椅子に座って話を聞いてくれるとうれしいわ」
彼女の言葉に従い、私は彼女と対面に位置する合成皮革のベンチチェアの中央に座る。
お互いに座った後、私は席を立って台所でコーヒーを淹れ、小ぶりな持ち手と飲み口が金製の白いティーカップとソーサーを持って前総理、私の順でテーブルに置いた。
「ありがとう。美結さんとこうやって、対面で話すのは、半年ぶりね」
総理大臣として勇退する前に対面で話し、彼女の後継候補として話を持ち出されて以来になる。
「時々、総理とやり取りしていましたが、今日はどのような御用向きなのでしょうか?」
ただの連絡であれば、わざわざ家の来る必要はないはずだ。きっと、出馬の話以外に何かあるのだと思う。
「私は今期限りで議員を引退しようと思うのだけど、あなたには是非、私の後継候補として出馬して欲しいの。でも、今日の話はその事ではないわ」
だとすると、何の話に来たのかはあまり分からない。そして、彼女にどのような情報が届いているかも不明な為、聞き出すしかない。
「現総理と何かありましたか?」
彼女は首を横に振って否定する。
「むしろ、彼は貴女を評価してるわ。当選できたなら何かポストを、と考えてるみたいだし……萌さんから何も聞いてないの?」
萌と言うのは、私の母でリングネームでは〝ブルーキル千城〟と呼ばれていた為、この呼び方をするのは父と彼女しか居ない。現総理も名前呼びをすると言うのはあり得ない。
「母に何かありましたか? 今日も特に変わった様子はございませんが」
いまいち、意図が不明でどう聞いて良いのか分からない。しかし、彼女から出てきた言葉は
「今日の昼に萌さんから連絡があって、異世界に行ける方法が出来たから美結さんに伝えて欲しい、と若い男性から連絡があったみたいなの。名前は分かるだろうから貴女に聞いてみてと言う事だったわ」
どうやら、第三皇子が異世界に行く方法を編み出した、と言う事で間違いない。
「それで美結さんは議員になってしまえば、おそらくは何かしらの副大臣に推すでしょう。そうなればもう、旅行の類は諦めてもらう事になるから、今の内に静菜さんに会うべきよ。後、彼女の子達も居るのでしょう? だったら、ここで行かずにいつ行くの」
それは人生最後になる可能性の高い、異世界旅行への勧めだった。
「そうですね、あれから十年も経ちますし、静菜がどうなっているか気になります。それで、異世界に行く為の手順などは何かお聞きしているのでしょうか?」
ここまで踏み込んだ話をすると言う事は、何か聞いているはずだと思う。
「実は萌さんから話を聞いた後、あちらの三国の王に映像越しで話をしたの。特にブンターヒンメル? は我が事のようにお喜びになっていたわ。途中から顔を出した教皇も『いよいよ、名実共に異世界の女史になる日が近づくのですか、こんなに喜ばしい事はありません』とそれはもう大層に」
彼女は話をした時の事を思い出しながら目を細めている。ただ、異世界に踏み入れる事は良いけど、方法を明確に知っている訳ではないので、聞いてみる事にした。
「今まであちらの世界に行けなかったのは、物理的理由になります。具体的な方法を知っているのであれば、お教え願います」
「昨日、私の知らないところで萌さんが何か渡されたみたいなの。彼女が帰宅してから、その何かを受け取れば、すぐに移動する手段が分かるのではないかしら」
静菜に関係した国の誰かに渡された何かを母から受け取ればいいらしい。だとすれば、今はその時を待つしかない。
「実は静菜が結婚してから、いつかは会ってみたいと思っていました。でも、それが出来ずに気づくと八年も経っていて……そうですね。出馬前の最後の旅行と、日本で応用できそうな事柄があれば参考にしてみたいと思います」
すると、彼女は笑顔になって
「さすが私が見込んだだけの事はあるわ。異世界の土産話も期待してるから、是非とも見聞の目的も達成できるように応援してるわ」
早くも出馬からの当選後の流れまで、私の未来を思い描いているようだ。
それから三十分ほど、私達は二十年間に起きた事を雑談して話は終了となり、彼女は家から車で出て行った。
しばらく時間が経ち、午後八時に母が自宅に戻ってきた為、午後三時頃に来た前総理との話の件を伝える。
「あの世界に行けるようになる何かをお母さんに渡してるみたいって事だったけど、何を渡されたの?」
私の部屋では魔法を使う事はできるけど、異世界転移の魔法はどう足掻いてもできそうになかった。十年前からは結局、映像越しでしか、あちらの世界の人達と話した事はない。
