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店主アリシアは美味しく未来を調理する 〜婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の上客に甘やかされて困ってます〜  作者: 白月つむぎ
第6章

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第8話 碧き石の試練、静かなる狩人の焦燥と影の贈り物

 王都アストライアの地下、外の喧騒を一切遮断した密室内。


 若き王ルイは、もはや己の魔力供給だけで意識を繋ぎ止めていた。

 目の前の祭壇に鎮座する「蒼月の涙」は、マリンブルーの光を脈打たせながら、ルイの精神を蝕むように輝いている。


 加工という名の「対話」。

 それは石に込められた古代の呪い――所有者の負の感情を純化させ、誠実な祈りへと変える過酷な儀式であった。


「……っ……まだ足りないのか」


 ルイの視界が白く霞む。

 指先は魔力の過剰供給により、凍えるような冷たさと焼けるような熱さを同時に感じていた。


 そこへ、重厚な石扉を叩く音が響く。


「……陛下。その石は、持ち主が『すべてを捨てる覚悟』をしなければ形を変えませんぞ」


 現れたのは、かつて先代王に仕えた伝説の彫金師、ギルフォードであった。


「ギルフォードか……すべてを捨てるだと? 私は……彼女を守るために、この国を、この力を維持せねばならんのだ」


「逆ですな。王としての誇りも、男としての独占欲も、一度すべてくうにしなされ。ただ一人の女性ひとを幸せにしたいという、子供のような無垢な願いだけを石に注ぐのです。さもなくば、その石は貴方の命を吸い尽くすまで止まりませぬよ」


 ルイは歯を食いしばり、薄れゆく意識の中で、エメラルドの瞳をさらに鋭く光らせた。

 王という重責、他者への嫉妬。


 それらを剥ぎ取った後に残る、ただ一つの「答え」。


「……アリシア。君に笑っていてほしい。ただ、それだけだ」


 ルイの呟きと共に、祭壇の光が爆発的に膨れ上がる。


 精錬のクライマックスは、すぐそこまで迫っていた。


 ◇


 一方、国境の森。


 昨日のウォーレンとのピクニックの余韻は、お母様やクラリスの鋭い冷やかしによって、なかば強引に「現実」へと引き戻されていた。


 私は朝から、少しだけ重い身体を引きずるようにして、厨房のカウンターを磨いていた。


(……昨日のこと。ウォーレンのあの真っ直ぐな瞳……そして、ルイ様から預かったこの鍵)


