第22話 不作法な大団円、あるいは永遠への序曲
白亜の獄塔での精算を終え、私たちが再び国境の森へと戻ってきたとき、季節は完全に秋の装いを整えていた。
燃え盛るような夏の熱気は霧散し、木々は黄金や朱色に染まる。
風が吹くたびに乾いた葉の音が心地よいリズムを刻む。
けれど、森の奥に佇む「カフェ・ヴァレンタイン」の熱気だけは、季節など関係ないとばかりに膨れ上がっていた。
厨房の勝手口を開ければ、懐かしい木の香りと、数日火を落としていたとは思えないほど濃密な「生きている」匂いが鼻をくすぐる。
「……お父様! そのヴィンテージ・ワインを客席に持ち込むのはおやめなさいな! それは今日、皆様で振る舞うためのものですわよ!」
「アリシア、無体なことを言わないでくれ! 北の公爵の魔手から生き残ったこの子たちは、いわば戦友なのだぞ!」
ワインボトルを抱えて逃げ回るお父様の背後から、エプロン姿のお母様が冷ややかな、けれどどこか楽しげな視線を送る。
「あなた、往生際が悪いわよ……アリシア、このジャガイモの皮、これでよろしいかしら? 泥を落とすのがこれほど重労働だとは思いませんでしたわ」
最高級のシルクを纏っていたその手で、お母様はピーラーを握り、泥のついたジャガイモと格闘している。
かつての冷徹な貴婦人は、不器用ながらも「ヴァレンタインの誇り」を泥の中から掘り出そうとしていた。
◇
開店準備が進む店内は、かつてないほどの混沌に満ちている。
「……お嬢様。お父様の持ち込んだワインの在庫整理と、お母様が剥き散らかしたジャガイモの破片の清掃……これを『大団円』と呼ぶには、かなりの勇気と雑巾が必要かと思われますが」
クラリスが淡々と、けれど淀みない手つきで床を磨き上げる。
そこへ、大きな荷物を抱えたジュリアンが、ワイバーンのアビーを庭に待たせて駆け込んできた。
「あ、アリシアさん! お帰りなさい! お父様たちの大量の荷物や、これから冬に向けて必要な薪を運ぶのにアビーを呼んできました。重い荷物も、アビーなら一度に運べますから……えへへ、お役に立てると嬉しいなと思って!」
「まあ、ジュリアン。助かりますわ。アビーも重い荷物を運んでくれてありがとう」
「ちょっと! そのトカゲもどきに私のプラチナブロンドが汚されたらどうするのよ!」
カトリーナが派手な魔導衣の裾を翻し、高笑いしながらも、その指先からは繊細な火魔法が放たれ、厨房のコンロに最適な火を灯していく。
「バルト、貴方はそこの虫を追い払いなさい! ゴミ溜めにしても、限度がありますわ!」
「カトリーナ様。仰る通りですが、私はあいにく『虫』とだけは契約を結んでおりませんので……」
バルトが眼鏡の奥で群青の瞳を細め、完璧な所作でお父様のワインセラーから避難したボトルを並べ直す。
そこへ、鉄衛騎士団の面々を引き連れたマルクスが、重厚な足音と共に現れた。
そのくすんだ茶色の瞳には、この場所へ戻れたことへの深い安堵と、武人としての誇りが宿っている。
「アリシア様、失礼いたします。鉄衛騎士団、これより周囲の警戒及び、店内への物資搬入を完了させます……アリシア様、そして閣下。再びこの静かな森で、皆様の笑顔を拝見できること、このマルクス、何よりの誉れにございます」
マルクスが胸に手を当て、深々と頭を下げる。
彼らは今や戦うだけでなく、カフェの什器を運ぶのにも一切の無駄がない。
庭では、イグニスがアッシュグレーの長髪を揺らし、新しく植えられた香草の手入れをしていた。
「……ふむ。死の気配が消え、この森で一番『生きた』匂いが戻ってきた……アリシア、今日のスープにはこのミントを合わせるのが正解らしい」
取り立て屋のダガーで手際よくハーブを刈り取るイグニスの姿は、この店の風景に不思議なほど馴染んでいた。
◇
日が落ち、ランプの火が灯る頃。
メインディッシュがテーブルに並び、祝祭の幕が上がった。
ゾアが獲ってきた猪肉、ウォーレンが道中で仕留めた鹿肉、そしてテリオンが選んだ野鳥。
それらを、ルイ様の太陽の火でじっくりと焼き上げ、仕上げにグラン・ロア特産のリンゴと焦がし蜂蜜のソースをたっぷりとかける。
『三種の肉と秋の果実の贅沢ロースト・焦がし蜂蜜ソース』。
さらに、お母様が何とか皮を剥いたジャガイモは、生クリームとチーズを惜しみなく使った滑らかな『泥臭き誇りのジャガイモグラタン』へと姿を変えた。
「この猪肉の塩気と、溢れんばかりの蜂蜜……! これぞ我が脳を蕩けさせる甘露よ! 主よ、貴殿の料理はやはり世界一だ!」
ゾアが二メートル超の巨躯を揺らし、特大の肉の塊を口へ放り込む。
黄金の瞳に宿るのは、戦士の悦びだ。
