第十話『ダンジョンのオアシス』
腹をさすりながら歩き続ける。
まずい。
あれは本当にまずかった。
空腹で仕方がなかったから辛うじて食べられただけで、もう一度食えを言われたら全力で断わる自信がある。
「うっ……」
思い出しただけで気持ち悪い。
胃の中にあの鉄臭いウルフの肉が居座っている感じがする。あまりにも気分が悪い。
だが、食べなければ死ぬのだ。
そんな当たり前の事を理解できる程度には、このダンジョンに段々と慣れ始めていた。
歩く。
ひたすら歩く。
道中、ウルフの群れに襲われたが、最初戦った時ほど苦戦はせず、難なく討伐に成功した。
できるなら最初からやれよな……。
自分の身体に文句を垂れながら、何も変わらない景色の道を歩き始めた。
本当に変わらない景色。
石壁、石床、石天井。
だからこそ気づいた一つの違和感。
「……ん?」
近づいて確認する。
魔物の爪だろうか。鋭い爪で引っ掻いたような跡。
無意識に、指でなぞる。
その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
低い振動とともに地面が激しく揺れる。
「なっ……!」
思わず壁に手をつく。
地震かとも考えたが、その考えは目の前の光景によって、あっさり否定された。
「………」
信じられない光景。
壁が左右にずれ、石と石が擦れ合う音が響く。
まるで、隠し扉のスイッチでも押したみたいに、一本道だった通路がゆっくりと二つに分かれていく。
「……なんだよ」
なんなんだこれ。
ダンジョンってこういうものなのか?
俺の想像してたダンジョンって言うのはこう……。迷路みたいになってて、ただ魔物が出てくるだけのものだった。
目の前の仕掛けが、そんな単純なわけがないと言わんばかりに動き続け、やがて元の通路は消えて新しい通路だけがそこにあった。
どうやら、俺の想像していたダンジョンは随分と甘かったらしい。
「……」
嫌な予感しかしない。
だが元の道へ戻る理由もなかった。
どうせどこへ行ってもここは魔物の巣窟なのだ。前進あるのみ。
覚悟を決め、前へ進んだ。
―――
三十分ほど歩いたが、魔物が一切いない。
前までの俺なら泣いて喜ぶことだろうが、それが逆に、今の俺にはなにかの予兆にも感じ取れた。
一層、二層はすべて魔物だらけだった。
グリズリー、ゴブリン、ウルフ。
少し歩けば遭遇し、また少し歩けば遭遇。それの繰り返しだったはずなのに、かれこれ三十分もずっと遭遇していない。それが逆に今の俺には不安で堪らなかった。
異常なほど静かなダンジョンには、俺の足音だけが響く。あとは自分自身の呼吸の音。
その静寂を破ったのは―――
ぽたり。
一滴の水音だった。
「……?」
足を止め、よく耳を澄ませると、
ぽたり。
間違いない。どこかで水が滴っている。
ゆっくりだった足取りが徐々に駆け足へと変わる。
喉が渇いていた。
当然水筒もない。
そのくせウルフの肉を食べたもので、喉が究極にカラカラだった。
段々と道が開け、広い空間に抜ける。
真ん中にあったのは地下湖……だろうか。
「うおああ……」
声が漏れる。
当然だ。
今の俺には、ダンジョンのオアシスにも感じれるそれは、太陽の光がなくとも断然と輝きを放っているように見えた。
湖へ駆け寄り、両手ですくう。
透明だ。匂いもない。
恐る恐る口へ含み、ゴクリと音を鳴らし飲み込む。
「………うまい」
もしかしたらこのダンジョンで一番美味しいかもしれない。
少なくとも、あのウルフの肉よりは圧倒的に美味しい。
多分その辺の水と変わらないのだろうが、今の俺には、味を評価できる味覚なんて存在しなかった。
何度も飲み、喉を潤す。
ふと、水面に浮かんだ自分の顔が、久しぶりに見たもので別人に思えてしまった。とりあえず擦り傷だらけだったので顔を洗い、思い出したかのように傷口も洗い流す。
「痛っ……!」
右腕の裂傷に水が染みる。
どうやらご都合主義的な回復効果のある水ではなく、本当にただの水らしい。
だが傷は綺麗になったし、これで少し安心できた。
その時。
視界の端に何かが映る。
「ん……?」
水を飲むのに夢中で気づかなかったが、湖のほとりに何かが落ちている。
近づき、足が止まる。
「………」
これは……人骨だろうか。
白く風化していて、服の残骸もまだ辛うじて残っている。
錆びた剣が隣には刺さっている。
そして、鞄。
「………」
ミミック的なものを警戒しながら、恐る恐る開き、中を漁る。
中には包帯、火打石、ロープ、錆びたナイフが入っていた。
最低必需品を手に入れ、生き延びられる。なんて思った矢先、嫌な想像が頭を過ぎった。
この持ち主は?
