第22話 彼のペース
「……やっと終わった」
私は椅子に座ったまま思いきり伸びをした。
肩も腰も重く、溜まった疲労がどっと押し寄せる。
就業時間はとっくに過ぎているけれど、仕事が残っていたせいでけっきょく残業になってしまった。
あれ以来、女性社員たちから仕事を押し付けられることが多くて困る。
周囲に目をやるとまだちらほら人影はあるものの、ほとんどの社員はもう帰っていた。
ふと彼の机へ視線を送る。けれど、そこにはもう桐生さんの姿はなかった。
帰っちゃったのか……。支度を整えながら、なぜか急に土岐くんの顔が浮かんだ。
胸がじんわりとあたたかくなる。
土岐くん。一緒にいると癒されるというか、自然と何でも話せちゃうんだよね。
昼間のことを思い出す。桐生さんのこともつい口にしてしまうし、さっきは愚痴まで聞いてもらっちゃった。
まあ、彼は事情もいろいろ知っているから、気軽に話せるだけなのかもしれないけど。
それにしたって、あんなふうに気負わず話せる人ってなかなかいない。特に私にとっては貴重な存在だった。
いいな、こういう関係。男女とか関係なくて親友みたいで。
ちょっと憧れてたんだよね。
ひとりでほくそ笑む。
「お疲れさまです」
まだ残っていた社員に挨拶をして、部屋を出た。節電対策なのか最近の廊下は少し薄暗い。人気のない通路にコツコツとヒールの音が響く。
エレベーターに乗り込み一階のボタンを押した、そのとき。
閉まりかけたドアの隙間から滑り込んできた人がいた。
驚く私に桐生さんがにこりと微笑みかける。
その背後では、エレベーターのドアがゆっくりと閉まっていった。
「……もう、帰ったのかと思ってました」
「うん。君を待ってた」
ドキッと心臓が跳ねる。
目を丸くすると彼は面白そうにくすくすと笑った。
「そんなに驚く?」
「だって、その……ダメじゃないですか。一緒にいるところ、見られたら」
また噂にでもなったら大変だ。桐生さんだって、わかっているはずなのに。
「大丈夫だって。少しくらい」
そう言って、気楽な調子で続ける。
「ね、これから食事でもしない?」
あまりにあっさりと言われて、戸惑う。
「で、でも……」
「いいから。先に裏で待ってるから」
次の階に着くなり、桐生さんはさっさと降りてしまった。
私は言われたとおり会社の裏手へ向かう。
そっと通路を覗くとそこに彼がいた。こちらに気づいた桐生さんが駆け寄ってくる。
「よし、じゃあ行こうか」
「え? ちょ、ちょっと」
彼は私の手を取り、そのまま歩き出した。
半ば連行されるような形で、私は彼のあとを追った。
連れてこられたのは、落ち着いた雰囲気のレストランだった。
照明は控えめで、どこか上品な空気が漂っている。
桐生さんはスタッフに声をかけ、奥の個室へ向かった。通路もきれいに整えられていて、いかにも高級そうなお店だ。
通された部屋には、クラシック調の机と椅子。壁も床も磨き上げられ、やわらかな音楽が流れている。
完全個室で、人目を気にせず話せそうだった。
圧倒されて立ちつくしていると、桐生さんに促される。
腰を下ろすと、ふかふかのクッションに身が沈んだ。向かい側に座った桐生さんが、優しく微笑みかけてきた。
すごい……。やっぱり、桐生さんってすごいな。
私とは生きている世界が違う気がする。
こういうところに、いつも通っているのかな。
さっきの行動も少し強引だった。会うのは控えようって言ってるのに、すぐに会いに来るし。
マイペースというか、自由な人だな。
私とは違って、人の顔色ばかり気にする人じゃない。
それは少し羨ましくて、憧れる。
だって……私には、ないものだから。




