97、玄奘は、本物の三蔵法師を知る
かなり長い文章です。気合いと根性がいる分量です。
幼い子どもの声で語られる沙胡蝶の言葉には、玄奘を思っての真心しか感じられなかった。沙胡蝶を前に玄奘は頭を垂れたくなる気持ちを押し隠し、苦笑の表情を浮かべた。玄奘は自分を利用しようとしない存在に出会ったのは、これが初めてだったのだ。
川で拾ってくれた住職は、確かに自分を拾って育ててくれた親代わりといえる存在だった。しかし貧しい寺の住職は、そのことを常に吹聴し、寺に訪れる貴人や寺の周りの者達から常に同情と尊敬の視線を集め、寄進を得ていた。心優しく、徳の高い僧であると思われることに酔いしれている俗物的な男であったのだ。
物心ついた玄奘に鍬を持たせた理由も実際貧しい環境だったから、食料が欲しいのも本当だったが、それよりも大事だったのは、幼い子どもと痩せぎすな僧侶が硬い土を耕す姿を回りの者達に見せつけることだった。寺を訪れる人々の同情や哀れみを誘い、より寄進を募る役割が、そこにはあったのだ。寄進を得ながら、いつまでも貧しいのは、住職がそれらを私欲を満たすために使い込んでいるからだと気づいたのは、5才のころだった。
その頃、寺に修行僧がやってきて、しばらく寺に逗留することとなり、自分に手ほどきをしてくれた。その間、ずっと寺の住職は修行僧を厚くもてなした。その修行僧が有名な寺の跡取り息子であったことと、修行僧が厚遇してくれる住職へのお返しに寺の小坊主に修行の基本をさわりだけ手ほどきすることで住職への礼を済ませようとしたということを玄奘が知ったのは、修行僧が寺を去るときに見返りを要求した住職と、のらりくらりとそれをかわして、最後に夜逃げするように出て行ってしまった修行僧に罵詈雑言をわめきちらす住職を見た時だった。
住職は元々農民だったのだが、僧としての修行を認められて、住職を任された男だった。僧侶として成り上がりたい住職は、もっと裕福な寺の住職になりたいと欲して、そのために寺に集まる寄進を高位の僧達に寺からの寄進として渡し続けているのを知った。小さいながらも冷静な子どもだった玄奘は、その姿を見ることで、人はお互いを利用し利用される生き物なのだと思ったのだ。だからといって住職が玄奘を粗末に扱ったかというと、それは違った。貧しいながらも衣食住は与えられたし、僧侶になるべく修行もきちんと施してくれた。虐待されることもなく育てられた。だがそこには住職の打算があり、親子の情というものはなかったのだ。
だから玄奘も住職に利用される分、利用してやろうと思ったのは当然の流れで、自己陶酔型の住職の欲求を満たすように振る舞いながら、武道の本を手に入れたり、護身術の鍛錬の時間を確保することに成功した。そうして月日は流れて15才になった。その頃には玄奘の体も大きくなり、誰の同情も得られないだろうし、自分の若くて見栄えのよい外見が住職の劣等感を煽りかねないので、彼の自尊心を擽るような言葉を囁けば、簡単に快く自分を見送ってくれて、玄奘は独り立ちすることができた。
その後5年間は、山深い奥地でひたすら鍛錬の日々を送り、一生涯を旅していけるだけの体を先に作ろうと努力を重ねた。小さい頃の修行僧が教えてくれたさわりと本を教科書に、後は常時自分自身で創意工夫を重ねて、思いつくままに過酷な鍛錬を重ね続けて、自分で一応の及第点を出せるくらいには体を作れて、技も一通り練れるようになったので、やっと本当の旅を始めたところ、自分の素性が直ぐにわかってしまったのは予想外の出来事であった。
物心ついた頃には既にあった足の傷跡が、実の母親によって付けられたものだと知ったとき、母だという中年の女人の目に暗い喜びの色が浮かんだのを玄奘はしっかと見ていた。盗賊団達によって父は殺されて、盗賊団のボスが父の身代わりになって母を娶って領主のふりをしているとわかり、事の露見を畏れた盗賊団達が本性を現し、一斉に玄奘に襲いかかってきた。母は怯えて屋敷の片隅で震えていたが、玄奘が得意の武術で彼らに制裁を加えていくのを、口の端を歪めて見ていたのだが、怯えるはずの母の口元だけが弧を描いていたのを玄奘は気づいていた。母は玄奘が全ての盗賊団達を再起不能になるまで、完膚なきまでに叩きつぶしたのをそのままの表情で眺めて、でも息子が盗賊団達に止めをささないことに小さく、チッと舌を鳴らせてから眉を一瞬醜く曲げて、姿を消した。