なぜここにいる?
「………」
答えはこの骨が教えてくれている。
生きて帰れなかったのだ。
ちゃぷん。
視界の端で、水面が僅かに揺れたように見えた。
振り返って見るも、そこには誰の姿もない。
「……魚?」
そんなわけないだろう。と、自分でもツッコミの入れたくなるような回答をすると、それを否定するようにもう一度水面が揺れた。
ちゃぷん。
魚にしてはやけに波紋が大きい。
ジンベエザメとかじゃないと説明の付かない大きさ。いや、むしろジンベエザメであって欲しい。
そんな馬鹿な考えを巡らせていると、
ズボォッ!
湖面が爆ぜた。
「っ!」
咄嗟に飛び退く。
俺が立っていた場所に、水が突き刺さる。
何を言っているのか分からないと思うが、とにかく水の塊が圧縮され、石畳へ突き刺さったのだ。そう、まさに槍のように。
突き刺さった石畳は砕かれ、石片がこちらに飛んでくる。
次の瞬間。
湖の中央から何かがゆっくりと姿を表した。
長い首。
灰色の鱗。
蛇のような身体。
目だけが異様に赤く、こちらを睨みつけている。
一見すると蛇だが、蛇にしてはあまりにも大きすぎた。
なんたって体長は十メートルを優に超えている。
全身が水に濡れ、鱗が青白い光を反射していた。
『シャァァァァァァ……!』
耳障りな鳴き声。
長い舌が伸びる。
その先端が二つに割れていた。
「マジか…………」
さっきまでそこの水、俺飲んでたんですけど。
なんなら顔も洗ったし、傷も洗っちゃったよ。
出てくるならもっと早く出て来いよ。いや、可能ならずっと出てこないでほしかったけど。
蛇は動かず、じっとこちらを見ている。
俺も動かず、蛇の様子を伺う。
嫌な汗が頬を伝う。
さっきの水の槍。あれを食らえば身体に穴が開いて終わりだ。間違いなく致命傷になる。
どこまで続くかもわからないこのダンジョンで、それだけは避けたい。
だから、迂闊に近寄ることができず、ただ冷戦状態がひたすら続いていた。
「………」
試してみるか。
足元の石ころを広い、蛇の頭へ投げつける。
ところがコントロールは絶望的に悪く、石ころは俺の手をすっぽ抜け俺の頭上へ飛んで行った。
ガンッ。と天井に当たった音。
その音に蛇はピクリ、と反応を見せ、目を細める。
その瞬間。
水の槍が石ころを正確に撃ち抜いた。
………嘘だろ。
結構距離あるんだぞ。
あんな数センチの石ころをあの距離から……。一撃で………?ええ………。
蛇の正確すぎる射撃能力に思わずドン引きしてしまう。
そんなことを考えているとふと、蛇の後ろが見える。
湖の向こう側。岸、いや、石造りの階段。つまりは次の階層への階段だ。
方向はもちろん下り。贅沢を言えば上りであってほしかったが、もうそんな希望的観測は捨てた。
だがこれで余計に困った。
狙いを外してくれるならまだ勝気はあるが、こんな正確すぎるエイムを見せられては余計に近づきたくなくなってきた。
俺には遠距離攻撃の手段はない。
強いて言えば……このナイフを投げることくらいだが、あまり得策とは言えないだろう。
変質系のマナ操作で火を出すことはできるが、マッチをつけて投げたほうがまだ………。
その時、一つの作戦を思いついてしまった。
小学生のころ、理科の授業かなにかで聞いたことがある。蛇は目が悪く、視界が非常に狭い。
だがその代わりに、熱を感知して獲物を捉える。
そして目の前にいるコイツは熱だけじゃなく音にも敏感だ。それは数メートル先の小さな石ころすら正確に撃ち抜くほど。
俺はポケットから先ほど手に入れた火打ち石を取り出し、自らの服を一部破り取る。
布切れへ火花を散らし、数回失敗してぼっ、という音とともにようやく小さな灯が灯る。
そこに俺のマナを火へ変換し、ほんの少しだけ火が大きくなる。
燃える布切れを思い切り右へ放り投げ、俺は左へ全力疾走する。
蛇の頭は俺に興味を示すことはなく、一瞬で布切れの方を向く。
『シャアアアアッ!』
ズドンッ!
