第7話 王都の孤独な魔力精錬、琥珀色の森と不格好な手作り弁当
王都アストライア、その人跡未踏の地下深奥。
伝説の彫金師の工房は、灼熱の火床と魔力の残滓が渦巻く、鉄と宝石の聖域であった。
ルイは、バルトさえも遠ざけた密室で、手に入れた「蒼月の涙」を祭壇に捧げ、祈るように両手を翳していた。
「……ルイ様。もう三昼夜、一睡もされておりません。これ以上の魔力供給は、精神の『核』を削りかねません」
壁越しに響くバルトの懸念を、ルイは短く、けれど断固たる沈黙で撥ね退ける。
原石「蒼月の涙」は、所有者の内なる独占欲やエゴを吸い込み、それを「守護の光」へと変換せねば、ただの呪いの石に成り下がる。
ルイがアリシアを「檻に閉じ込めたい」と願ったあの醜い欲望を、彼は今、自らの魔力で一つずつ、誠実な「誓い」へと焼き直している最中だった。
石が放つマリンブルーの閃光が、ルイの頬を鋭く切り裂く。
意識が遠のくほどの疲労。
けれど、目を閉じればそこには、森の朝陽を浴びてフライパンを振るう銀髪の少女の姿があった。
「……待っていてくれ、アリシア。この石が形を変えるとき、私は初めて、君の自由な魂と対等に向き合えるはずだ」
滴る汗が祭壇に落ち、蒸発する。
王は孤独な炎の中で、愛を「精錬」し続けていた。
完成への道はまだ遠く、険しい。
◇
一方、王都の静寂とは対照的な、賑やかな国境の森の朝。
私がいつものように厨房の扉を開けると、そこにはあり得ない光景が広がっていた。
「……あら? 泥棒かしら、それとも新手の魔物?」
そこにいたのは、夜空のような濃紺の髪を乱し、エプロンをこれ以上ないほど不恰好に巻きつけたウォーレンだった。
カウンターには小麦粉が散らばり、肉を焼いたらしい脂の匂いと、少し焦げたパンの香りが立ち込めている。
「よお、アリシア……不作法に見つかっちまったな。まあ、そこでおとなしくしてろ。もうすぐ完成だ」
ウォーレンは真剣な眼差しで、不格好に切った厚切りのパンに、これまた厚切りの猪肉を挟み込んでいる。
スモークブルーの瞳は、まるで戦場に臨む戦士のように鋭く、けれどその指先はどこかぎこちなく震えていた。
「ウォーレン……貴方、何をしているのですの? 私の聖域をこんなに汚して……」
「テリオンが『コンポートが芯に残る』なんて抜かしやがっただろ。ああ、もう! 俺だってあんたに何かしてやりてえんだよ。だから、今日は店を休め。俺が、あんたを秋の特等席へ連れてってやる」
ウォーレンが差し出したのは、木の皮で編んだ小さな籠。
中には、不揃いな形をした、けれどたっぷりの肉と野菜が詰まったサンドイッチが、無造作に詰め込まれていた。
「……これ、貴方が一人で作ったのですの?」
「当たり前だろ。焦げたところは俺が食った。あんたには、一番マシなところを食わせてやりたいんだ」
ぶっきらぼうに逸らされた視線。
けれど、その頬が微かに赤らんでいるのを見て、私は武器を手に取る代わりに、小さく溜息をついて微笑んだ。
◇
国境の森は、今や秋の深まりとともに燃えるような紅葉に包まれていた。
足元でカサカサと鳴る落ち葉の音。
見上げれば、カエデの葉がステンドグラスのように陽光を透かし、世界を暖かな黄金色に染め上げている。
「ほら、アリシア。こっちだ。ここは、俺がガキの頃によく隠れ家にしてた場所なんだぜ」
ウォーレンは私の歩幅に合わせるように、時折立ち止まっては、張り出した枝を優しく避けてくれる。
辿り着いたのは、森を一望できる小さな崖の上だった。
眼下には、赤や黄色に彩られた森が、まるで波打つ絨毯のように広がっている。
「……綺麗。こんな場所があったなんて、知りませんでしたわ」
「だろ? さあ、座れよ。食おうぜ。味の保証はできねえけどな」
ウォーレンは、自分が脱いだジャケットを地面に敷き、私を座らせた。
私は彼が作ったサンドイッチを手に取り、一口頬張る。
