第36話 逃げられない問い
仕事を終えて、帰宅しようと会社を出る。
玄関を抜けたところで、突然腕を掴まれた。
「え?」
振り向くと、険しい表情の桐生さんが立っていた。
「あ……」
言葉を探していると、彼は困ったように眉を寄せ小さくつぶやく。
「お願いだ。少しだけ、話を聞いてほしい」
* * *
会社から少し離れたところにあるレトロな喫茶店。
席と席の間には簡易的なしきりがあり、周りの視線が気にならない。
ちょっとほっとする。これなら人目を気にしなくていい。
配慮してくれたのかな。
向かいに座る桐生さんはさっきから落ち着きがない。そわそわと視線をさまよわせる姿は、なんだか珍しかった。
しばらく沈黙が続いた。
注文したコーヒーが目の前に置かれたところで、ようやく彼が口を開く。
「この前は、その……ごめん。彼女は違うから。
男女の仲とかそういうんじゃなくて――」
「知ってます」
そう答えると、彼は目を見開いてひどく驚いた顔をした。どうやら、彼女が私のところに来たことは知らないらしい。
そのことを説明すると、桐生さんはふっと力が抜けたように笑った。
「そっか……」
それきり、また黙り込む。
なんだろうこの間。すごく気まずい。
前からだけど、桐生さんと一緒にいるとどうしても緊張してしまう。
土岐くんとは大違いだな。彼とは一緒にいても全然緊張しないし、それどころか安心感さえある。
……って、何考えてるの。
今、目の前にいるのは桐生さんなのに。
「それで。俺の想いはもう知ってると思うけど。
改めて気持ちを伝えたいと思って。聞いてほしい」
真剣な眼差しを向けられ、空気がぴんと張りつめる。
姿勢を正し、まっすぐ見つめ返した。
「……はい」
「ありがとう」
やさしく微笑む彼に、胸がきゅっと鳴った。
やっぱり彼のことだって好きだ。そう思ってしまう。
私ったら、いったいどっちなの?
桐生さんはひとつ息をついてから、ゆっくりと話し始めた。
「なんだか信用されてないみたいだけど……
俺は本当に君のことが好きなんだ」
まっすぐに告げられて、頬がじわっと熱くなる。
「は、はい……」
そう返すのがせいいっぱいで、なかなか目を合わせられない。
「俺が今の部署に移る前、営業にいたことは知ってるよね?」
小さく頷く。
「営業からこの部署に異動してきたのは、君がいたからなんだ。
前にも話したと思うけど」
それは聞いた。
でも、どうしてそこまで? という疑問はまだ消えていない。
「会社でたまに見かけてさ。可愛いなって思ってたんだ。
それで、いつの間にか目で追うようになって……
優しいところとか、おっちょこちょいなところとか。
目が離せなくてさ。見てると心があたたかくなったり、ドキドキしたりして」
桐生さんはとてもやさしい顔で笑った。
「いいなって思って。君のことを知りたくなって、もっと近づきたいって思った。
恥ずかしいんだけど……気づいたら、夢中になってたんだ」
今度は照れくさそうに視線を落とす。
なに、それ。
なに、この展開。
ぜんぜん知らなかった。そんなに前から見られていたなんて。
……は、恥ずかしいよぉ~。
「いつもすごく緊張してたんだ。必死に格好つけてたけど。
告白したときも、それはもうやばかった。付き合えたときは本当に嬉しかったし、舞い上がった。
でも、その……君みたいな女性は初めてで、戸惑うことも多くて。いや、変な意味じゃなくて、純粋で男に慣れてないってことだよ。
そんな君を傷つけてしまったらどうしようって。気が気じゃなかった」
いつもより饒舌な桐生さんに、面食らう。
それ以上に、彼の言葉ひとつひとつが胸にそっと落ちてきて、驚きと同時にじんわりと愛おしさが湧いた。
「余裕そうに見えたかもしれないけど……俺必死だったんだよ。
君の前では格好つけてた。
いつも嫌じゃないかな、嫌われないかなって。もう、内心ひやひやで」
頭を掻いて笑う桐生さんは、初めて恋をした男の子みたいで……。
なんというか、ときめいてしまう。
トクン、トクンと鼓動が鳴った。
「土岐に対してやきもちを妬いた。
だって、彼と一緒にいるときの君はとても自然に見えたから。これはやばいなって。取られてしまうんじゃないかって」
そこで言葉を切り、少し黙り込む。
次の瞬間、ばっと顔を上げた。
「もしかして、土岐から告白とかされた?」
「え!?」
核心を突く一言に目を丸くする。だって、実際にそうなっているから。
桐生さんって、エスパー?
「ははっ、やっぱりか」
彼は困ったように笑って、わずかに視線を落とした。
「そうじゃないかと思ってた。
あいつ、前から君のことが好きだったからな」
そう言われ、驚いて問い返す。
「な、なんで知ってるんですか?」
「見てればわかるよ。二人とも、わかりやすいからなあ」
にこりと微笑まれ、私は苦笑いを返す。
そんなにわかりやすいかなあ。まあ、土岐くんは素直だから。そうかも? でも、私は彼の気持ちに全然気づかなかったけど。
桐生さんは、それきり黙り込んでしまう。
やがて、静かに息をついてから、まっすぐ私を見た。
「もう一度、俺にチャンスをくれないか」
ドクンと鼓動が大きく鳴った。胸がざわつく。
「土岐のこともあるだろうし……君の答えを聞かせてほしい」
その目は、真剣そのものだった。
「そ、そんな……」
それって、どちらか選べってこと?
「いいよ。待つから。じっくり考えて」
彼が優しく微笑み、私はうまく言葉を返せないまま、そっと目を伏せた。
ど、どうしよう。まさか、こんなことになるなんて。
自分の気持ち。今は出せない答え……ちゃんと見つけられるのかな。