水の槍が一直線に飛び、ひらひらと舞う布切れを、見事正確に撃ち抜いた。
知能が高いというより、本能に忠実のようで、熱源を優先して狙うようだ。
湖沿いを駆け、一気に階段を目指す。
階段まで二十五メートル。
あと十五。階段はもうすぐそこだ。
勝った―――
己の勝利を確信した瞬間だった
『シャアアアアアアアアアアアアアッ!』
「なっ!?」
蛇は身体を大きく捻り、湖そのものを揺らす。
巨大な尾が水面を叩き、ドォン!と、音を鳴らす。
津波のような水が押し寄せ、足を取られてしまう。
態勢を崩した一瞬。蛇は迷わずこちらを向いた。
禍々しく赤に光る瞳と目が合う。
完全にロックオンされてしまった。
『シャアアアアア………』
水が渦を巻く。
今までよりもずっと太く、丸太ほどもある水の槍が、容赦なく俺へ向けられていた。
「―――――」
ズガァァァァン!と、轟音を鳴らし、石畳が爆発する。
石片が腕や頬へ突き刺さり、爆発の衝撃だけで嘘みたいに身体が吹き飛んだ。
「がは…………!」
肺の空気が全部抜ける。
壁へ勢いよく叩きつけられ、上手く息ができない。
右肩が焼けるように痛み、腕もまともに上がらない。まるで肩の中に熱した鉄を突き込まれたようだ。指先を動かすだけでも痛みが走る。
あと一瞬でも反応が遅れていたら、今頃俺もあの石畳のように………。いや、あんなんじゃ済まなかっただろう。
くそ………。
最初いた場所に戻されてしまった。
蛇は意外にも追撃せず、じっと俺を見て警戒を続けている。
獲物が弱るのを待つ捕食者のように、この狡猾な蛇は一瞬の隙すら俺には与えてくれない。
………考えろ。落ち着け。
なにかを見落としているはずだ。
「………あ」
その時、壁際に積み上がった瓦礫が目に入った。
そこには崩れ落ちた巨大な石柱。俺一人では到底持ち上がらないだろう。
だが、こいつなら。
あの正確な水の槍であれば―――
ゆっくりと立ち上がる。
右腕は完全には動かない。
握力も落ちている。
普通なら休むべき怪我だろう。
でも、今休めば次に動く機会なんて二度と来ないのだろう。
右肩が熱い。腕をほんの少し動かしただけだというのに激痛が走る。
「っ………!」
歯を食いしばり、痛みを我慢する。
確かに痛い。
だが、動かないほどじゃない。まだ、戦いは終わっていないのだ。
『シャァァァ……』
蛇は赤い瞳で俺を捉え、警戒したまま動かない。
焦ってはいないようだった。
まるで、獲物は逃げられないとでも確信しているような様子だった。
「……蛇っころが舐めやがってよ」
床に転がっていた石を一つ広い、思い切り左へ投げた。
ガンッ!と音を立てて壁にぶつかるも、もう学習したようで蛇は見向きもしない。
