生きている理由
そして…。
地獄のような一日が終わった。
終業のチャイムが鳴り響く。
教室のあちこちから椅子を引く音が聞こえる。
だが、俺は立ち上がるだけで精一杯だった。
体中が痛い。
腕も。
足も。
腹も。
顔も。
どこが痛いのかわからないほど痛かった。
今日も生き残った。
ただ、それだけだった。
俺は誰とも目を合わせず教室を出る。
そして逃げるように終学を後にした。
早く。
一秒でも早く。
この場所から離れたかった。
そうして人通りの少ない路地へ入る。
誰もいない。ようやく一人になれた。
その瞬間だった。
ポタリ。
涙が落ちた。
次の瞬間には止まらなくなっていた。
ボロボロと。次から次へと。
溢れ出してくる。
泣かないようにしていた。
今日も耐えた。明日も耐える。
そう思っていた。
だけど限界だった。誰もいない場所で。
ようやく張り詰めていた心が壊れた。
「うっ……」
嗚咽を押し殺す。
声を出したら本当に壊れてしまいそうだった。
それでも涙は止まらない。
しばらくして。
ようやく呼吸が落ち着く。
そして考える。
なぜ俺はまだ生きているんだろう。
なぜ逃げ出さないんだろう。
なぜ諦めないんだろう。
家族が待っているからじゃない。
家族は俺を信じなかった。
友達がいるからでもない。
俺にはもうそんな存在はいない。
それでも耐えている理由。
それは――。
一人だけ。
たった一人だけ。
俺を信じてくれる人がいるからだった。
「しずく……」
後ろから声が聞こえる。
聞き慣れた声。
振り返らなくてもわかる。
幼い頃から一緒だった。
趣味も合った。
何時間でも話していられた。
友達ではない。
だけど友達以上に大切な存在。
鈴だった。
「しずく……」
もう一度名前を呼ばれる。
俺は目を閉じた。
そして短く答える。
「ダメだよ」
「え……?」
「鈴は関わっちゃダメ」
それだけだった。
それ以上は言えない。
言えば鈴まで巻き込まれる。
「でも……」
「しずく、このままじゃ……」
「だからダメなんだ」
俺は首を振る。
「あいつらにも」
「僕にも」
「鈴は関わっちゃいけない」
鈴の目が揺れる。
「どうして……?」
「家族だって……」
その言葉に俺は少しだけ笑った。
悲しい笑みだった。
「家族は信じてくれなかったから」
鈴は言葉を失う。
そして震える声で言った。
「私は知ってる……」
「しずくは悪くない」
「間違ったことなんてしてない」
「私は知ってるから……」
その言葉が痛かった。
嬉しいのに。
苦しかった。
俺はゆっくりと顔を上げる。
そして鈴は息を呑んだ。
「ひどい……」
思わず口元を押さえる。
俺の顔は腫れ上がっていた。
頬には痣。
唇は切れている。
目の下も紫色になっていた。
それだけじゃない。
何より。
表情が死んでいた。
鈴が知っている霜月しずくはもうどこにもいなかった。
「しずく……」
俺は首を振る。
「帰るから」
「ついてこないでね」
そう言って歩き出した。
逃げるように。
鈴から離れるように。
だけどそれは嫌いになったからじゃない。
むしろ逆だった。
鈴だけは巻き込みたくなかった。
鈴だけは守りたかった。
そして。
鈴だけが俺にとって最後の救いだったから。
鈴は追いかけなかった。
追いかければどうなるのか知っていたから。
だからその場で立ち尽くす。
ただ遠ざかる背中を見つめることしかできなかった。
そうして俺は帰る。
真っ直ぐに。
自分の家へ。
いや。
家と呼べるような場所ではない。
家族に追い出され。
行き場を失った俺が住むボロ屋。
雨漏りする天井。
軋む床。
隙間風の入る壁。
それでも。
そこだけが誰にも殴られない場所だった。
そこだけが。
今の俺に残された唯一の安らぎだった。




