第九十五話 Frühlingserwachen うにうに②
お父さんは、急いで出かける支度を終えると、戸口へ向かった。
「ユウト」
振り返る。
「お父さんはお産婆さんを呼んでくる。」
「すぐ戻るから、お母さんのそばにいてあげてくれ。」
「うん!」
ユウトは力いっぱい返事をした。
お父さんは優しく笑い。
ぱたん。
扉を閉めて駆け出していった。
◇
部屋の中は静かだった。
お母さんは布団に横になり、苦しそうに息を整えている。
「すぅ……はぁ……」
「すぅ……はぁ……」
でも。
少しずつ。
その呼吸が苦しそうになっていく。
「おかあさん?」
ユウトはそっと手を握る。
「だいじょうぶ?」
「うん……大丈夫……」
笑おうとする。
でも。
顔色は少し青かった。
「おかあさん……」
胸がぎゅっとなる。
何か。
何かしなきゃ。
でも。
何をしたらいいか分からない。
「わふぅ……」
わんわんもお庭で心配そうに。
静かに伏せている。
◇
「うっ……」
急に。
お母さんの体が震えた。
「おかあさん!」
息が苦しそう。
汗がいっぱい。
手も冷たい。
「どうしよう……」
ユウトはボロボロと。
泣きそうになる。
「どうしよう……」
「どうしよう……」
「おかあさんが……」
「おかあさんが……」
わーんと泣き出す。
部屋の中を見回す。
お父さんはいない。
誰もいない。
「だれか」
「だれかおかあさんをたすけて……」
「たすけてぇ」
ボロボロと涙を流しながら。
ユウトは叫ぶ。
ぽたり。
ユウトの涙が、お母さんの胸元へ落ちた。
その時。
ふわっ。
お母さんの胸元。
小さな雪の結晶が。
それは優しく。
ぽわっと光っている。
それは包み込むように。
やわらかく。
徐々に大きくなり。
淡く光る。
「……あれ?」
そして。
光は。
まるで雪が舞うみたいに。
静かに。
優しく。
ひらひらと。
きらきらと。
輝き出す。
更に光は。
大きくなりながら。
結晶から零れた光が。
お母さんを包み込む。
「……」
すると。
苦しそうだった呼吸が。
少しだけ。
落ち着いた。
「よかったぁ……」
ユウトは泣きながら。
お母さんは目を開け。
ユウトの手を。
ぎゅっと。
にぎる。
「ユウトの声、聞こえてたよ」
「ありがとう……ユウト」
額いっぱいに汗を滲ませながら。
お母さんは優しくほほえんだ。
◇
しばらくして。
どんどんどん!
扉が開いた。
「連れてきたぞ!」
お父さんだった。
はぁはぁと息を切らしながら。
その後ろには年配の女性を背負って。
全力で走ってきたのだろう。
はぁはぁ。はぁはぁ。
とまだ息を切らしている。
白い髪を後ろでまとめた年配の女性。
大きな鞄を抱えている。
「お産婆さん、妻をお願いします」
お父さんが言う。
お産婆さんはこくんとうなずき。
すぐお母さんの様子を見る。
その時。
ふとユウトを見る。
そして優しい目を向けて。
「ほら、安心しない。ユウト君じゃったか?」
どうやらボクを知ってるようだ。
「あんたの時も私が取り上げたんだよ」
「だから安心して。隣の部屋で男たちは待ってな」
そう言って。
お母さんの手を握り。
額へ触れ。
お腹へ耳を当てる。
そして。
表情が少しだけ変わった。
「……」
「こりゃ、少し急がないといけないね」
静かな声だった。
「赤ちゃんも……お母さんも。」
「少し危ない状態だったようだよ。これは」
「よくここまで持ちこたえたねぇ。」
「このお守りが守ってくれたんじゃろう。」
「じゃが、まだ安心はできん。」
「えっ……」
ユウトは胸がどきっとした。
◇
ちょうどその時。
お父さんから連絡を受けたのだろう。
リサのお母さんや村のお母さんたちが、お産婆さんを手伝うために駆けつけてくれた。
「ユウトくんも、大丈夫?」
リサママはユウトに優しくしゃべりかける。
「おかあさん、だいじょうぶ?」
泣きそうになりながら。
リサママに聞く。
「うん、大丈夫よ。だから安心して待っててね。お兄ちゃんになるんだからできるでしょ?」
リサママがとても優しくしゃべる。
とても心強いとユウトは思った。
すると、その時。
お産婆さんは鞄から一枚のお札を取り出した。
文字がぎっしりと書かれている。
「おぉ、あった。あった。これじゃ」
お産婆さんは丁寧に準備してる。
ユウトは思った。
(はやく!)