 胸元の鍵に触れる。

 その冷たさが、今の自分の曖昧な立ち位置を責めているような気がして、私は小さく息を吐いた。


 すると、いつものように音もなく、テラスの影からテリオンが現れた。


「……昨日は、楽しかったようだな。狼の不器用なエスコートは、お前の趣味に合ったか」


 テリオンの声は、いつにも増して冷たく、けれどその奥に隠しきれない焦燥が滲んでいた。

 カメリア色の瞳が、私の少しだけ乱れた心の湖面を見透かすように射抜いてくる。


「……テリオン。いえ、その。ウォーレンが、どうしてもと言うものですから」


「……あいつは、声が大きい。派手に動き、お前の気を引こうとする……だが。私は、あいつのような『不器用』ではない」


 テリオンが、カウンターの上に一つの小さな包みを置いた。

 包みから現れたのは、見たこともないほど透き通った銀色のキノコと、微かに青い光を放つ薬草の束だった。


「……これは……月銀草げつぎんそう? それに、銀嶺トリュフではありませんか! テリオン、これを見つけるのに、どれほど深い森へ入ったのです?」


「……お前に、本当の『夜の味』を教えると言ったはずだ。狼の持ってきた不格好な獲物とは違う……これを使って、お前の腕を見せてくれ」


 テリオンが私を見つめる視線には、ウォーレンの真っ直ぐな熱とは違う、静かだが逃れられない「深淵」のような執着が宿っていた。


 ◇


 料理人として、この希少な食材を前にして腕を振るわないわけにはいかない。

 私は自分自身の迷いを断ち切るようにフライパンを握った。


 今日の一皿は、『月銀草の香りを纏った、銀嶺トリュフと熟成チーズのクリームリゾット』。


 まずは月銀草を細かく刻む。

 包丁を入れた瞬間、森の奥深くにある泉のような、清涼でいて妖艶な香りが厨房いっぱいに広がった。

 小鍋にバターを落とし、最高級の米を透き通るまで炒める。

 そこに自家製のチキンブイヨンを少しずつ加え、米が旨味を吸い込むのをじっくりと待つ。


 仕上げに、たっぷりのパルメザンチーズと、銀嶺トリュフをこれでもかと贅沢に削り入れた。

 トリュフの土着的な力強い香りと、月銀草の透き通るような芳香が、クリームの濃厚な甘みの中で完璧に調和していく。


「お待たせいたしました、テリオン。貴方の運んでくれた『森の深淵』、一皿に閉じ込めましたわ」


 テラス席、まだ朝の霧が残る空気の中で、テリオンがリゾットを一口運んだ。

 カメリア色の瞳が微かに見開かれ、彼はゆっくりと、慈しむように喉を鳴らした。


「……美味い。やはり、私の目に狂いはなかった。お前は、この森のどんな生き物よりも、美しく残酷な魔法を使いこなす」


「魔法だなんて、大げさですわ」


「……違う。お前は、この味で私を……そして、アイツらを繋ぎ止めている……アリシア。狼の熱狂ではなく、私のこの静寂を、お前の『一等席』に置いてはくれないか」


 テリオンが、テーブル越しに私の手をそっと覆った。

 ウォーレンの熱い掌とは違う、少し冷んやりとして、けれど確かな体温。


 彼はそのまま、私の指先に触れるか触れないかの距離で、吸い寄せられるように唇を寄せた――その時。


「――おい!! テメエ、テリオン! アリシアに何してやがる!」


 その甘美な沈黙をぶち壊したのは、裏庭から戻ってきたウォーレンの怒号だった。

 彼は泥のついた薪を放り出し、獣のような速さでテラスへと駆け込んできた。


「……騒がしい、狼。見ての通り、朝の試食中だ。お前の作った『泥臭い弁当』の口直しにな」


「なんだと!? テメエ、俺の弁当を馬鹿にしやがったな! アリシア、こいつに何を食わせたんだ!」


 ウォーレンがリゾットの香りに一瞬絶句するが、すぐに双剣の柄に手をかけた。

 対するテリオンは、座ったまま音もなく背中の黒弓を引き寄せ、流れるような動作で矢をつがえた。


 至近距離。

 矢先がウォーレンの喉元を正確に狙う。


「……それ以上近づけば、その喉を森の肥やしにするぞ」


「やってみろよ、耳長! どっちがアリシアの隣にふさわしいか、今ここで白黒つけてやる!」


「おーっほっほっほ! 見苦しいですわね! 朝からリゾット一つで殺し合いだなんて!」


 カトリーナが高笑いし、お母様が「あら、リゾット? 私の分もあるかしら」とジャガイモを剥き続ける。


 カオスが頂点に達した、その時。


「ええい、やかましいッ!! 私の朝のワインを、不作法な殺気で濁らせるな!」


 二階のバルコニーから、カイゼル髭を逆立てたお父様――ヴァレンタイン公爵が、モノクルを光らせて怒鳴り散らした。

 その手には、空になったワインボトルが握られている。


「ウォーレン、テリオン! それに王都でコソコソしているルイもだ! 貴様ら、アリシアを巡って小競り合いをするのはもう飽きた! ヴァレンタイン家の娘を娶るということが、どれほど重い不作法か、分かっておらんようだな!」


 お父様はバルコニーから飛び降りるような勢いで階段を駆け下り、二人の間に割って入った。


「決めたぞ! アリシア! 私は今から、このカフェを舞台にした『花婿選定の三つの試練』を執り行う! ルイが戻るまでに、貴様らにはこの家の伝統……すなわち『最高の食材』と『最高の礼節』を証明してもらう! それができぬ不作法者には、娘の指先一本触れさせん!」


「お、お父様!? 何を勝手なことを……!」


「黙れアリシア! これは私の、ヴィンテージ・ワインよりも重い決断だ! お前たち、異論はないな!?」


 ウォーレンは双剣を収め、不敵に笑った。


「上等だ。実力行使なら望むところだぜ」


 テリオンも弓を静かに下ろし、カメリア色の瞳を細めた。


「……面白い。狩人の執念、見せてやろう」


 王都で最後の精錬に挑むルイ様、森で野性を剥き出しにするウォーレン、そして深淵から愛を囁くテリオン。


 お父様という名の巨大なノイズが加わり、カフェ・ヴァレンタインは、かつてない「花嫁争奪戦」という名の長期戦へと突入しようとしていた。

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