42.里帰り(3)
(流石だな)
エスカリオットは灰色の狼に感心した。
まさしく野生動物だ。こんなに近くに来られるまでその気配には全く気付かなかった。
灰色の狼はエスカリオットへの敵意を剥き出しにして牙をむいていた。足は今にも地面を蹴ってエスカリオットに飛び掛かりそうだ。
庭が緊迫した空気に包まれる。
「ダナンっ」
エイミがきつい声で狼をそう呼び、それと同時にエスカリオットの前に狐になったシャイナが立ち塞がった。その瞳は赤く染まっている。
「シャイナっっ!!駄目よ!」
エイミが今度は悲鳴をあげ、狐のシャイナに灰色の狼は怯んだ。
耳を伏せ、及び腰で自らの体を確認している。狐火を警戒しているのだ。
「ダナン、逃げなさい!シャイナっ、」
エイミがシャイナに縋りつこうとするので、エスカリオットはそれを片手で制した。
すぐにしゃがみこんで、シャイナを撫でる。
「シャイナ」
呼び掛けると、がうっとシャイナが吠えた。
愛らしい狐の姿で吠えられると、それすら可愛いが今は愛でている場合ではない。
「シャイナ、あれくらいなら斬るのは容易い。平気だ」
ぐるるる、と返事の代わりに唸られた。
「あれは兄なのだろう?」
ぐるるる、
「俺を誤解のないように紹介するのだろう?」
ぐる、
唸り声が緩む。
「このままだと、俺はお前の恋人のままだぞ。俺はそれでも構わないが」
「なっ、かっ、構いますよ!」
シャイナの瞳の色が藍色に戻る。人語も話しているし、正気に戻ったようだ。
「えっ、しゃべってる」
エイミが背後で驚きの声をあげ、エスカリオットの隣にさっとしゃがみこんだ。
「シャイナ、なのよね?喋れるの?」
「だって、コントロール出来るもの」
すっかり平静を取り戻したシャイナが答える。
「まあぁ」
エイミは目に涙を浮かべながらシャイナを撫でた。
「良かった、ほんとに良かった」
わしゃわしゃと撫でられながら、シャイナが得意そうに胸を張る。
「ちっちゃい頃から、怒った時と満月の時は本当に手がつけられなくて、どんどん強くなっていくし、8才の時はマイルズとダナンと兵士達にも大火傷もさせて、こんな低年齢から薬なんて飲んで大丈夫かしらって、凄く心配しながら薬も飲んで………………うぅ、良かった」
エイミはボロボロ泣きながら、シャイナを撫で回す。シャイナはそんなエイミの手に、すりすりと顔を擦り付けた。
そこへ、ぐるる、という低い唸り声と共にダナンの灰色の狼が近付いて来た。
「ダナン?」
エイミがきつくその名を呼ぶが、ダナンはそれを無視してシャイナの側に寄る。エスカリオットへの敵意は相変わらずだが、攻撃する気は無さそうだ。
「えっ、わっ、ダナン!?」
ダナンがシャイナの首の後ろを咥えて持ち上げる。
「ちょっと!止めてよっ、降ろして、」
シャイナは短く白い手足をバタバタさせるが、大人の男より大きな狼に咥えられては、その手足は虚しく空を切るだけだ。
ダナンはエスカリオットにひと唸りすると、くるりと背を向けた。
そうしてシャイナを大切そうに運んでいく。
「降ろしてよっ、エスカリオットさんは恋人じゃないから!ねえっ」
白い手足がパタパタしているのが見えるが、狐火は使っていないようだし大丈夫そうだ。
エスカリオットはそのまま2匹を見送る事にした。兄と妹で積もる話くらいあるだろう。
(………………それにしても、あの手足パタパタ、愛らしいな)
今度、狐のシャイナの首根っこを掴んでみてもいいかもしれない。
「行っちゃったわ…………ご免なさいね、エスカリオットさん。あの灰色の狼はうちの長男のダナンです。シャイナの兄なの。6つも年が離れているからか、昔からシャイナの事になると、父親よりも父親みたいで、今もとにかくあなたからシャイナを引き離したかったのだと思うわ」
エイミが涙を拭きながら説明してくれた。
その表情はとても明るい。シャイナが獣化をコントロール出来た事が余程嬉しいようだ。
