43.里帰り(4)
結局その日、シャイナは夕飯時にダナンに連れられて帰ってきた。
帰ってきた狐のシャイナをマイルズが優しく抱きしめる。シャイナは得意そうにその腕に納まっていた。
シャイナはマイルズとエイミに小さな狐火もお披露目した後で人型に戻り、マイルズとダナンにもエスカリオットを紹介する。
ダナンは狼のままそっぽを向き、マイルズは微苦笑でその紹介を聞いていた。
実家には1週間程滞在する予定だとシャイナが言い、エスカリオットはシャイナの実家のシャイナの部屋で寝泊まりする事になった。
シャイナはダナンの部屋で寝て、ダナンは狼のまま床で寝る、という事で落ち着く。
そうして、シャイナの実家で世話になって3日が経った。この間、ダナンはずっと狼のままだ。
エスカリオットと口をきくつもりはないらしい。
「ダナン、お客様に失礼でしょう」エイミはそう嗜めるが、ダナンは知らんぷりをして食事も床で食べていた。
エスカリオットは今日もシャイナの部屋のシャイナのベッドで目を覚ます。
ベッドはエスカリオットには少し小さく、淡い黄色の小花柄のキルティングカバーがかかっていて、ここは少女の部屋だと主張はしてくる。だがそれ以外はさっぱりしていて過ごすのに大きな問題はない。
顔を洗い、階下へ降りていくと既に朝食が出来ていた。シャイナの母のエイミは毎朝早起きだ。
「おはよう、エスカリオットさん」
エイミが笑顔で言ってエスカリオットのコーヒーを淹れてくれた。シャイナと違って美味しいコーヒーである。
コーヒーを味わっているとシャイナも起きてくる。エイミはマイルズを起こしに行った。
「エスカリオットさん、今日は私、父にくっついて隣町まで行ってきますね。帰りはお昼過ぎになります」
さっそく朝食を食べながらシャイナがウキウキと伝えてくる。
「分かった」
「ゆっくりしててくださいね」
「毎日している」
エスカリオットは短く返事を返した。この三日間はずっとこのような感じだ。
ラシーンに着いてからシャイナは忙しい。
近所に挨拶をして回り、この付近の森でしか採れない薬草を採りに出掛け、その隙間の時間はダナンに野山を連れ回されている。
ダナンと出掛ける際は、狐になってじゃれ合いながら出かけていく。
正直、狐のシャイナが兄とはいえ他の男とじゃれ合っているのはエスカリオットは面白くはない。
面白くはないが、あと4日もすればまたエスカリオットだけのシャイナになるのだから文句は言わないようにしている。
そしてエスカリオットは、シャイナへの独占欲まで出てきている自分に呆れていた。
全てを捨て、全てを諦め、ただ生きていた筈だったのだが、シャイナを守ろうと思い、シャイナの物になりたいと願い、最近のエスカリオットは、所有欲まで出てきたようだ。
(やれやれ。どんどん強欲になっているな)
エスカリオットは頭を振って所有欲を追い払い、食事に集中した。
さて日中、シャイナに放ったらかしにされているエスカリオットだが、ハン国でも同じような状態だったので不都合はない。
エスカリオットはエスカリオットで、それなりに忙しくしていた。
シャイナがマイルズと出かけて朝の片付けが終わると、エイミがエスカリオットに声をかけエスカリオットはキッチンへと向かう。
こちらに来てから毎日、エスカリオットはエイミにラシーンの家庭料理や菓子を教えてもらっているのだ。
特にシャイナの気に入りの料理は念入りに学んでいる。
恋人の母の手料理をその母から学ぶ日々。
完全に花嫁修業である。
まさか花嫁修業をする日が来るとは。
エスカリオットはそんな自分に驚いているがこれも悪くない。
今日もエスカリオットは手順を黙々とノートを取りつつエイミと共に料理をした。
ラシーンの伝統料理は鹿肉や猪の肉を使ったものが多く、その臭いを消す為に果実を用いる。
これらのレシピは、戻ってエイダとマッドに教えてやれば喜ぶだろう。
そして、そんな花嫁修業の合間にエスカリオットは検問所の兵士達に稽古もつけてやっている。
ラシーンに来た翌日より、兵士達の間でエスカリオットがこちらに居る事が噂になり「是非、手合わせしてくれ」とやって来るようになったのだ。
体を動かせるのはいいのだが、彼らは乗ってくると狼に変化してやり合ってくる。これが、手加減が難しくて困る。
「人相手でないと手加減がしにくいのだが」と伝えると、「構わない、狼の時はそんなに怪我はしないから」と自信満々で返された。
いや、すると思う。実際何度か本気の太刀が入りひやりとしたが確かにそんなに深手にはなっていなかった。
やはりこことは戦争はしたくないなとエスカリオットは思った。