母が自害し、残された手紙を見て、玄奘は母の愛が自分にはなかったことを知った。愛する夫を殺されて、それでも生き恥をさらしてきたのは、夫婦の無念を晴らすためであり、息子が仇を取りに戻ることを信じていたからだと遺書には書かれていた。殺したいほど憎む相手に妻代わりを強要された母の心は、夫が死んでしまったときに死んでしまったのだ。今、残っているのは復讐のために鬼になった女だ。息子が血にまみれたのは鬼のせいで、息子の本意ではなかったのだから悔やまないでくれ。あなたは私達を忘れて幸せになってくれ
と書き綴つづられていた文章は、一見すると残された息子への母親としての言葉に思えるが、実はそうではなかったのだ。
愛する夫を奪われた母は、生まれたばかりの息子の足に噛みついて、一生残る深い傷跡をつけたのは、後に母子の再会を願ってのものではなかったのだ。父の仇に復讐するためにつけたのだ。もしも……生き残った息子の本当の幸せを願うなら、素性がわからないようにして逃がしただろう。復讐など考えずに別の場所で幸せに生きてほしいと母は考えなかったという証拠に、玄奘の足は傷つけられたのだ。手紙にある通りにまさに復讐の鬼である。
息子が血にまみれたのは鬼のせいで、息子の本意ではなかったのだから、悔やまないでくれ、あなたは私達を忘れて幸せになってくれという言葉は、私の本意は息子が血にまみれて憎い奴らの息の根を止めることだったのに、息子が止めを刺さなかったことが悔しい。一生私達の未練を忘れるな!と、玄奘を責めているように玄奘には思えた。
考えすぎではないか?と、玄奘に事情聴取した都の官吏は言った。考え過ぎなら何故母は、一度も母子の再会を喜ばず、抱擁することもなく、盗賊達の所業と、自分の苦労話ばかりを口にして、玄奘が護身術の心得があるとわかると、都の官吏を呼ぶように言う前に、盗賊達を一堂に集め、彼らの前で延々と恨み辛みをあげ連ねて、逆上した彼らの前に自分一人を放り投げるようにしたのか?……玄奘は自分の考えの方が正しいと思った。
しかし玄奘はそれを悲しいとは思わなかった。何故ならば、両親の復讐などは、どうでも良かったのだ。ただ初めての実戦に高揚している自分がいた。見ず知らずの中年女性に母だと言われても実感はなかったし、彼女の話には、わずかに同情を寄せたが、それだけだ。玄奘は正当防衛という形で、初めて実戦を体験したことで、自分がとても強いのだとわかって、無意識に浮かれていたのだ。
血まみれの自分を綺麗にするようにと、濡れた手拭いと手鏡を渡されたときに見た自分の顔が、自分を拾ってくれた住職の酔いしれている表情そっくりだったのがショックで、玄奘は落ち込んだ。玄奘の落ち込んでいる姿を見て、正当防衛をやり過ぎて、宗教的観点からはずれているのではないかと落ち込み、苦悩する若い僧侶に見えたのか、都の官吏は多勢に無勢だったのだし、命がけだったのだから仕方ないよと慰めの言葉をかけてくれたので、自分でもそうなのだと思い込もうとした。
こんなに早く建前の願いが叶ってしまうと旅を続ける理由がない。かと言って、もう寺には戻りたくはない。世の中には自分よりも強い者は沢山いるはずなのだ。ここらで僧侶を辞めるべきだろうか?いくら法律では今回の場合の敵討ちは認められているとはいえ、玄奘は言葉を尽くす前に、盗賊と同じ力づくで盗賊達を再起不能にし、屈服させた。
己の心の欲するままに他者を虐げたのだ。僧なのだったら信仰の心で相手に訴えるべきだったのに、玄奘の激情は信仰を忘れてしまっていた。落ち込む私に僧で居続ける道はない!……という言い訳が、今ならば仕えるだろうと玄奘は考える。何、僧侶を辞めたって信仰を無くすつもりはないのだから、ここらで憧れの武道家に転職すべきかと考えた玄奘を逃がさなかったのは、自国の帝であった。
帝は我が国にまだ伝わっていない、釈迦如来の元にある経典を欲し、天竺まで往復できる行動力と胆力のある