「………」
音ではなく熱源に集中し始めたようだ。
俺はまた自分の服を一部破り、火を灯した。
本当に、小さな火。
燃え広がる前に石へ巻き付け、それを全力で投げた。
火を纏った石が放物線を描き、ズドン!という音ともに石は跡形もなく砕け散った。
―――予想通り、火には必ず反応する。
おそらく、熱に弱いという変温動物の特性を丸ごと受け継いでいるのだろう。にしてはこんな大きく育った上に、水の槍を撃ってくるのは突然変異にもほどがあるんじゃないだろうか。
その隙に瓦礫の陰に飛び込む。
蛇からは見えないはずだが、蛇が見ているのは俺という姿ではなく熱そのものだ。
案の定、ズガァァァァン!という音とともに、瓦礫を水の槍が突き刺す。
もう一度。
燃える布を別方向へやると、ズドォン!と、瓦礫が崩れ、石柱が僅かに傾く。
火を付け、投げる。
水槍が飛んできて爆発し、少しずつ。本当に少しずつ。石柱が限界へ近づいてくる。
『シャァァ……』
蛇もなにか違和感を覚えたらしく、燃える布切れへ攻撃するのをやめてしまった。
警戒し、もはや小さな炎では攻撃してくれない。
あと一発、あと一発あればこの石柱は倒れ、蛇に直撃する。
ふと、あることが脳裏を過る―――
―――誰しも、異世界に来たらやってみたいことだと思う。
魔法と言えば?みたいな。代名詞だと個人的には思う。それくらいメジャーなもの。
だが、この世界で俺にはそれができなかった。なぜなら、変質系のマナ操作が得意ではなく、数分の時間と全集中力をかけ、ようやくソレが完成するのだから。
実践ではその数分が命取りになる。それで敵が殲滅できるならいいのだが、残念なことにそんな大層なものではない。当然だ。
あまりにも、実用的ではなさすぎた―――
「――――――――はあああああああああ!」
マナを手の平に込める。
もっと集中しろ。マナの放出まで考えたら、もっとマナが必要だ。
蛇はこちらを警戒し威嚇するが、攻撃の気配はない。当然だ。
あと一度、同じ方向に攻撃すれば自分の身が危ういことくらい、蛇でも本能的にわかっていた。
ギャンブルにも思えたこの攻撃は思いの外大成功し、ソレは完成する。
球体を模ったマナは見る見る赤くなり、真っ赤に燃え盛る。
『シャアアアアアアアアア!』
耳障りな蛇の咆哮が、ダンジョン中を響き渡る。
「―――――ファイヤーボール!」
ファイヤーボールというにはあまりにも小さく、込められたマナも弱々しい上に、速度もない。
だが、攻撃を誘うにはそれで充分だった。
それを相殺するため、狙い通り石柱の方向へ水槍を放たれる。
瞬間、メキッ。嫌な音が響く。
「いけええええええええええええええ!」
ドゴォォォォォン!