今日はそんな兵士達の訪れもなかったので、エスカリオットは鹿の肉のローストとそれに添えるブルーベリーのソースを作った後、シャイナが好きだというキャロットケーキを焼いている。
シャイナは小さい頃は野菜が苦手で、こうやって工夫して出来るだけ食べさせていたらしい。
「ほうれん草とかカボチャを入れてもいいのよ」とエイミは言う。
なるほどな、とエスカリオットはそれもノートに書き写す。
キャロットケーキが焼き上がって後は冷ましてカットするだけになったので、その間に庭のハーブを摘んでいるとエスカリオットへの来客があった。
「隊長!」
懐かしい呼び掛けにハーブから目を上げると、門の所にはタイダルでのかつての部下が居た。
戦場で共に戦った、見事な黒い毛並みの狼になる部下だ。
「ヘイブンか」
「はい、お久しぶりです。隊長」
濃い灰色の髪の毛の童顔のヘイブンは柔らかく笑う。
「俺はもう隊長ではない、騎士でもない」
「俺にとっては隊長はいつまでも隊長です。タイダルのエスカリオットがマイルズさんの薬草店に滞在していると聞いて、まさか、と思ったんですけど本当にいらっしゃるとは…………ご無事で何よりです」
目を潤ませて嬉しそうにヘイブンは言う。
エスカリオットは「お前も元気そうで何よりだ」と言い、ヘイブンにラシーンに帰ってからの事を一通り聞いた。
ヘイブンは、エスカリオットが別れたと思っていたかつての恋人を故郷に連れ帰って結婚し、この隣町で暮らしていると言う。
異種族からの娶りは大変珍しいらしいのに、本能の牽制を振り切る程の愛だったようだ。
子供も男の子2人に恵まれて、幸せなようだ。
エスカリオットは、戦争は終わったんだな、と改めて思った。
「…………ところで、隊の皆はどうしてますか?」
自分の身の上を話すと、ヘイブンは言いにくそうに聞いてきた。
「半分死んだ」
簡潔に答えるとヘイブンが俯く。
「……すみません、俺だけ抜けて」
「お前はタイダルに懸ける必要も義務もなかった。無理矢理除隊させたのだし気に病むな。皆が死んだのは全て俺のせいだ」
「違いますっ、上の作戦は滅茶苦茶だったじゃないですか?!僕らの隊ばっかり激戦地で、大体、実力だけでいったら隊長が団長だったでしょう?」
「俺が居たから、激戦地に送られた。俺のせいだ」
「隊長、でも隊長が居たから、何とかなってたんですよ」
「それでも、半分死なせた」
「隊長…………」
「俺はお前がここで穏やかに暮らしているようで、良かったと心から思う」
そう言うと、ヘイブンは少し泣いた。
昔から涙もろい奴だったな、と思い出す。
「ぐすっ、隊長は今は?シャイナが連れて帰ってきたと聞いたんですけど」
「シャイナを知ってるのか?」
「ここら辺の兵士でアイツを知らない奴はいないですよ…………」
そこでヘイブンはじっくりとエスカリオットを見た。
「………………あの、そのエプロンは?」
ヘイブンはエスカリオットの腰に巻かれたエプロンに気付いて聞いてきた。
エスカリオットはエイミに料理を習う時は、エイミより青い小花柄のエプロンを借りていて本日もそれを巻いている。
「花嫁修業のようだ」
「はなよめ?………………えっ、花嫁?えーと、じゃあ、シャイナの男が隊長っていうのは……ほ、本当なんですね?」
「どうだろうな。シャイナは俺の事を護衛だと主張しているが、いろいろ絡めとられてはいる」
「うわあ………………じゃあ、奴隷の首輪付きっていうのも、義手がシャイナと繋がってるっていうのも、ハン国では軟禁されてるっていうのも、本当なんですか?大丈夫ですか?狼って相手を決めると一途で深いんですよ。異種族の相手にはそれが特に強く出ます」
ヘイブンはエスカリオットのミスリルのチェーンと義手を見て心配そうだ。
「軟禁はされていない、大丈夫だ」
「首輪と義手は本当なんじゃないですか、え?大丈夫?本当に?」
「不都合はない」
「ないんですか!?」
「今のところ、ないな」
不都合らしい不都合と言えば、シャイナが怒り狂わないように、我が身を大切にしなくてはいけない事くらいだろうか。
「隊長…………さすがです」
「そうか?」
「はい、シャイナが隊長選ぶのも、もう隊長しか釣り合わないな、と思いますし、その状況で平然と小花柄のエプロン付けてるのも、もはや隊長だから出来てる事です」
「そうか」
「それに、良かったです」
ヘイブンが再び涙ぐむ。
「隊長がエプロン付けるような日常を送っていて、良かったです。俺は嬉しいです。隊の皆も喜ぶと思います」
「そうだろうか」
エプロンを?喜ぶか?
「そうですよ」
ぐすっ、とヘイブンは鼻をすすった。