力のある僧侶を探しているという。そして釈迦如来も未だ浸透していない信仰をより広めたいと、経典を用意し、天竺まで経典を取りに行くことが出来る僧侶を探しているという。自国の帝に自分が信仰する神仏。畏れ多くもお二方のお眼鏡にかなってしまった玄奘は、僧を辞めることも許されずに、彼らの言われるがままに”三蔵法師”となり、得のある高僧になることを二人に求められた。
釈迦如来は、武道を好む玄奘を危惧した。なおかつ釈迦如来の命を受けたことで好奇心旺盛な妖怪……化生達の間で、三蔵法師を食べると不老不死になれるという、妙な噂が立ち、目をつけられてしまったことを懸念して、地上で仙術を巧みに操り、天界に戦を仕掛けた暴れん坊の猿の化生である、孫悟空を供につけてくれた。喧嘩や争い事は、悟空にまかせろという意味合いだろう。
そして元天界人で、今は豚の化生である猪八戒は、まだ素顔を見せてはくれぬものの、間延びした口調で、冷静さを失いがちな玄奘を諭す役割があったようだった。二人は三蔵法師となった玄奘が、徳の高い人間になるようにと、釈迦如来から命を受けているようだ。八戒は天界では役人をしていたらしく、宿屋や食事処での交渉も上手くこなしてくれた。おかげで玄奘は、旅の中でも読経や鍛錬の時間が持て、自分の心と向き合い続けた。……だけど。
だけど、はっきり言って欲求不満だった。化生という存在が本当にそこにいて、玄奘よりも強いというのに何故戦わせてくれないのだろうか?供の孫悟空は、この地上で一二を争う強さだというのに、何故手合わせを毎日5分しかしてくれないのだろうか?玄奘は毎日5時間でも手合わせをしたいと言うのに!それに宿屋の手配や色んな交渉事も、私ならもっと値切れるのに、何故そんなに大枚を払うのだろうか?前世で役人をしていたというが、そんなに出費を重ねては10年など持たないではないか!確かに困難なことに力尽くではなく、話し合いで解決出来るようになるのが大人ではある。だが戦える機会をこうも奪われては心が萎えてしまう。そんな時だ、玄奘が流砂河で沙胡蝶に出会ったのは……。
恐ろしい顔の河童の妖怪に少年が川に引きずり込まれようとしていると、孫悟空が慌てて走り出し、悟空も八戒も、緊急時だと私の参戦を止めようとはしなかった。結果的にはそれは、勘違いだったのだが、私は久々の実戦に心躍るような気持ちだった。そしてその気持ちを隠して、少年に話しかけた。誤解だから話し合ってくれと、泣きながら懇願する少年は、純粋で清廉な心の持ち主だった。玄奘は自分よりも遥かに僧侶らしいと少年のことを思っていた。
だから鉄扇公主も、試練を行う神使達も、彼を三蔵法師だと間違えたのだ。間違われた彼を探す玄奘を留め置く者はいなかった。孫悟空の壊した店の弁償代金を稼ぐという名目で神使達と、演舞と見せかけた武道での試練は本当に……本当に楽しくて、生きていると実感できた。沙胡蝶の父親だという竜族と戦えなくて残念だった。孫悟空のわかりやすい誘い文句に乗ったのも、この賢い少年なら玄奘の誘いに乗って、喜んで玄奘達を利用するだろうと思ったからだ。
「その小さいお体では、何かと不便でしょう?そうなったのも私のせいですから、お詫びといっては何ですが、私たちと供に天竺に行きませんか?世話はこの沙悟浄がするといいますし、何も心配せずとも安心して
10年間、そばにいてお守りいたします。私は自国の帝から直々の命を与えられた国一番に位が高い僧ですから、身分は保障されますし、3人の供は化生でとても強い者ばかりです。旅費も心配せずとも大丈夫です」
玄奘は人間の帝の名代も与えられている、帝直轄の僧侶である。これは他の国で何よりも強い身分証になる。玄奘といれば、海の化生だと名乗らなくても旅が出来るし、3人の化生の供は、皆とても強い化生である。かつては天界中を震え上がらせた仙術の天才の孫悟空や天界で役人をしていた猪八戒と沙悟浄は化生の中でも群を抜いて強いのだと、観音様は教えて下さったのだ。
しかも今回彼らは玄奘の身代わりになった沙胡蝶を守ろうと必死に動いたのを彼は知っているのだから、旅に同行すればこれからも、きっと小さくなった自分を皆が守ってくれるはずだと、わかっているはずなのだ。なのに彼が待たなければならない10年間を守らせてくれと手を差し伸べたのに、やんわりと断られた。
