第九話『はじめましてダンジョン』
第二章『不思議のダンジョン編』開幕
『グルルルルル………』
低い唸り声が響く。
瞬間、グリズリーが地面を砕きながら突進してきた。
「うああっ!?」
巨体のわりに素早く、横へ飛び、間一髪で回避する。
直後、さっきまで俺が立っていた石畳が粉々に砕け散った。
その光景を見て思わず、ゾッとする。
どこか勘違いしていた。これはゲームでも、夢でもない。死ねばその時点で俺の命は終了する。
冷や汗が頬を伝う。
俺とグリズリー、互いに見合い、隙を伺う。
喉が渇く。
心臓がうるさいほど脈打っている。
逃げるか。
それとも戦うか。
手足は震え、身体は今にも逃げ出したいと叫んでいた。
「………」
『………』
……頭を冷やせ。冷静に考えろ。
グリズリーは今、俺の様子を伺ってる。
つまり、奴は俺を完全に格下とは思っていないってことだ。
もしかすると、力関係は対等、もしくは少し下、くらいなのかもしれない。
だが、それでも状況はなにも変わらない。
俺は真剣どころか木剣すら持ってきてはおらず、使える武器と言えばこの手と足くらいのものだ。
大してグリズリーは石畳を簡単に砕いた爪に、簡単に人をもかみ砕けそうな鋭い牙。
……あまりにも状況は絶望的だ。
『グルルルルッ!』
グリズリーが咆哮を上げ、再び地面を蹴った。
やはり速い。
「っ!」
考えるよりも先に身体が動いた。
一度そうしたように真横へ飛び込み、紙一重で巨腕を躱す。
風圧だけで身体が持っていかれそうになる。
「くっ………!」
地面を転がりながら距離を取る。
ふとひび割れた天井に目が行き、一つの策が思い浮かぶ。
このグリズリーは慎重なようで、俺に再び躱されたのを見ると、壁に追い込むようにゆっくりと回りこみ、機を伺っている。
だが、機を伺っているのはコイツだけじゃない。
『グルルルルアッ!』
グリズリーが左右の逃げ道を塞ぐように両の手を広げ、突っ込んできた瞬間。俺は真上へ飛び上がり、天井のひび割れを思い切り蹴る。
すると、ドゴンと大きな音を立ててグリズリーの脳天に直撃する。
さすがにダメージは大きいようで、グリズリーはしばらくふらふらとした後、バタンと倒れた。
「………」
死んだ……のか?わからない。
あまり気は進まないが、グリズリーの首の骨を素手で思いっきり折ることにした。
いや、胸に手突っ込んで心臓直接取り出す……とかよりはマシだろ?
瓦割の要領だ。実際にやったことはなかったが、制御系のマナ操作が得意なこともあり、無事成功した。
自分を襲ってきた者とは言え、命を奪うのは少し心苦い。
もっと、ザ・化け物。みたいな見た目でいてくれれば幾分か気は楽だったのだが……。いや、それはそれでショッキングだな。なんか嫌だ。
「ふう………」
ため息をつき、いったん今の状況を整理する。
整理するといっても、すべてが知らないものすぎてなにがなんだかわからないのだが。
ここは……多分、見た目的にもロデスさんの言っていた迷宮、もしくはダンジョンの中なのだろう。
正確な違いは聞いていないのでよくわからないのだが、グリズリーは魔物なのだろう。俺を見るなり襲ってきたし。
それに、ダンジョンというのは俺の中でもこういう石造りのイメージがある。
となると、出口を探すのが賢明だな……。
当然だが、準備などなにもしていないので食料は全くない。本当に最悪の事態の時は魔物の肉を食べよう。
本当に、それは最悪の最悪の事態の時だけだ。それだけはできるだけ、というか絶対に避けたいことだが。
しばらく一直線の道を歩いていると、魔物の集団と鉢合わせした。
「おい嘘だろ………」
小柄な身体。緑がかった皮膚。歪んだ顔に並ぶ黄色い歯。
獣とも、魔物とも言い切れない不気味な姿。
ゴブリン。
ゲームや漫画では、序盤に出てくる定番の雑魚モンスター。
だが、目の前にいるそれは画面の向こう側の存在ではない。
さっきのグリズリーを見るに、この世界のゴブリンが雑魚かどうかも怪しいところだ。
『ギャアッ!』
