第32話 気づくと、そこにいて
次の休日。約束通り私は土岐くんと出かけた。
桐生さんの同意は得られないまま。それでもしょうがないと思うことにした。彼が意地っ張りなんだから……って言い切ろうとしてふと気づく。
あれ、これ、私も同じじゃない?
ふっと息をついたそのタイミングで、隣を歩く土岐くんが顔を覗き込んできた。
「大丈夫? やっぱり今日は、やめておいた方がよかったんじゃ……」
申し訳なさそうなその表情に、私は勢いよく首を横に振る。
「ううん、いいの。桐生さんがわからず屋なんだから。
いいじゃん、友達と会うくらい」
正直、まだ少しムカついている。私にも反省するところはあるかもしれないけど、それは桐生さんだって同じだ。
土岐くんにはここに至るまでのいきさつを話してあった。事情を聞いた彼は、すぐに今回の約束を撤回しようとしたけれど、それを押し通したのは私だった。
だってけっこう楽しみにしてたの。土岐くんとのお出かけ。
ちらりと視線を向けると、ちょうど目が合ってふわりと笑顔を向けられる。ほわっとあたたかい気持ちが胸に広がった。
これよこれ。彼といると自然と力が抜ける。癒される。
この至福の時間を、誰にも奪われたくはなかった。
「今日はお母さんのプレゼントだよね? どこへ行こうかな」
わざと明るい声を出してみる。
彼に余計な気を遣わせないように。
土岐くんは優しい。桐生さんと私が喧嘩してしまったことも、きっと気に病んでいるはずだ。
自分のせいだとか考えていそう。
だから、ここは元気よくいこう。
「あのお店なんて、どう?」
せいいっぱいの笑みを向けると、土岐くんも応えるように笑ってくれた。でも、その表情はどこか控えめで、少しだけ元気がない。
いけない、心配させてる。そう思うと自然と気合が入った。
一歩を踏み出したそのときだった。勢いあまって足元の段差につまずく。
「きゃっ」
「あぶない!」
次の瞬間、ふわりと身体を引き寄せられた。
あたたかくて優しい抱擁。顔をあげると、すぐ傍に土岐くんの顔がある。
ひえー、抱きしめられてる。
な、なに、これ。めちゃくちゃ緊張するんだけど。
「ご、ごめん。私ったら」
慌てて身体を離そうとしたけれど、彼の腕に力がこもり、抜け出せない。
……え?
思わずぱちぱちと瞬きをする。なぜかぎゅっと抱きしめられていた。
周囲の喧騒がすっと遠のく。二人だけの空間に包まれたような、不思議な感覚。
なんだろう。すごく心地いい。その体温を感じながら、ほんのひととき、私はその温もりに身を委ねてしまう。
私、なにしてんの?
土岐くんは私の恋人じゃない。友達なんだから。こんなふうに抱き合ってちゃいけない。
「あ、あの、土岐くん?」
ためらいがちに声をかける。
「ごめん。でも君が心配なんだ。すごく無理してない?」
ドキッとした。
バレてる。無理していたことを、彼はちゃんと気づいていた。
さすがだ。土岐くんには何でも見抜かれてしまう。
「あれ、わかっちゃった? でも大丈夫だから。土岐くんは心配しなくていいよ」
ぎこちなく笑いながら、もう一度離れようとする。
それでも彼の腕は緩まず、私はまだそこから抜け出せない。
「あ、あの……」
どう切り出すべきか迷っていると、
「望月さん?」
聞き慣れた声がした。
振り向いた瞬間、息が止まりそうになった。
そこにいたのは桐生さん。彼の隣には綺麗な女性が寄り添っていた。
「き、桐生さん……」
そうつぶやくと、土岐くんがさっと私の前に立ち、視界から桐生さんの姿が消えた。
「土岐くん?」
その背中を見つめていると、桐生さんたちがこちらへ近づいてくる気配がした。
「やあ、奇遇だね。こんなところで会うなんて」
冷たい声。桐生さんだ。
「ねえ、後ろに隠れている子って……」
そのあとに女性の声が続いた。
こんな状態は耐えられない。これじゃあ私が逃げているみたいじゃない。
そう思って、土岐くんの背から一歩抜け出した。
二人の視線が一斉に向けられ、鼓動がドクドクと鳴り出す。緊張で体がこわばる。
そっと桐生さんを見る。けれど、彼は一瞬こちらを見ただけですぐに視線を逸らしてしまった。
ズキッと胸が痛み、私は何も言えずにうつむいた。
すると、彼の隣にいた女性が口を開いた。
「あなたたち、とってもお似合いね。可愛いカップルみたい」
無邪気に笑いながら、そんなことを言う。
私と土岐くんのことだ。
この状況でそれを言われると、果てしなく気まずいんですけど。
「ね、桐生くん」
彼女が彼に微笑みかける。その表情は、どこか窺うようだった。
桐生さんが私の方をちらりと見やった。
そして低い声で告げる。
「……そうだな」
え――いま、なんて?
頭が、うまく回らない。
「そうよね。さ、邪魔しちゃ悪いし、いきましょう」
女性はそう言うと桐生さんの腕に絡み、そのまま歩きだした。二人は何事もなかったように私の横を通りすぎていく。
胸の奥がざわつく。
彼が行っちゃう。
どうしよう。そう思うのに、何も言えず体は動かない。
彼女はもしかして……。桐生さんにとっての大切な人? それともこの前の当てつけ?
わからない。けどなんかムカつく。
「望月さん……大丈夫?」
土岐くんが心配そうに顔を覗き込んできた。
「あ、ごめん。大丈夫だよ」
気丈に振る舞ってみたけど、どうもうまくいかない。きっといびつな笑みになっている。
また土岐くんには全部お見通しなんだろうな。そんな気がした。
そっと彼を見ると、ふわりと優しい笑みが返ってくる。
「どこかでお茶しようか?」
やっぱり気を遣われている。
でも……いいか。彼になら。
素直に、そう思えた。
小さく頷くと、土岐くんは嬉しそうに笑った。
近くにあったお洒落なカフェに入る。
二人で席に着くと、すぐに土岐くんが尋ねてきた。
「なににする?」
メニューを差し出され、無難にコーヒーを注文する。彼も同じものを頼んだ。
土岐くんはなぜかおしゃべりだった。普段から話す方だけど、今は余計に。
妹さんやお母さんのこと、ときどき仕事での失敗談も織り交ぜながら楽しそうに話してくれる。
……ほんとに優しいな。
さっきの桐生さんのことで、私が落ち込んでいると思っているんだろう。懸命に励まそうとしてくれているのが伝わってくる。
なんだかいいなあ。
さっきまで胸に残っていたあの小さなざわめきは、いつの間にか、すっかりどこかへ消えていた。