かつて天井を支えていた巨大な石柱が根本から折れた。
何十トンあるかもわからない岩塊が、湖へ向かって崩れ落ちる。
『シャアアアア!?』
蛇は初めて動揺を見せ、逃げようとして巨体を必死に捻る。
しかしもう遅い。
轟音とともに岩石が降り注ぎ、水柱が何十メートルも高く巻き上がる。
湖、いや、この層全体が揺れた。
「……やったか?」
思わず口に出してしまう。
いや。それを言うと大体生きてるんだよなあ………。
正直なことを言うと、嫌な予感はずっとしていた。
湖の底から、ゴォォォォォ……。という轟音とともに泡が吹きあがる。
崩れた岩がゆっくりと持ち上がっていく。
何十トンもあるはずの岩塊が、まるで木の枝でも払うように簡単に押しのけられる。
水飛沫を撒き散らしながら、死に別れたはずの巨大な蛇と感動の再会を果たすことに成功した。
「それは冗談だろ……」
蛇の姿は変わり果てており、頭からは血が流れ、鱗も何枚か剥がれ落ちている。
確かに効いてはいる。効いてはいるのだが、決定打にはなっていない。
『シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』
先ほどまで手を抜いていたのか、それとも思わぬ負傷に、怒りで覚醒したのか。
どちらかはわからないが、先ほどまでとは比べものにならないほどの咆哮をあげている。
湖全体が震え、水面は激しく荒れ狂う。
先ほどまで冷静だった蛇の赤い瞳には、絶対に殺すという怒りが宿っていた。
「………」
怒らせた。完全に。
ここからが、本当の戦い。第二ラウンドというやつなのだろう。
俺はもうすでに満身創痍、疲労困憊なのだが。
蛇が動き始める。
さっきまでとは明らかに違う動きで、今までは獲物を狩る動きだった。
冷静に、確実に、無駄なく。狡猾かつ硬派で、実に蛇のイメージに沿った戦い方だった。
だが、今は野生動物もいいとこだ。
怒りに身を任せ、純粋な殺意で俺を仕留めに来ている。
攻撃は単調で、先ほどのほうが強かったのではないか。なんて考えてしまう。
だがどこか、俺の嫌な予感は拭えないでいた。
『シャァァァァァ!!』
すぐに湖の水が浮き上がる。
まるで意思を持っているかのように、水が蛇の周囲へ集まっていく。
「………………マジか」
見事嫌な予感は的中した。
作られた水の槍は一本ではない。
十。二十。いや、もっと。
空中には無数の水槍が形成されていた。
「おいおいおいおいおいおいおい………」
今までは一発だったので辛うじて避けることはできた。
それでもギリギリだった。
正確な狙いと、速度。それらを併せ持った水槍を避けるのは至難の業だった。
でもこれは―――
「いくらなんでもやりすぎだろ!」
『シャアアアアアアアアア!』
蛇が怒りの咆哮をあげる。
同時に、無数の水槍が俺を狙って降り注ぐ。
「っ!」
反射的に身体が動いた。
左右、前、後ろ、上。
考えるより先に身体が動く。
地面が次々と砕けていき、一瞬前までいた場所にはすぐにぽっかり穴が開く。
もし少しでも動くのが遅ければ、もし少しでも身体が動かなければ。俺はもう原型すら残らず、ズタズタにされていたのだろう。
「はぁ………はぁ…………!」
息が荒れる。
同時に、右肩と右腕の傷がすでに塞がっていることに気づいた。
なぜ?いつ?そんなことを考えるのはあとだ。
今はただ、攻撃を避けることだけを考えなければ!
『シャァ……』
蛇がこちらを見つめる。
次の攻撃のため、狙いを定めているのだろう。
次の攻撃に合わせ、俺も走り始める。
いや、このままじゃジリ貧だ。
勝つことはおろか、このまま体力が尽きてそのまま俺は死ぬだろう。
だが俺には遠距離攻撃はない。
あのファイヤーボールモドキだって、分類は遠距離攻撃だろうが、火力もないし速度もない。蛇が過剰に攻撃してくれたのを利用しただけだ。
近づけば迎撃。離れればただ一方的に撃たれるのみ。
「詰み………か………」
いや、違う。
まだ手はある。
勝負は一瞬だ。
俺は走りながら周囲を見渡す。
なにか、なにか使えるものはないか。
石柱は壊したし、瓦礫、いや、水も使えない。そして―――
湖の端。さっき拾った骸骨の鞄。その横に転がっている錆ついた剣。
使い物にならないと思っていたが、ここで役に立つとは。
俺は身体の方向を変える。
それに蛇は反応し、水槍が飛んでくる。
俺は地面を蹴った。蛇のいる正面ではなく、横。ギリギリに。
