第七話『イヅナとの時間』
オルタナが家に来てから、一ヶ月が経った。
一年間ずっとアルベルトの剣を受けるだけだったのが、今では対等に打ち合う相手がいる。
オルタナと俺との純粋な力の差は歴然だ。ドラゴンと人なのだから当然だ。だが、俺もただアルベルトの剣を受けていただけではない。
オルタナが素直に振ってくる木剣。それを力の方向を変えてやり、受け流して体勢を崩して―――
「レインー!イヅナがおやつ作ったって!食べない?」
「………」
いいところで止められてしまった。
……もう少しでオルタナから一本取れそうだったのに。
「後で行くよ」
止められたことに少し腹を立てながらも、エレナに短く返事をした。
「だめ。すぐ来て」
いつの間に外に出ていたのか。イヅナに強い力で手を引っ張られる。
「―――イヅナ」
「………なに」
アルベルトが声をかけてイヅナを止めようとするも、イヅナは今まで見たことない形相で睨みつけ、アルベルトは子犬のように萎縮してしまっていた。
その様子に、俺もただ見ていることしかできなかった。
「い、いや……なんでもない」
「……ならいい」
情けない剣聖の姿を後目に、俺は家の中へ連行された。
―――
ここ一年近く、レインはずっと剣一筋で、前まではべったりだったのにあの一件からイヅナとの二人の時間はまったくなかった。
アルベルトは師である前に父なのだ。
自ら願ってやっていることとは言え、義娘同然に思っているイヅナからレインとの時間を奪ってしまった。一年も、だ。先ほどのイヅナの様子を見て取り上げてしまったことに責任を感じ始めていた。
「エレナ―――」
「なに?」
なにか続きを言おうとしたアルベルトの言葉は、エレナの含みのある笑みによって搔き消された。
その意味は、人間との交流歴が浅いオルタナにも理解できた。
つまるところ、「しばらくイヅナの邪魔をするな」そういう圧だ。
「……いやあ……なんでもないよ」
「そう?」
その返事を聞くと、エレナは「ふふん」と上機嫌の様子で窓を閉め、家の奥へ消えていった。
「なんか……あいつら似てきてねえか?」
歴代最強と謳われた剣聖、アルベルト。
世界中の龍族が束になっても敵わない。
剣聖を敵に回すくらいなら、一国を敵に回した方がまだ楽。
―――そんな話を父から何度も聞かされて育ったオルタナの前にいたのは、妻と娘に頭が上がらない、拍子抜けするほど一人の父親だった。
「……ふふっ」
思わず漏れ出たオルタナの笑い声に、アルベルトは眉を顰める。
「…………なんだ……?なに笑ってんだよ!今日はお前と二人きりだ!とことんしごいてやっからな!覚悟しとけ!」
「は、はい、剣聖様!」
アルベルトは自分の呼び名に、またピクリと眉を顰める。
先ほど自分のあんな姿を見せてしまったのだ。普段は呼び名に対してなにも感じないはずなのに、剣聖と呼ばれることにどこか羞恥心を感じてしまっていた。
「…………いい加減その、『剣聖様 』ってのやめてくれないか?アルベルトでもアルでもなんでもいいから」
「じゃあ……アルベルトさん」
「…………」
少し不満そうな表情を見せるも、顔を抑え、表情に出てしまっていた不満を抑える。
「……やっぱアルベルトは長いよなあ……」
そうボヤいていると、アルベルトに向かって鋭く木剣が振り下ろされる。
直撃する、その寸前。アルベルトはノールックで木剣を軽く合わせるだけで受け止めた。
「不意打ちか。やるようになったじゃねえか」
「こうでもしないと……勝てない気がしたので!」
「ははは!まだ俺に勝つにゃ早えよ!」
力任せにただ振り下ろすだけの木剣は、意図も容易く受け流される。
ガードをするために振り上げようとするも足で踏まれて防がれ、簡単に首元へ木剣が到達する。
「まあ焦んなよ。ゆっくりやろうぜ?」
全身全霊で取りにいったオルタナとは逆に、アルベルトは余裕の表情を見せ、そう言った。
―――
イヅナに引っ張られる。
本気で抵抗しようと思えば、簡単に振り払えるが、どうもイヅナ相手にその気にはなれなかった。
リビングに着くと、机の上には焼き菓子が並んでいた。
