第33話 知らない気持ち
そして、帰りの時間。
他愛もない話をしながら土岐くんと肩を並べて歩く。こんな些細なことでも、彼と一緒だと楽しかった。
気づけばもうアパートの前まで辿り着いていて、時間ってあっという間に過ぎてしまうんだなと、あらためて思った。
このまま帰るのが、少し寂しい。
「あー、楽しかった。今日はありがとう」
大きく伸びをして、笑顔を向ける。それから感謝の気持ちを込めて小さく頭を下げた。
「な、なに言ってるんだよ。お礼を言うのは僕の方だよ。
母へのプレゼント、選んでくれてありがとう。きっと、すごく喜ぶと思う」
そう言って、土岐くんはにこりと笑う。
……また可愛いんだから。
にやついてしまいそうになるのを必死にこらえながら、私も笑顔を返した。
「うん。じゃあまた、会社でね」
そのまま踵を返そうとした瞬間、手をぎゅっと握りしめられた。
振り返ると、真剣な目がまっすぐこちらを見つめていた。
「どうしたの?」
突然の行動に少し焦る。なんだか、いつもの土岐くんじゃないみたい。
「えっと……あの、その……」
言いにくそうに視線を彷徨わせながら彼は口ごもった。
いったいどうしたんだろう。その体勢のまま、黙って待った。
わずかな沈黙のあと、土岐くんは決意したように口を開く。
「言いにくいんだけど。桐生さんとは、別れた方がいいと思う」
はっきり告げられ、一瞬頭の中が真っ白になった。
「え? それってどういう……」
彼がそんなことを言うなんて。驚きすぎて言葉がうまく出てこない。
土岐くんは俯いたまま、続けた。
「だって、桐生さんと付き合ってから、望月さんずっと辛そうで。僕だったら……」
そこでいったん言葉を切る。わずかな沈黙のあと、彼は勢いよく顔を上げた。
「僕なら、君を悲しませたりしない!」
ん? どういう意味だろう。私は首を傾げた。
「うん、知ってるよ。土岐くんは私を悲しませたり、辛い思いをさせたりしないよね」
笑顔でそう返すと、土岐くんは目を丸くした。
口をぱくぱくさせたかと思えば、みるみるうちに顔が赤くなっていく。
本当にどうしたんだろう。なんだか様子がおかしい。
「あの……だから。僕は」
一拍置いてから、彼は大きな声で叫んだ。
「君が好きなんだ!」
――え?
私はその場で固まった。
なんて言った?
窺うように土岐くんへ視線を向ける。
彼の顔は真っ赤に染まっていた。
「あの、だから、その……」
土岐くんは言葉を詰まらせ、そのままタコみたいに赤い顔のまま黙り込んでしまう。
私は思考が追いつかず、ただぼうっと彼を見つめていた。
すると、彼の表情が急にきりっと引き締まり、今度はまっすぐこちらを見つめ返してくる。
「ぼ、僕は、君と知り合う前から、ずっと望月さんのことが好きだったんだ」
少しの沈黙。
んん? どういうこと?
っていうか、待って。さっきから好きって言われてる!?
え、えええ!! マジで? そんなの全然わからなかったんですけど。
いや、まあ確かに。妙に優しいなとか、気が利くなとか、思ったことはあったけど。
でも、それは土岐くんがそういう人なんだと思ってただけで。
「君のことをずっと気にかけてた。だから、あの時も助けられたんだ」
あの時――女性たちに詰め寄られて、困っていた時のこと。
土岐くんが来てくれて、本当に助かった。え? あれも偶然じゃなかったってこと?
次々に押し寄せる衝撃に開いた口が塞がらない。
「話せるきっかけができて、すごく嬉しかった……って言うと君に悪いかもしれないけど」
少しだけ笑ってから、彼は悲しそうに視線を落とした。
「でも、すぐに落ち込んだ。だって、望月さんの心はもう彼に夢中だったから」
じっと見つめられて、鼓動が高鳴る。
彼――桐生さんのことだ。
そうか。そうだよね。土岐くんと知り合った頃、私はもう桐生さんのことが好きで。
でもそれって。
私のことが好きなのに、ずっと恋の相談に乗ってくれて。しかも応援までしてくれてたってこと?
信じられない。どこまでお人よしなのよ。
土岐くんは自嘲気味に笑いながら続けた。
「告白する勇気がなくて……だって、答えは目に見えてたし。
そうやって僕が迷っている間に、君は桐生さんと付き合うようになってしまって」
眉をひそめ、苦しげに息を吐く。
「いったんは諦めたよ。望月さんが幸せなら、それでいいやって。
二人が幸せになってくれたなら、それでよかったんだ」
拳をぎゅっと握りしめ、涙を溜めた目でじっと見つめてくる。
その想いの強さに、ドクンと鼓動が鳴った。
ちょっと男らしい。彼らしくないその気配に、乙女心がくすぐられる。
「応援しようって決めたのに。なんで、幸せになってくれないんだよ!」
急に怒鳴られて、戸惑う。
そ、そんなこと言われても……。
彼が一歩近づく。至近距離から見つめられ、顔が熱くなった。
土岐くんって、こんなに男らしかったっけ?
「僕なら君を悲しませたりしない。ぜったいに幸せにする……」
真剣な声と、まっすぐな眼差し。
冗談なんてとても思えなかった。
衝撃だった。土岐くんにここまで想われていたなんて。
今まではただの友達だと思ってた。彼も同じように思ってくれているものだとばかり。
それが、恋愛対象として見られていたなんて。
いや。彼のことは好きだよ。一緒にいて心地いいし、楽しいし。
でもこれは恋なのかな。正直、自分でもよくわからない。
考え込んでいると、土岐くんがさらに距離を詰めてきて、私の手をぎゅっと握ってくる。
「僕を、選んでほしい。絶対に後悔させないから」
いつもは癒し系で可愛い土岐くんが、このときばかりは、はっきりと男の人に見えた。
心臓が早鐘を打つ。
ど、どうしよう。私はどうしたらいいの?
「ごめん。いきなり、こんな。戸惑うよね」
そう言って優しく微笑むと、彼は私からそっと離れた。
あたたかな温もりが遠ざかり、ふと寂しさを覚える。
その優しい眼差しから私は目を離せずにいた。
「答えは急がなくていい。気持ちが固まったら、教えてほしい」
その視線が胸の奥まで熱を運んでくるみたいで。頬がじんわりと火照る。
こんな土岐くん……初めて。
彼は少し躊躇いがちに近づき、私を見下ろした。
「でも、これだけは覚えておいて。
僕は君のことが心から好きだよ。望月さんの幸せを祈ってる」
土岐くんはそっと目を伏せてから続けた。
「その幸せを与える相手が僕だったら……いいな」
ふわりと笑うその顔は、いつものように可愛らしかった。
心がぽっとあたたまる。
ほんとに不思議。彼といるときに感じる、この心地よさ。
これはいったい。
ぼうっと見つめていると、土岐くんがふいに視線を逸らした。
「そんなに見つめないで……恥ずかしいよ。それに、ちょっと我慢がきかなくなる」
私を見る彼の瞳は、熱を帯びて激しく揺れている。
が、我慢? いったいなにを言ってるの? 意味がわからず目を瞬かせた。
土岐くんはくすっと笑って、静かに身を引いた。
「とにかく返事はいつでもいいから。
ちゃんとよく考えてほしい。じゃあ、また」
それだけ言って彼は背を向ける。
「え、あ」
声をかけようとしたけれど、なにを言えばいいのかわからない。
遠ざかる姿を、ただ見送ることしかできなかった。