断る理由も、彼が傲慢だからとか玄奘達を侮っているとか、そういう下種な勘ぐりなど思い浮かべる必要もないほどに、あっさりとしたものだった。沙胡蝶に襲いかかってくる輩目当ての玄奘は、彼を気遣うフリをして旅に誘っているというのに、彼は釈迦如来の力を増すための大切な仕事を請け負った人間の玄奘に余計な負担をかけたくないという、純粋な思いやりの心のみを瞳に浮かべて断ったのだ。
玄奘の身代わりで攫われて、試練のことは全く知らないまま、孫悟空の危機だと思って非力なのに助けようとして、瓢箪の力で体が縮んだというのに一言の愚痴も非難の言葉も言わず、ただ純粋に感謝の言葉を紡ぐ彼こそ、徳の高い人物そのものではないか。回りの者を利用しようと考え、行動する玄奘は浅ましくずるがしこい人間だ。寺で玄奘を育てた住職と同じ、玄奘も俗物的で矮小な男だったのだ。
それに比べて沙胡蝶は争いを好まない、穏やかで心優しく純粋な心の持ち主だ。高貴な生まれの王子様なのに少しも威張らない。聡明なのに人を疑わないお人好し。非力なのに回りの者の危機には迷わず全力で飛び込んで助けようとする無謀さも併せ持つ、危なっかしくも愛おしい存在。玄奘が信仰する宗教を全く知らないというのに、釈迦如来の意図を正しく理解して教えてくれる彼こそが、もっとも”三蔵法師”に相応しい魂の持ち主なのに、どうして彼は半化生なのだろう?玄奘は釈迦如来に命じられた使命を、世界を見て回れるなら、そこに強い敵と出会う機会があるかもしれないと軽く考えただけで、沙胡蝶の教えてくれた神仏の意図など気づくこともなかったというのに。
ここに釈迦如来がいたら玄奘は全力で彼を推すだろう。彼以上に”三蔵法師”に相応しい人材はいないのだ。そして彼が”三蔵法師”なら、玄奘は誰を差し置いても、一番に彼の供に名乗りあげただろう。それこそ孫悟空にだって負けない位に、彼を守り通すだろう!……そう考えた玄奘は、ハッと我に返った。
玄奘は今まで強さのみを求めてきたが、その強さを何に役立てるか考えて見たことはなかった。でも、その強さを誰かを守るために使うのは、僧侶らしいのではないだろうか?守る相手も、単に身分が高い者とか自分の利になる相手ではなく、損得とか考えず、純粋に心から自分の全てをかけるに値すると自分が見込んだ相手なら尚更、自分が目指す武道家らしいのではないだろうか?
そして玄奘が、僧侶と武道家を両立させることが出来る人物が、ここにいる。今自分が心から”三蔵法師”に相応しいと思った沙胡蝶こそが、自分が守るべき者なのだ!……そう思った玄奘は少し考えてから、こう言った。
「あなたは足枷ではなく、囮です。実は私は3度の食事よりも戦うことが大好きな武道家な僧侶なのです。天竺への苦しい旅も襲ってくる妖怪も私にとっては鍛錬であり、楽しみでしかないのです。なのに私は僧侶らしくはないから、妖怪は私の所には寄って来ないんです。私は戦いたいのに、とても困るんですよ。戦うことこそ、私が”三蔵法師”になる報酬なのに、報酬がもらえなければ使命を果たすための、やる気も起きません。争い事が嫌いなあなたのほうが、私よりも僧侶らしいので、きっとこれからもずっと、あなたが”三蔵法師”だと勘違いされて狙われて、私が望む対戦相手があなたの所に行ってしまって、戦えなくなるのです。私は出来れば沢山戦いたいのに困るんですよね。……だから責任を取ってくれませんか?私の代わりにあなたが”三蔵法師”を名乗って囮になってください。そうですね、ざっと10年間ほど。どうせ天界におつかいに行く必要もなくなって暇なんでしょう?囮の報酬は、暇つぶしの10年間の旅行です。……いかがですか?」
玄奘は先ほどとは全く違う俗物的な男が口にするような言葉を吐いて沙胡蝶を誘う。でも玄奘の真意は、言葉通りではないことに孫悟空は気づいていた。そして沙胡蝶は、自分が旅に加わることに罪悪感を持たないようにと、わざとそれが本音だと言わんばかりの玄奘の口調に、なんて優しく心の広いお坊様だろうと感動しつつ、だからこそ足手まといにはなりたくないと思った。
そこで玄奘を説得するよりもと、猪八戒に標的を変えて、何とか玄奘に同行をあきらめてもらえるように助言を頼もうと声をかけることにした。