細かい部分は難しいようで、耳や尻尾の形は少し歪で、焦げているものもある。
それでも、料理が苦手だったイヅナにしては十分すぎる出来だった。
「全部一人で作ったのよ。手伝うって言ったのに聞かなくって」
「エレナは最後までやっちゃうから嫌」
まあ、毎日あの爆発を起こしていたらそうなるか……
「……一人で作ったんだよな」
焼き菓子を手に取り、息を呑む。
少し焦げているだけで、見た目は本当に普通だ。
だからこそ不安が勝ってしまう。
考えてもみてほしい。こんな美少女が作ったとは言え、少し前まであの爆発を毎日のように起こしていたのだ。誰だって警戒するはずだ。
覚悟を決め、目を瞑りながら一口。
「…………」
ほう、これは……。
リュカの実が味のベースになっているのだろうか。リュカの実が持つ特有の甘みと、少しの酸味が口いっぱいに広がる。
すごい出来だ。食べるのを躊躇したのが馬鹿らしく思えるほどに。
「……レイン」
「ん?どうした?」
「美味しくなかった?」
イヅナは不安そうに瞳を揺らし、上目遣いでこちらの様子を伺ってくる。
「おいしいよ。ほんとにうまい」
その言葉に、耳がピクリと立ち、尻尾を扇風機の如く振り始めた。
喜んでいるのだろう。
「最近ずっと剣ばっかで、イヅナ寂しかったみたい」
「べ、別に私は………」
口とは真逆に尻尾は正直なようで、自らの言葉を否定するようにぶんぶんと尻尾は揺れ続けている。
「………やっぱり、ちょっとだけ寂しかった……」
ボソッと、聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声で、イヅナはそう告げた。
くそ。かわいいなちくしょう。
「え?なんだって?」
難聴系主人公の如く、俺はすぐさま難聴スキルを発動した。
もちろん、ばっちりと聞こえているのだが、あまりにもイヅナのいじらしい姿に、嗜虐心が煽られてしまった。
「コラ。意地悪しないの」
「痛い痛い痛い。痛いよ母さん」
あまり意地悪をしていたので、エレナに頬を引っ張られて叱られてしまう。
「レインもなにか言うことあるんじゃないの?」
「………え!?俺!?」
突然の無茶振りに、驚いてしまった。
……まあ、あるにはある。
だが、こう……本人を前に直接言うのは……いや、そういうのはやめよう。
「イヅナ」
「……何」
まだ拗ねているようで、エレナの影に隠れたまま出てこようとはしない。
「なんだ。その……悪かった―――」
「ごめんなさいでしょ。アルみたいな謝り方しない」
「はい。ごめんなさい」
途中でエレナのツッコミが入り、すぐさま修正する。
どうやらアルベルトと本当に血が繋がっているらしく、自分でも気付かぬ間に似てきたようだ。
「ごめんな?放ったらかしにして……その……怒ってる?」
「………」
黙ったまま顔は見せず、イヅナはこくんと頷く。
「……どうしたら機嫌直してくれるかな?」
「……………じゃあしばらく剣じゃなくて私と遊んで」
「あー……それは父さんに―――」
「アルに?」
アルベルトの名前を聞くなりニコニコと笑うエレナからの追撃が飛んできた。
お母上、顔、笑ってないです。特に目が。いや冗談じゃなくて本当に。
「………わかった」
「ほんと!?」
食いつくようにイヅナは顔を上げ、尻尾をパタパタ振り、俺に飛びついてきた。
「じゃあ明日は王都で買い物でー、明後日は久しぶりに一緒に丘に行きたいな!その次の日は………」
普段物静かなイヅナが無邪気にはしゃぎ、どこへ行くかと俺の三日後の予定まですぐに埋め尽くした。
仕方ないだろう?アークライト家では母と娘が絶対なのだ。男共は仰せのままに、だ。
それにしても、こんな風に無邪気にはしゃぐイヅナを見るのは、初めてかもしれない。
……いや、違う。見ていたのかもしれない。
多分、俺の記憶に残っていないだけだ。
それだけ、イヅナを放ったらかしにしていたということなのだろう。
「………はあ、………これうま」
イヅナに申し訳なさを感じつつも、残っている焼き菓子を食べ始めた。
…………これは癖になるな。




