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店主アリシアは美味しく未来を調理する 〜婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の上客に甘やかされて困ってます〜  作者: 白月つむぎ
第6章

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第5章 王都の偽石、月光花と深夜のコンポート

 王都アストライア。

 その華やかな表通りの喧騒から遠く離れた、古い石畳が常に湿り気を帯びる路地裏。


 若き王ルイは、マントを深く被り、従者バルトと共に一軒の古びた店へと足を踏み入れていた。

 そこは「鑑定士の隠れ家」と呼ばれる、王家御用達の彫金師ですら口にするのを憚る、伝説の鑑定士が住まう場所だった。


「……おやおや。アストライアの若き太陽が、このような薄汚れた穴蔵に何の御用ですかな?」


 店内の奥、山のように積み上げられたガラクタの中から、一人の老婆が這い出してきた。

 その濁った瞳は、ルイの正体を見抜いているかのように鋭く光る。


「……まどろっこしい挨拶は抜きにしよう。老婆よ。貴殿なら知っているはずだ。極北の深淵に眠り、見る者の心を映し出すという原石――『蒼月の涙』の在処を」


 ルイの声は冷徹で、王としての威厳に満ちている。

 だが、老婆は卑屈な笑みを浮かべ、カウンターの下から一つの黒い布に包まれた箱を取り出した。


「……ございますとも。これこそが、貴方がお探しの『至高の愛』を証明する石……」


 老婆が布を解くと、中から現れたのは、夜の闇を凝縮したような深い青色の宝石だった。

 それはまるで生きているかのように脈打ち、妖しい光を放っている。


 傍らに控えていたバルトが、その輝きを一目見た瞬間に顔を青くした。


「……ルイ様、いけません! それは伝説の原石などではない。持つ者の独占欲を増幅させ、理性を狂わせるという呪いの石『渇望の瞳』です!」


 バルトが鋭い警告を発し、ルイの前に割って入る。

 老婆の笑みが深まった。


「……ふふふ。王よ。貴方の心は今、焦がれるような独占欲に焼かれているのではないかな? 独占したい、閉じ込めたい……この石を使えば、彼女の心も体も、永遠に貴方の思うがまま……」


 ルイの右手の紋章が、呼応するように激しく拍動した。

 だが、ルイが放ったのは、老婆を沈黙させるほどの冷たい魔圧だった。


「……私は、彼女を『支配』するために宝石を探しているのではない。彼女の自由な魂を、そのままの輝きで私の隣に繋ぎ止めるための『約束』を求めているのだ」


 ルイが手を翳すと、黄金の魔力が「渇望の瞳」を粉々に砕き散らした。


「行こう、バルト。本物は、もっと深く、清らかな場所にしかないはずだ」


 ◇


 一方、王都の緊迫感など知る由もない国境の森。


 昼間の賑やかさが嘘のように、カフェ・ヴァレンタインは深い静寂に包まれていた。


 私は片付けを終え、テラスで夜風に当たりながら、少しだけ熱を持った頬を冷ましていた。

 ウォーレンの熱烈すぎる言葉、そして遠く離れたルイ様への募る想い。

 それらが心の中で渦を巻き、どうしても眠りにつけなかったのだ。


 すると、影が伸びるように、音もなくテリオンが隣に立った。


「……アリシア。寝付けないのか」


「テリオン……ええ、少しだけ。月が、あまりに綺麗でしたので」


 カメリア色の瞳が、夜空の月を映して静かに光る。

 テリオンは何も言わず、私の隣にただ立っていた。

 ウォーレンのような騒がしさはなく、けれど冷たい風を遮るように私の風上に立ってくれる、その静かな献身。


「……少し、森を歩くか。夜の花が、今だけ咲いている」


 ◇


 私は彼に促されるまま、月明かりの森へと足を踏み入れた。


 テリオンの歩みは驚くほど静かだ。

 彼は時折、張り出した枝を私のために手で避け、ぬかるんだ地面があれば無言で手を取り、私を導いてくれる。

 ダークエルフの持つ独特の冷涼な気配が、昂ぶっていた私の心を少しずついでいった。


 森の奥、月光が溜まる小さな泉のほとりに、その花はあった。


 ――月光花。

 月の光を吸って、白銀色に淡く発光する、一夜限りの奇跡。


「……綺麗。テリオン、こんなに素敵な場所を知っていたのですのね」


「……お前に見せたかった。アイツらのように、お前を無理に連れ回すつもりはない。ただ、お前が疲れたときに、帰る場所がここにあればいいと思っている」


 テリオンが、私の隣で静かに腰を下ろした。

 彼は私の手を握ることも、甘い言葉で囁くこともない。

 けれど、彼が発する「静かな執着」は、冷たい夜気の中で不思議なほどの熱を持って私を包み込んでいた。


「アリシア。ルイが戻るまで、私はここでお前の影で居続ける……お前が、誰の光を選ぶとしてもだ」


 その言葉に含まれた重みに、私は呼吸を忘れた。

 ルイ様のように眩しくなく、ウォーレンのように熱くない。


 けれど、どこまでも深く染み渡るような、暗闇の優しさがそこにはあった。


 ◇


 森から戻ったとき、夜気で身体はすっかり冷え切っていた。

 テリオンはそのまま影に消えようとしたけれど、私は彼の袖をそっと引いた。


「テリオン、少し待って……冷えたでしょう? 身体を温めるものを淹れますわ」


 棚から取り出したのは、小ぶりの洋梨。


 それを丁寧に剥き、芯を除いて厚めにスライスする。

 小さな手鍋にバターを落とし、梨を並べる。

 バターが溶けてジッという音が響き、甘い香りが厨房に漂い始めた。

 そこに、私の特製「焦がし蜂蜜」をたっぷりと加え、少量のシナモンとクローブを散らす。


「……いい香りだ。お前の作るものは、夜の匂いがする」


 カウンターに腰掛けたテリオンが、暗がりの中でポツリと呟いた。

 私は梨が透き通るまでじっくりと煮詰め、最後に香り付けに少しの赤ワインを落とす。


「お待たせいたしました。『洋梨と焦がし蜂蜜のホットコンポート』ですわ」


 立ち昇る湯気が、スパイスの香りと共に二人の間を埋める。

 スプーンで梨を一口運べば、とろけるような食感と共に、蜂蜜の濃厚なコクと果実の爽やかな酸味が口いっぱいに広がった。

 身体の芯から、じわじわと温もりが解けていく。


「……甘いな。だが、お前が作る甘さは、私を惑わせる」


 テリオンは一口ずつ、慈しむようにコンポートを口に運んだ。

 静寂の中で響くスプーンの音と、微かな薪の弾ける音。


 ルイ様への想い、ウォーレンへの戸惑い。

 それらが消えたわけではないけれど、今、この瞬間だけは、テリオンという静かな影に身を預けてもいいような気がした。


「……アリシア。ルイが持ち帰る宝石より先に、私のこの熱がお前を射止めればいいと、思わずにはいられない」


 テリオンが私を見つめる瞳は、いつになく熱く、そして孤独だった。

 私は何も答えられず、ただ冷めかけたコンポートの器を握りしめることしかできなかった。


 王都で戦うルイ様への想いと、隣で静かに、けれど苛烈な執着を燃やすテリオン。


 秋の夜は、まだ始まったばかりだった。

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