96、三蔵法師は沙胡蝶に諭される
「ありがとうございます。すごく嬉しいです。私としては有り難い申し出ですし、身に余る光栄だと思います。ですが、どうかお考え直して下さい」
4才くらいの男の子が、真っ直ぐに玄奘を見つめ、真剣な表情で諭す。
「私はあなたの信仰する宗教を知りません。ですが信仰を広めたいと考える神仏の意図なら理解できます」
そう言って、”三蔵法師”になることになった玄奘も、八戒も悟浄も知らなかったことを沙胡蝶は話しだした。
「神仏は元々、強い神通力をもっておられますが、誰かに信仰されることで、さらに力を得るのです。これは悪魔や邪神と呼ばれる存在も同じで、彼らも畏れ敬れることで力を得るのです。だから神仏は常に信仰を得ようと画策するのですが、ここ500年くらいは、特に人間の信仰を得ようとする傾向が強いと、私は離宮で教わりました」
今、世界で一番、数が多いのは人間だ。そこで神仏が手っ取り早く力を得ようと思ったら、人間の信者を増やすことが合理的で確実だ。だからこその”三蔵法師”なのだろうと沙胡蝶は自身の推測を話す。
「人間の玄奘様が、経典を天竺にもらいに行って帰ってくる。その行程こそがあなたを”三蔵法師”にした神仏の主な狙いのはずなのです。世界中の知性ある生き物達の中で、一番寿命が短く、魔力も無い、弱い種族である人間が、長く苦しい旅路を10年も掛けて、それを求める姿を見た人々は、どう感じると思いますか?」
短い人生を削ってまで得たそれに、人々はとても興味を持つだろう。その旅路が苦しければ苦しいほど、その僧侶への人々の関心は集まるだろう。この世界で一番弱い存在の人間が成し遂げる偉業は、きっと多くの人間の胸を打つだろう。しかもそれは彼の私利私欲を遂行するためのものではない、より多くの人を救うとされる教えが書かれた経典を得るための旅なのだ。きっと彼が持ち帰る経典は人々に、宝のように見えるだろう。そして確実に信者を増やすだろう。
「あなたの信仰する神仏は、きっと良心的な善い神仏なのでしょう。酷な事をあなたにさせているという自覚があるのだと思います。だから辛い旅をするあなたのために、もっとも心強い3人の供をつけて、あなたを守らせているのです。そして、そのように善い神仏に、このような大事な使命を任されるあなたは、とてもすばらしい人間なのだと思います。昨日出会ったばかりですが、私もあなたはとても優しいお坊様だと思います」
小さなもみじのような両手を玄奘の両手に添えて、沙胡蝶は微笑んだ。
「見ず知らずの私を助けるために沙悟浄さんと戦ってくれようとしたあなたは、優しく勇気のある素敵な人です。だからこそ私は大事な使命を持つあなたの足枷には、なりたくはないのです。心配なさらずとも大丈夫です。私は小さくとも半分は化生の身なのですから、鱗3枚分は他の人間よりも強いのです!」
そう言って沙胡蝶は着物ドレスの片袖を肩までまくり上げて、小さな鱗を見せ、ついでに力こぶを作って玄奘に見せつけた。小さな小さな鱗が3枚に、子どもの細っこい力こぶなど全くない白い腕をドヤ顔で見せる沙胡蝶を前に、玄奘は両膝をついて敬愛の礼をした。
「沙胡蝶さん。いえ沙胡蝶様。あなたこそが最も”三蔵法師”に相応しいお方なのですよ」
驚く沙胡蝶に、玄奘は涙を滲ませた苦笑顔で微笑んだ。