水槍が頬を掠め、血が飛ぶ。痛みは無視し、怯まず錆ついた剣を拾う。
刃は欠け、振ったら今にも折れてしまいそうな剣。………だが、今はそれでいい。
「短い間だけど頼むぜ。相棒」
剣を握り、そして―――。
蛇へ向かい、走る。
『シャァァァ!?』
蛇は俺に戸惑ったような反応を見せる。
当然だろう。今まで逃げるだけだった獲物が、突然自分に近づいてきたのだから。
水が集まる。水槍にして迎撃するつもりだろう。
だが、こいつの弱点を、俺は知っている。
こいつの水槍は強すぎるのだ。こいつの狙いはあまりにも正確すぎるのだ。それはもう、他者を一度も自らへ寄せ付けないほどに。
俺は地面を蹴る。
同時に、水槍が放たれる。
が、俺は横へ避けることはせず、ただひたすら前へ。前へと進む。
当たるギリギリで身体を捻る。
水槍が左肩を掠め、出血するが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
蛇の首元までわずか数メートル。
「どうした?近距離エイムは苦手か?」
蛇に勝利を確信した笑みを見せると、首元に思いっきり剣を叩きこむ。
当然、錆だらけで切れ味などこれっぽっちもない剣は鱗を貫くことはできず、ガキン!という音とともに弾かれていった。
だが一瞬、ほんの一瞬。攻撃されて蛇の動きが止まった。
俺は迷わず飛んだ。
蛇の巨体を踏みつけ、湖の向こう側へ着地する。
「………!」
成功した。
自分の思っていた以上に、自分の身体がよく動く。
ふと、背後を振り返ると、そこには片目を潰された蛇が怒り狂った様子でこちらをじっと睨みつけていた。
まだ赤くなるのか。というほど赤い瞳。
そこにはもう、かつての狡猾さなど微塵も感じさせなかった。
あの一瞬。弾かれた剣が。偶然にも目を傷つけていたのだろう。
『シャァァァァァ!!』
蛇が吠える。
階段を見る。
あと数歩。数歩も歩けばこの二層を突破し、次の層へ無事?進める。
だが、この背後の魔物は。それを許さないつもりだ。
なにができるわけでもない。ただ、敵意を剝き出しにして、相手の闘争心を煽ることしかできない。そんな安い蛇の挑発に。
俺は乗ってしまう馬鹿なのだ。
正直言ってしまえば、怖い。
怖いのに、なんで俺は自分から立ち向かおうとしているのだろうか。きっと、アルベルトに似てしまったのだろう。きっとそうだ。
グリズリーは単純な力だった。
特に知性があるわけでもなく、技があるわけでもない。硬い皮膚と、鋭い爪と牙。そのフィジカルにものを言わせる戦い方。
ゴブリンは知恵。狡猾さだった。
仲間を囮にしてでも獲物を捉える。不意打ち上等、奇襲が基本。一匹の力は弱くても、油断すれば簡単に命を落としていただろう。
ウルフは速さと統率を持っていた。
グリズリーやゴブリンにはない素早い攻撃。実際、俺は最初その動きについていくことすらできなかった。
そしてこいつは―――。
力も知恵も狡猾さも、速さもある。
その上で、自分の能力を理解し、戦っているのだ。
だから怖い。
魔物なんて所詮、本能で戦っている獣だろう。なんて思っていた過去の自分がどれだけ愚かだったか。
奴らもまた、生きるために考え、戦っている。
その事実を、この蛇は俺に叩き込んだ。
「………」
足は震えていない。手の震えも止まってるし、呼吸も正常。脈拍は……さすがにやや早いが、まあいいだろう。
……少しだけ。
本当の意味で、俺はこのダンジョンに慣れてきたのかもしれない。
拳を握る。
ゴブリンから奪った短剣じゃ致命傷はとてもじゃないが与えられないだろう。遠距離攻撃も当然ない。ファイヤーボールモドキはもう撃てないだろうしな。
一番攻撃力が高いのはこの拳だろう。
「よう蛇っころ。戻ってきてやったぜ」
『シャァァァ……』
蛇が低く唸りをあげる。
まだ怒りは収まっていない様子だが、片目を失ったことで警戒心は増している。要するに、さっきより手強いってことだ。
先ほどのように水をむやみやたらに撃つことはせず、今か今かと俺の動きを待っている。
「……」
やっぱりこいつは頭がいい。
なら俺も考えさせてもらおう。
こいつの攻撃は完全ではないにせよ、避けられないわけじゃない。
近づくのは容易だろうが、問題はそのあとだ。
近づいたところで簡単にあの硬い鱗に攻撃を弾かれて、ゲームオーバーだ。それじゃ意味がない。
もう片方の目も狙うか?