集団の一匹が正面から飛び込んでくる。
俺は拳で殴り飛ばす。
軽い。あまりにも軽かったのだ。
……そう思っていた矢先、背後から殺気を感じた。
「っ!」
振り向くと、別のゴブリンが錆びた短剣を振り下ろしていた。
慌てて身体を捻り、回避を試みるも、頬に浅い傷が走る。
血が石造りの床に滴り落ちる。
「……」
今のは偶然じゃない。
こいつらは間違いなく連携を取り、俺を殺すために動いていた。
そして次の瞬間には、また背後から短剣が振り下ろされる。
今度は完璧に回避し、背後を見ると、ゴブリンは驚いたような表情をしていた。まだ短剣は振り下ろされていない。
その状況に違和感を覚えながらも、ゴブリンの持っていた短剣を奪い、心臓を一突きする。
命を奪うことに抵抗が~とか、そんなことを考えている余裕は俺にはなかった。
『ギャギャッ!』
左右前後から、俺を囲うように矢が放たれる。
寸前のところで飛び上がることで回避し、天井を蹴って勢いよく右から順に始末していく。
短剣のリーチの短さにはまだ慣れないが、使い勝手は悪くなかった。
最後の一匹。
仲間がいなくなった指揮官のようなゴブリンは、どこで覚えたのか近づく俺に対して両手を擦り、媚びるような仕草をした。
一瞬だけ、助けてもいいのではないかと思った。
だが、その瞬間。
ゴブリンの指が腰の短剣へ伸びた。
それを見た俺は容赦なく媚びる指揮官の心臓を貫き、結果としてゴブリンの集団の殲滅に成功した。
……ゴブリン。知性が多少はあるとはいえ、魔物には変わりないのだ。
油断してはいけない。ここは魔物の巣窟、ダンジョンだ。
「………はあ」
ゴブリンたちとは三十分ほど戦っていただろうか。
ダンジョン内は常に薄暗く、外の光など一切届かない。俺の時間の感覚はすでに狂い始めていた。
俺としては疲労感でいっぱいなのだが、まだ二回しか戦闘していない。
この先どうなるのか、思いやられる。
………それにしても。
「腹が減った………」
俺の言葉に返事をするように、腹がぐうう……と、切なさそうに音が鳴り響いた。
休憩している暇はない、先を急ごう。イヅナも、アルベルトやエレナ、オルタナも心配していることだからな。
ゴブリンから使えそうな武器を数本いただき、その場を後にした。
―――
うーむ。
どうしたものか。
このダンジョンに誘拐され、体感五時間ほどが経過した。無限に湧き続けるゴブリンやグリズリーを倒し、着々と強くなっていく実感はあるものの、先へ進めているという実感は全くなかった。
それもそのはずで、この階層は一通り見回った。が、上る階段が一つも見当たらないのだ。
下へ続く階段は一つだけ見つけてある。まさか、本当に下っていけってことじゃないよな……。いや、かなりそうっぽいんだけども。
まあ、ずっとこの階層にいても仕方ないか。
何度探し回っても、ゴブリンやグリズリーが無限に湧き続けるだけだし。
「はあ………」
本日何度目のため息かわからないが、背伸びしながら階段を降りて次の階層へ進んでいった。
階段を降りた先も、変わらず石造りの空間だった。
壁も、床も、天井も。
一層と何も変わらない。
足を止める。
さっきまでは、歩けばどこかから魔物の気配があった。
ゴブリンの叫び声。
グリズリーの唸り声。
だが、ここには何もない。
何もない……はずなのに。
背中にどこか嫌な感覚が走った。
『ガウッ!……』
横の通路から、一匹の魔物が飛び出してくる。
咄嗟に短剣を構え、振り抜くが、刃は空を切り、刃がポロポロと零れ落ちた。
――速い。
飛び退いた魔物がこちらを睨む。
灰色の毛並み。
鋭い牙。
俺の腰ほどまである巨体。
狼型の魔物。
サイズはグリズリーと比べてしまえば可愛いものだが、その爪と牙の攻撃力はグリズリー以上のものだった。
加えて速く、ゴブリン並みの知性もあるようで、気づけば俺はウルフの群れに囲まれていた。
数は………七匹。
先ほど使い物にならなくなった短剣を左のウルフへ投げつける。刃が突き刺さるのを合図に戦闘が始まった。
