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第21話 内緒のはじまり

「えっ……」


 桐生さんは驚いたように目を丸くした。

 しばらく私を見つめ、やがて怪訝そうに眉を寄せる。


「なんで?」


 低い声に、胸がきゅっと縮む。――怒ってる?


「どうして、隠さないといけないの?」


 その言い方にわずかな強さを感じた。


「ごめんなさい。嫌ですよね? そんなコソコソするの……。

 いいです。やっぱりいいです」


 早口で言い切って、踵を返した。

 嫌われるのではないか。迷惑をかけているのではないか。そんな不安が頭をよぎる。


「待って!」


 腕を、きつく掴まれた。


「待ってよ。なんでって、理由を聞いてるんだ。責めてるわけじゃない」


 声はさっきより少しだけ柔らかい。

 おそるおそる振り返ると、彼がまっすぐこちらを見ていた。

 その表情に、もう険しさはなかった。


「……ごめん。少しカッとなってしまった。

 だって、付き合えたこと、すごく嬉しかったのに。急にそんなふうに言われたら……」


 彼は視線を逸らして俯いた。その横顔がどこか寂しげで、胸がちくりと痛む。


「わ、私の方こそ、ごめんなさい。勝手なことを言っているのは、わかっています。でも……」


 もう一度向き合うと、彼の瞳がわずかに揺れていた。


「はあ、驚いたよ。俺、嫌われたのかと思った。

 付き合ってそうそう何かやらかしたのかって。だから、ちゃんと知りたいんだ」


 あ、そうか。桐生さんは不安になったんだ。

 私ったら、先走っちゃって恥ずかしい。


「あの……理由、なんですけど」


 言い出しにくくて、もじもじと指先をいじる。

 そっと視線を上げると、彼はほんの少しだけ口元をゆるめた。


 桐生さんなら大丈夫。ちゃんと聞いてくれる。そう思って、小さく息を吸った。


「桐生さんはとても素敵で、女性から人気があるので。

 もし私と付き合っていることが公になれば、その――」


 そこまで言ったところで、彼が静かに口を挟んだ。


「嫌がらせされたの?」


 ドキッとした。鋭い。

 言葉が出てこない。彼女たちのことを悪く言いたくなかった。


 黙っていると、ぽつりと声が落ちた。


「そうなんだね。……ごめん。俺のせいで」


 桐生さんは深く頭を下げた。


「き、桐生さん! やめてください。あなたのせいじゃありません」


 慌てて覗き込もうとした、そのとき。

 ふいに体が引き寄せられた。


 息が止まりそうになる。

 触れたぬくもりがじんわりと伝わってきて、私はただその腕の中で息をひそめた。


 強張っていた肩の力が少しずつ抜けていく。

 ふわりと香るのは、彼の香水だった。


「俺が守る、絶対に。だから安心して」


 抱きしめたまま耳元で囁かれる。


「え、でも……」


「わかってる。会社では内緒にしよう。君を不安にさせたくない」


 その言葉に張りつめていたものがゆっくりほどけていく。


 背に手を回し、ぎゅっと抱き返した。


「はい。ありがとうございます」


 静かに見つめ合い、そのままそっと唇が重なった。



 * * *



 そして、内緒の社内恋愛が始まった。


 同じ部署だから一日のうちに何度もすれ違い、顔を合わせる。

 そのたびに視線を交わし、ほんの小さな合図を送り合った。


 そんな些細なことで心がふわりと浮き立つ。なんだかくすぐったい。


 彼に名前を呼ばれるたび、鼓動が跳ねた。気づけば気持ちまであたたかくなっている。


 両思いって、こんなに楽しくて幸せなものなんだと改めて思った。



 ある日の会議の準備中。


 私は準備のため、先にひとりで部屋へ入った。

 資料を配りお茶の用意をしていると、入ってきたのは桐生さんだった。


 一瞬、目が合う。数秒見つめ合ったあと、彼はふいっと視線を逸らした。


 少しだけ寂しい。でも、どこで誰が見ているかわからない。

 仕方のないことだ。そう言い聞かせながら黙々と作業を続ける。


 準備を終えた私は、「失礼します」とだけ告げ、そのまま部屋を出ようとした。


 ドアに手をかけた、そのとき。

 背後から伸びた手がドアを静かに閉めた。


「……え?」


 振り返ると、桐生さんがすぐ目の前にいた。

 いつの間にか、私は壁際まで追い込まれている。


「あ、あの、桐生さん?」


 近すぎる距離に戸惑いながら顔を上げる。

 急に、どうしたの?


 混乱する私を見て、彼はにこりと笑った。


「ちょっとだけ」


 そう言って、頬にそっとキスをした。




 廊下を足早に歩きながら、先ほどのことを思い出す。


 ……いったい、何を考えてるの!

 いや、本気で怒ってるわけじゃないけど。


 もし、誰かに見られていたらどうするつもり?


 あのあと、桐生さんは「ごめん」と言って、舌をぺろっと出した。その仕草が可愛くて、不覚にも怒る気が失せてしまった。


 桐生さん、本当に内緒にする気あるのかな。


 でも、大丈夫だよね。昨日の彼はふざけているようには見えなかった。嘘をついているようにも。

 私を悲しませるようなことはしない。優しい人だから。


 そんなことを考えていると、不意に誰かとぶつかった。


「ご、ごめんなさい」


 あれ? この声。


 顔を上げると、土岐くんがいた。なぜかほっとする。


「土岐くん……ごめん。大丈夫だった?」


 そう言うと、彼はいつものように優しく笑った。


「平気だよ。また、なにか悩みごと?」


 少し眉を寄せ、じっと見つめてくる。


 いけない。また心配をかけちゃう。

 どうすればいいのかわからず、曖昧に頷いた。


 それにしても、私ってそんなにわかりやすいのかな。それとも、土岐くんだからわかるの?


「えっと、実は……」


 自然と口にしていた。

 彼には何でも話せてしまうんだよね。なんでかな。


 心がぽっとあたたかくなり、そのまま肩を並べて歩き出す。

 さっきまで胸に引っかかっていたものが、言葉を交わすうちにほどけていった。


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― 新着の感想 ―
花音と桐生さんの秘密の社内恋愛…二人の甘い共犯関係にドキドキします(*´꒳`*)
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