「……っ、ウォーレン。このお肉の焼き加減、少し強火すぎますわよ。それに、塩気が強すぎますわ」
「……やっぱり不味いか?」
「……でも。お野菜のシャキシャキ感と、このワイルドなソースの絡み具合……嫌いじゃありませんわ。何より、貴方の不器用な努力が一番の隠し味になっていますもの」
私がクスリと笑うと、ウォーレンはあからさまにホッとしたような顔をして、自分の分の巨大なサンドイッチを口に放り込んだ。
◇
食後の静寂。
琥珀色の光の中で、ウォーレンがふと真剣な顔をして私を振り返った。
「……アリシア。覚えてるか? 昔、あの花畑で、あんたが『私と結婚してくれる?』って言ったときのこと」
「……っ。そ、それは、幼い頃の戯言ですわ! 貴方こそ、忘れてると仰ったではありませんか!」
私が顔を赤くして反論すると、ウォーレンはふっと目を細め、音もなく距離を詰めてきた。
大型犬のような愛嬌が消え、そこには一人の男としての、飢えた狼のような鋭い独占欲が宿っていた。
「……忘れてるわけねえだろ。俺はあの時から、ずっとあんたを俺の『家族』にしたいと思ってた。王様が帰ってきて、あんたを王都へ連れ去っちまう前に……一度だけでいい。俺を、一人の男として見てくれねえか?」
ウォーレンの逞しい腕が、私の背後の木に置かれる。
彼の熱い呼気が私の頬を掠め、スモークブルーの瞳が至近距離で私を捉えて逃げ場を塞ぐ。
「……ウォーレン。不作法……ですわ……」
私の心臓が、自分でも驚くほど激しく鼓動を打つ。
彼の逞しい肩に指が触れ、ほんのわずかな距離まで彼の顔が近づく。
「……ダメですわ……」
私は、彼の胸にそっと手を置き、それ以上の接近を拒んだ。
否定はしなかった。
彼の腕の温もりも、その熱い視線も、決して嫌なものではなかったから。
けれど、私の胸元で揺れる「ルイ様の鍵」が、重みを持って私の肌を叩いていた。
「……私は、まだ『答え』を出せませんの。ルイ様が戻り、すべての不作法な決着がつくまで……私は、誰のものでもありませんわ」
ウォーレンは一瞬、苦しげに目を伏せたが、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべて身を引いた。
「……ははっ。さすがはアリシア・ヴァレンタインだ。ガードが固えな。だが、いいぜ。あんたが誰を選ぶとしても、俺は最後まで、あんたの隣に居座ってやるよ」
◇
夕刻、琥珀色の光が紫へと溶け始める頃、私とウォーレンはカフェへと戻ってきた。
ウォーレンが空になった籠を抱え、私が少しだけ乱れた髪を直しながら勝手口をくぐると、そこには「最強の布陣」が待ち構えていた。
「あら。お帰りなさい、アリシア。ずいぶんと頬が赤いけれど……秋の陽射しはそれほど強かったかしら?」
お母様が、エプロン姿でジャガイモを剥きながら、氷のような瞳に愉しげな光を宿してこちらを見ていた。
その隣では、クラリスが汚れ一つない雑巾を絞りながら、淡々と口を開く。
「……お嬢様。お洋服の背中に小さな木の葉がついております。それほどまでに熱烈な『自然観察』をなさっていたとは、感服いたしました」
「……っ! クラリス、お母様! これは、その、不作法な狼が勝手に連れ出しただけで……!」
私が慌てて弁明しようとすると、カウンターの隅で紅茶を飲んでいたカトリーナが、扇子で口元を隠しながら高らかに笑った。
「おーっほっほっほ! 見苦しいですわね、出来損ないさん! まるで森の獣に追いかけ回された仔鹿のようですわよ」
「……ちぇっ、外野がうるせえな。アリシア、また明日な。次はもっと美味いもん食わせてやるよ!」
ウォーレンが照れ隠しに私の頭を乱暴に撫で、逃げるように去っていく。
私は赤くなった顔を両手で押さえ、立ち尽くすしかなかった。
賑やかで、不作法で、少しだけ胸が痛むこの日常。
ルイ様。
貴方のいないこの店で、私は少しずつ、自分の心がどこへ向かおうとしているのか、分からなくなってしまいそうです。