(はやくつかって!)
でも。
お産婆さんは。
すぐには使わなかった。
目を閉じ。
ゆっくり呼吸を整える。
「……」
静かだった。
部屋の空気まで静かになる。
そして。
両手でお札を包む。
少しずつ。
少しずつ。
魔力を流し始めた。
淡い光が。
ゆっくり灯る。
「はやく!」
ユウトは思わず叫びそうになる。
「おかあさんが!」
「いそがないと!」
すると。
リサママがしゃがみ込み。
ユウトの肩へ優しく手を置いた。
「ユウトくん。魔法はね、急げば急ぐほど弱くなるのよ」
「え?」
「本当に守りたい人へ使う魔法ほどね」
「ゆっくり。丁寧に。」
「心を込めて魔力を流して準備するの」
ユウトは。
お産婆さんを見る。
お札は。
少しずつ。
少しずつ。
光を増していた。
焦っていない。
でも。
止まってもいない。
優しく。
ゆっくり。
光が育っていく。
◇
「……あ」
ユウトは。
何かを思い出した。
「おふとんだ」
そうだ。
お母さん。
休めたら。
少し楽になるかも。
「おふとん……」
いつもなら。
「おふとん召喚!」
で終わり。
でも。
今日は違う。
リサママが言ったように。
お産婆さんを真似て。
ゆっくり。
丁寧に。
心を込めて。
「おかあさん。」
「いたくないように。」
「あかちゃんも。」
「こわくないように。」
ユウトは目を閉じた。
深く息を吸う。
そして。
胸の奥にある温かい力を。
そっと。
両手へ集めていく。
◇
ふわっ。
部屋の空気が揺れた。
誰も話さない。
誰も動かない。
ユウトの周りだけ。
優しい光が集まってくる。
まるで。
春の木漏れ日みたい。
雪が。
風に舞うみたい。
白い光が。
一筋。
また一筋。
ゆっくり。
編まれていく。
糸になる。
その糸は。
一本一本。
柔らかな布へ変わっていった。
「……」
お父さんも。
お産婆さんも。
思わず息を止める。
「これは……」
お産婆さんが小さくつぶやく。
光る布は。
何枚も。
何枚も。
重なっていく。
ふわり。
ふわり。
羽毛のように軽く。
雲のように柔らかく。
部屋いっぱいへ。
優しく広がった。
◇
「もっと。」
「もっとあったかく。」
「もっとやさしく。」
「おかあさんが。」
「ねむれるように。」
「あかちゃんも。」
「あんしんできるように。」
ユウトは。
一言ずつ。
一言ずつ。
願いを込める。
焦らない。
急がない。
ただ。
優しく。
優しく。
魔力を流していく。
そのたび。
おふとんは。
少しずつ。
少しずつ。
大きくなっていった。
光をまとい。
柔らかさを増し。
まるで。
家族みんなを包み込むような。
大きなおふとんへ。
育っていく。
◇
最後に。
ふわり。
一枚の布が静かに重なった。
光が消える。
そこには。
今まで誰も見たことのない。
一番大きく。
一番柔らかく。
一番優しい。
真っ白なおふとんが。
静かに出来上がっていた。
部屋の中は。
春の日だまりみたいに暖かい。
お産婆さんは。
そのおふとんを見つめたまま。
静かにごくりと息をのんだ。
「……このおふとんは」
お産婆さんは、 震える手で、おふとんへそっと触れた。
「……なんという優しい魔法じゃ。」
「こんなおふとんは、生まれて初めて見た。」