「……アリシア。このグラタン……皮の近くの滋味が、お前の強さによく似ているな」
テリオンがカメリア色の瞳で私を見つめる。
だが、その静かな空気を一瞬で切り裂いたのは、誰よりも不作法で熱烈な男だった。
「……なあ、アリシア。俺、今回の件でつくづく思ったよ。やっぱり俺にはあんたが必要だ。あんたが笑って飯を作っててくれなきゃ、俺の人生は真っ暗な雪原と同じなんだよ」
ウォーレンが、ワイングラスを置き、私の瞳を覗き込む。
狼のたてがみのような紺青の髪がランプの光を受けて輝く。
「ウォーレン、貴方……またそんなことを。不作法ですわよ」
「はっ、不作法で結構……王様。悪いが俺は、あんたが玉座に戻らなきゃならない間も、ずっとここでアリシアの隣に居座らせてもらうぜ。俺は、あんたの隣を堂々と歩く『男』になるって決めたんだ。もう、誰の顔色も窺わねえよ」
ウォーレンの剥き出しの宣戦布告。
その瞬間、食卓を支配していた温度が激変し、隣に座るルイ様から、全てを焼き尽くさんとする太陽の圧力が放たれた。
「……ウォーレン。随分と不作法な口を利くようになったね。アリシアが困っているのが分からないのかい?」
ルイ様が穏やかに、けれど逃れられない殺気を纏って口を開く。
夕焼け色の髪を優雅になびかせ、エメラルドの瞳をウォーレンへと向ける。
「困らせてるのはどっちだよ……あんたは『王』として守るものが多すぎるが、俺が守るのはアリシア一人だ。それだけは譲らねえ」
「……面白いね。私から彼女を奪えると、本気で思っているのかい?」
黄金の守護者と、紺青の狼。
火花が散る二人の間で、マルクスが「やれやれ、これではアリシア様がゆっくり食事もできませんな」と、お父様のワインをこっそり注ぎながら苦笑いした。
「……皆様……食卓で喧嘩をする不作法者には、明日の朝食は出しませんわよ?」
私が凛と言い放つと、最強の二人の男も同時にはっと息を呑んで黙り込む。
その様子に、お母様が「ふふ、人気者は辛いわね、アリシア?」と、ようやく満足そうにジャガイモを口に運んだ。
◇
宴が終わり、深い夜が森を包む頃。
賑やかな家族たちはそれぞれの居場所へと下がり、店内に静かな秋の夜気が流れ込む。
私は片付けを終えたキッチンで、ペンダントにされた「鍵」を握りしめていた。
「……アリシア。お疲れ様。今日も、素晴らしい『居場所』だったよ」
背後から現れたルイ様。
そのエメラルドの瞳には、かつてないほど激しい焦燥と、深い独占欲の色が浮かんでいた。
「……さっきのウォーレンの言葉が、胸に突き刺さっている……彼がなりふり構わず、あんな熱烈な言葉で君を求めているのを見て……私は、一国の王としてではなく、ただのルイとして、底知れない『敗北の恐怖』を感じたよ」
「ルイ様……?」
「今のままの『店主と客』という関係のままでは……いつかあの狼に、君の心の隙間を掠め取られてしまうのではないかと……そんな不作法な想像が、私を狂わせそうになる」
ルイ様が、私の手を壊しそうなほどの力で握り締める。
その声は、君を絶対に手放さないという、剥き出しの執念に震えていた。
「だから、決めたんだ……呪われた契約などよりも、もっと強固で、もっと神聖な絆で君を縛らなければならない、と。近いうちに、君に申し出るつもりだ……私の人生で、最も不作法で、最も傲慢な『特別な約束』をね」
「特別な、約束……?」
「ああ……覚悟しておいてほしい。私は、君を誰にも、一歩たりとも譲るつもりはないよ」
ルイ様は優しく、けれどこれまでにないほど深く、私の額に口付けを落とした。
窓の外、秋の月が煌々と輝いている。
不作法な男たちとの日々は、まだ終わらない。
けれど、私の心の中に、ルイ様が灯した「特別な約束」への予感が、静かに、けれど熱く燃え上がっていた。
第5章 Fin
第5章を最後までお読みいただき、ありがとうございました!
この章は、これまで圧倒的な余裕を見せていた「太陽の王」ルイが、幼馴染ウォーレンの熱烈な、そして計算のない真っ直ぐなアプローチを前に、初めて焦りを感じる――と、いう当初からずっと私が書きたかったお話でした。
そんな火花ばっちばちな裏で、アリシアのルーツであるヴァレンタイン家の再生を描く物語でもありました。
ルイとウォーレンが激しく火花を散らす影で、実は今回、テリオンも大きな「一歩」を踏み出していました。
派手な二人に対し、誰よりも近く、誰よりも静かに彼女の心に寄り添い始めたテリオンの「不器用な執着」……上手く表現できているといいのですが。
いよいよ次章からは、カフェ開業一周年。
そして、ルイが動きだします。
引き続き楽しんでいただけますと、幸いです!