「静菜の結婚式に居た黒いフードの少年、いや、今は大人になってるけど、確かその、第三皇子から昨日の夜、急に映像越しで連絡が入ってきてねぇ。そしたらこれをくれたんだよ」
そう言って、母は私に黄色の立方体を私の右手に渡す。
「これはここから、あの世界に行く為の物だと言って美結に渡してくれと言ってきたんだよ。それから『十年も掛かって申し訳ございません。やっと、貴女をこの世界に呼ぶ事ができます』って、満面の笑みで言ってたよ」
普段、フードを被っているシュピールがどうして笑顔だとはっきり分かるのかは不明だけど、母については人の感情を読み取る事が非常に上手い。それはともかく、後は使い方を知るだけになる。
「ああ、それは魔法を使っても安全な空間で、それを印が前になるように向けてから、魔法を念じれば上手く行くと言ってたねぇ」
使い方は随分と簡単だけど、問題は安全な空間になる。なぜなら、家にはそのような安全な空間がない。私の部屋では魔法が使えるけど、正直、安全と言えるほどの広さは確保できない。
「場所と言う事なら彼女の自宅に空き部屋があるから、そこを利用すれば問題ないはずだよ」
単純に考えれば、前総理の自宅を使わせてもらう方が良いだろう。総理官邸を使用する手段もあるけど、私は総理でも何でもなく、現在はただの無職。であるならば、現総理に迷惑をかける訳にはいかない。
「でも、静菜と会った時は元気にしてるか、顔を見たいと言っていたねぇ」
(もう、総理官邸の入室許可を得て、使わせてもらった方が早いんじゃないかな)
どうやら、現総理の中では静菜との映像越しでの再会は確定してるらしい。今から二十年前、静菜は自宅から保護した際、前総理と当時は大臣の一人として共に助けてくれ、静菜自身も何度か会っているほどだ。彼から見ても姪の一人と言う感じで見てるかもしれない。
「私達って、割と公私混同してるよね」
仕事自体はきちんとやっている自覚はあるけど、昔から多方面で援助をしたりされたりだと、そう思わざるを得ない。
「でも、正式な許可は毎回もらってから行動してるからねぇ」
そう、公私混同と思わせて私達は正式な手続きの下、行動をしている。時々「越権行為だ! 今すぐ解散しろ」と言う声やそれに類似した事は言われるけれど、逆に訴えた側は不正をしている事が公になって、こちらの解散どころか、解党騒動となったり、悪事を企ててる代表が逮捕されたりして自滅してると言うのが常となっている。
「まあ、細かい事を気にしてもしょうがないから明日、しっかりとあっちの世界に挨拶してきなさい」
難しい事になりそうな時は母がこうやって、私の背中を押して、次にやるべき行動を促してくれる。
「そうだね、まずは三つの国のお偉いさんに挨拶しに行かないと」
私は先の事を見据えつつ、今は二人で食事をして、風呂に入ってから寝るのであった。
翌日、私は前総理に許可を取ってから自宅に赴き、空き部屋の一つを使わせてもらう。
「連絡が入ってから、防音や盗撮の類など対策は完璧にやっておいたから、心置きなくやってみて」
(いや、空き部屋の使用許可は今日になって連絡したはずだけど)
彼女の判断力は総理を辞して衰える事はないらしい。
「そんな事はないわ。だから、後任は彼に任せたの」
本音なのか謙遜してるのか、良く分からないけれど。とにかく、私は準備を始める。
やるべき事はまず、部屋の中央に大きく魔法陣のような物を印刷した紙を床に置く。次に予め用意していた諸々の荷物を私の立ち位置の近くに一通り置く。最後に私が中央の立ち位置につき、いよいよ異世界転移の準備が整った。
「いよいよね、あの子にきちんと挨拶してくるのよ」
普通であれば、彼女の言葉は月並みな物だけど、帰還してからの行動を考えると、かなり深い意味になってくる。
「貴女の事も……いえ、現総理と一緒に挨拶すれば良いのでは?」
良く考えれば、現総理が映像越しで挨拶するのなら、同席して挨拶すると静菜が喜びそうな気がする。私の思い付いた提案に彼女は笑顔になって
「それもそうね。今も仲良くやってる姿を見せた方が静菜さんも喜ぶわね」
現在は一般人と言う括りで自身を位置付けていたらしい。前総理と言う肩書きは無い物として扱っていたが為の盲点に気づいたようだ。
とにかく、改めて昨晩に渡された立方体の何かを右手で持ち、印のある面を前に向けた状態で念じて魔法を発動する。次の瞬間、私は前総理宅の空き部屋から姿を消した。