ウルフの群れは統率が取れているようで、攻めるときは一斉に、引くときも全員で。徹底したヒットアンドアウェイを繰り返してくる。
ゲームではよくプレイヤー側が行う戦法だが、まさかされる側になるとは考えもいしなかった。
だが、俺は魔物とは違いこの戦法の突破法をよく知っている。
知っているからこそ、躊躇し、防戦一方になっているのだが、このままでは消耗するだけだ。覚悟を決めろ。
俺に攻撃を躱され、身を引いていたウルフたちが、再び攻撃に入る。その瞬間だった。
「――――ッ、」
鋭い牙が右腕を貫く。
熱い。
少し遅れて激痛が走る。
「………ッ、はああああああああ!」
攻撃に怯まず、残された左手の短剣でカウンターを叩き込む。
確かに、ウルフはグリズリーより優れた戦闘能力を持つ。ゴブリン並みの知能もある。統率も取れているがグリズリーに比べたらずっと皮膚は柔らかかった。
『クゥン………』
一撃でウルフ一匹を沈め、次の攻撃に備える。
ウルフたちは自分たちの仲間がやられたことに動揺を隠しきれていない。当然だ。
攻撃が当たっているのに反撃をされたら、魔物と言えど効いていないんじゃないかと疑いの念を持つだろう。
実際にはそんなことはなく、右腕からは血が止まらない。残念なことに奴らの攻撃は恐ろしいほど効いている。
だがこれのおかげで五回も同じことをせずに済みそうだ。
統率の取れなくなった群れは脆いもので、怯え切ったウルフたちにもはや統率はなく、残りの五匹は簡単に仕留めることができた。
「………」
ぐうう……。
それと同時に、静まり返ったダンジョンに情けない腹の音が大きく響いた。
まだ階段を一つ降りただけというのに、消耗も激しい。ここで補給しなければ、遅かれ早かれこの先死ぬだけだろう。
仕方ない。試してみるか……。
自身のマナを火へ変換する。
俺は変質系のマナ操作が得意ではないため、魔法的なものは使えないし、火力も大したことない。だが、なにかを熱するだけなら可能である。
……察しの通り、今からこのウルフの肉を食べようと思う。
「………」
息を飲む。
覚悟が決まり切らないが、いつかやるしかないのだ。
ウルフの肉を短剣で切り分ける。
見た目は普通なんだよな……。見た目は。
手のひらに肉を乗せ、ゆっくりと熱を通していく。
じゅうう……。
脂が落ち、焼ける音だけは食欲をそそる。
匂いも悪くはない。
なんかいける気がしてきた。
「………本当に、ぱっと見は普通の肉なんだよなあ………」
恐る恐る、一口かじる。
「なんだ、案外いけるんじゃ──ゴホッゴホッ!………んだこれ!?」
思わず顔をしかめる。
いい火加減で焼けていたはずなのに、硬くていつまでも肉が呑み込めない。
口に入れる前はあんなにも香ばしい香りを放っていたはずなのに、生臭くて仕方ない。
焦げてる箇所は一つもないのに、全体が焦げているような味がする。
「………」
現実が受け入れられず、もう一口食べてみる。
「まずっ………」
反射的に吐き出しそうになる。
だが、吐き出したところで解決する話ではない。慣れるしかないのだ。
「ううっ……」
噛めば噛むほど、鉄臭さとも泥臭さともつかない不快な風味が口いっぱいに広がる。
なぜ俺がこんな目に、なんて考えてる余裕はなかった。
胃がひっくり返りそうになりながらも、涙目になりながら肉を胃へ押し込んだ。
一口、また一口と。
飲み込もうとするたび、胃酸が逆流し、今までの努力が水の泡になりかける。
「うぷっ………」
無心で食べていると、いつの間にか切り分けた分の肉を食べ終えていた。
とてもじゃないが、残りの分まで食べる気にはなれない。
「さて、行くか……」
休んでいる暇はない。
腹をさすりながら、胃の不快感を少しでも誤魔化す。
「っ………」
思い出したように右腕がずきりと痛む。
戦っている最中は気にならなかった傷が、追撃をするかの如く存在を主張し始めた。
血はまだ完全には止まっていない。が、足を止めるわけにもいかない。
短剣を持って立ち上がり、ダンジョンの奥へと足を向けた。