そこへガラガラと音がして、灰色の髪の毛の大柄な男が荷車を引きながら庭へと入ってきた。
「はあっ、はあっ!エ、エイミ!シャイナがっ、男を!ダナンがっ!客人は無事か!?」
どうやら、男は荷車を引きながら全力疾走してきたようで、庭に着いた途端に崩れ落ち、切れ切れに叫ぶ。
「まあっ、マイルズ、お客様は無事よ」
「はあっ、無事かぁ、良かったっ、はあ、」
エスカリオットが無事だという知らせを聞き、男は力を抜いて地面に横たわった。肩と背中でゼエゼエと荒く息をしている。
これがシャイナの父親のようだ。
「エスカリオットさん、次から次に見苦しくてごめんなさい。主人のマイルズです。マイルズ、シャイナのお客様よ。こちらがエスカリオットさん」
エイミの言葉にマイルズが地面に突っ伏していた顔だけを上げて、エスカリオットを見る。
「はあ、はあ……このような格好ですまない、シャイナの父、マイルズだ」
「エスカリオットだ。シャイナ殿にはお世話になっている」
「こちらこそ、娘がとても世話になっているようで−−」
そこで、エイミがしゃがみこんで、ひそひそとマイルズに耳打ちをする。
「え?……護衛?恋人じゃなくて?ん?違う?」
戸惑うマイルズにエイミのひそひそは続く。
「奴隷の首輪!?」
エイミの耳打ちにマイルズが驚いて声をあげ、エスカリオットの首もとをさっと見た。
「義手からもシャイナの気配がしてるだと?」
マイルズの視線がエスカリオットの左手に視線が移る。
「そうか……俺には魔力云々はよく分からないが、君が言うならそうなんだろうな。確かに客人からはシャイナの匂いしかしない、それにしても他の異性の匂いが一切ないのは、閉じ込めて、接触を禁止してるんじゃ…………」
マイルズがエスカリオットの全身を確認しながら青い顔で呟く。
異性の匂いが全くしないのは、ここに来るまでに居たのが騎士団と傭兵団の駐屯地だったからだと思うのだが、エスカリオットが女と絡むとシャイナがピリつくのは事実であるし、特に否定はしない事にする。
エイミのひそひそは続く。
「しかも自覚がないだと?ここまでしておきながら?いやいや、言う事を聞かせる首輪に、トレース付きの義手なんだろう?まさか、そんな…………無自覚だと?え?でも受け入れられてるっぽいのか?その状況を受け入れるってすごいな。ほんとかそれ?」
マイルズは信じられないという目でエスカリオットを見た。
更にエイミのひそひそは続く。
「えっ、赤い瞳の狼のシャイナを宥めた!?ちょっと待て、そもそもシャイナは獣化したのか?何!?ダナンは!?そうか、良かった………………」
エイミのひそひそが終わり、マイルズはゆっくりと体を起こした。
エイミがこくり、と頷き、マイルズも頷き返すと、マイルズはエスカリオットの前までやって来た。
「シャイナは、あなたに不自由を強いてないだろうか?」
「その心配は不要だ」
「安心した。あなたへの執着ぶりを見るに、娘の心は決まっているようだ。獣化のコントロールが未熟だった分、幼い頃から多くの知識を詰め込んだので、少しこましゃくれた所があるのだが気立てはいい子だと思う。魔法もかなり使える」
マイルズはそこで一旦言葉を切り、しばし沈黙の後に言った。
「出来れば、娘を末長くよろしく頼む。返事や約束はいらない。エスカリオット殿は現在、かなり不利な状況なのだし言質まで取るのは忍びない」
「分かった」
エスカリオットがそう答えると、マイルズとエイミは顔を輝かせる。
どうやら理性の飛んだ狐のシャイナを宥めた事で、あっさりと両親の信頼を得てしまったようだ。
おまけにエスカリオットはどこからどう見ても、シャイナの獲物らしい。
シャイナが不在のまま、その両親にエスカリオットは認められ、結婚の挨拶のようなものまで終わってしまったが、良かっただろうか。
………………。
(まあ、いいか。これはこれで悪くはない)
エスカリオットは一人で納得した。