いや、現実的じゃないな。そんな簡単に両の目を差し出すとは思えない。
そんなことをしたら―――。
「………あ」
思いついた。勝つ方法。
シンプルで、かつこの拳で勝つ。あの化け物相手に正真正銘のガチンコファイトで勝つ方法だ。
考えている間に、蛇が先に動いた。
水が集まり、水の槍ではなく横面積の広い刃を放ってきた。
「あー………」
これはちょっと予想外だ。
こんなに攻撃範囲を広くされたんじゃ、迂闊に近づけないからだ。
だが、面積が広いってことは水槍以上にエネルギーを使うってことじゃないか?
現に今、奴は三本の刃しか撃ってきていない。
左、右、と躱し、最後は真上へ飛び、水の刃をすべて躱す。
壁を思い切り蹴り、蛇の目に向かって勢いよく飛び掛かる。
目を狙われることに気づいた蛇は、口を大きく開き、俺は口内へ滑り込む。
「いくら外の鱗が硬いからと言っても………体内まで鱗で覆うわけにはいかないよな!」
口元を緩ませ、両の拳でこれでもかというほど口内を殴り続ける。
歯はすべてへし折り、暴れる俺を抑えつけるように舌が俺を喉の奥へ誘拐しようと試みるも、短剣で舌を突き刺し、さらにダメージが蓄積される。
「これで………終わりだ!」
上顎に向けて、全力で拳を突き上げる。
ズドン。という今までとは違う手応え。拳が内部まで響いたのか、暴れていた蛇の動きは止まる。
口の中から脱出し、蛇はドォォォン!と音を立て、巨大な水飛沫を上げて倒れた。
衝撃で天井から岩石が降り注ぎ、また起き上がるか?と構えるが、そこにあるのは静寂だけだった。
ようやく、この巨大蛇との戦いに決着がついた。勝者は、俺。
左の拳を突き上げ、勝利のポーズを取ると、いきなり全身の力が抜けた。
膝が生まれたての小鹿のように震えている。
「……あ」
今になって気づいた。
怖かった。
水槍が飛んできた瞬間も、口の中に飛び込んだ瞬間も。挙げればキリがないくらい、本当は怖かったのだ。
俺は死ぬかもしれないなんて思ってたが、戦っている間はそんな細かいことを気にしていられるほど余裕なんかなかった。
身体が思い出したかのように恐怖を訴えてくる。
「………はは」
笑いが漏れてしまった。
本当によく生きてたな。俺。
戦っている間には気づかなかった痛みが、一気に押し寄せてくる。
右腕。
左腕。
脇腹に背中。頬もうっすら……。どこもかしこも痛い。
さっきまで平気で動いていたことが信じられないくらいだった。
「俺の……勝ちだ………」
誰もいないダンジョンで呟く。
返事はなく、水の滴る音だけがこの空間に響き渡る。
誰が聞いてるわけでもない。当然だ。
だけど、少しだけ―――本気でダンジョンから帰れる気がした。
「腹ぁ………減ったなあ…………」
呼応するように、ゴゴゴゴゴ……。と鳴り響く。
ん?俺の腹壊れたか?
服をめくり、自身の身体の異常の確認をしていると、湖の中央。水面がゆっくりと割れていく。
その奥から現れたのは、また別の階段だった。
どういうことだ?階段はこの奥で………。こいつはじゃあ………。
つまるところ、隠しルートの隠しボス。的な感じだろうか。
どうりで強さが異常だったわけだ。この難易度の高さも頷ける。
「もうボスはこれが最後でいいけどな……」
そんな独り言を言いながら、そっと意識を手放した。
夕方に手を付け始めたはずが、気づいたら三時。力尽きました。




