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店主アリシアは美味しく未来を調理する 〜婚約破棄されたのでカフェを開業したら秘密の上客に甘やかされて困ってます〜  作者: 白月つむぎ
第5章

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第21話 最後の審判、そして新しい日常へ

 北の凍てつく氷冠城を後にした私たちは、休む間もなくアストライアの王都へと飛んだ。


 空は高く、既に秋の澄んだ空気が街を包んでいる。

 けれど、私たちの目的地である王宮の北端――「白亜の獄塔」だけは、相変わらず冷徹な拒絶の光を放っていた。


 石造りの螺旋階段を降り、最下層の重厚な鉄格子の前で足をとめる。

 そこには、かつて迎賓館のテラスで傲慢に指を鳴らしていた面影もない、一人のやつれた貴婦人が座っていた。


 お母様――ヴァレンタイン公爵夫人だ。


「……何の用かしら……敗者に、これ以上何の屈辱を与えに来たというの……ルイ陛下、貴方も不作法な方ね……娘の『お遊び』に付き合って、王宮の監獄まで足を運ぶなんて」


 お母様の声は、ひび割れた磁器のように乾いていた。

 けれど、その瞳に宿るプライドの欠片だけは、まだ鋭く私を刺そうとしてくる。


「不作法なのは、お母様の方ですわ……ルイ様は、私を連れてきたのではありません。一人の王として、貴女に『慈悲』を届けに来てくださったのですわよ」


 私は一歩前に出た。

 ルイ様が私の隣で、右手の紋章を静かに輝かせる。

 その黄金の光が、湿り気の強い地下牢を暖かな色で塗り替えていった。


「……公爵夫人。貴女が北の公爵と結んだ『白銀の誓約』。その原本は、アリシアの手によって既に灰となった。貴女を極刑に処すための唯一の証拠は、もうこの世には存在しない」


 ルイ様の静かな宣告に、お母様が息を呑んだ。


「……燃やした? ……そんな馬鹿な……あれは、ヴァレンタイン家を、そして私の野心を永遠に縛るはずの鎖だったのに……アリシア、貴女、あんな恐ろしい場所へ本当に行ったというの?」


「ええ。お父様がワイン蔵で震えながら守っていたものを、私が代わりに精算してまいりましたわ。お母様。原本がない今、ルイ様は貴女の罪を『北の公爵による脅迫に屈した一時的な不祥事』として処理すると仰ってくださいました……死罪は免れますわ」


「……死罪は、免れる? ……私が?」


 お母様の指先が、目に見えて震え始めた。

 自分が誰かを選ぶ立場ではなく、選ばれる側……それも、かつて「人形」として扱っていた娘の情けによって生かされる。

 その事実は、彼女にとって処刑台よりも残酷な屈辱だったに違いない。


「……ですが、お母様……法的な罪が消えても、貴女が犯した不作法は、まだこの胸に残っておりますわ……貴女が私に強いた『完璧な令嬢』という名の監獄。それを、今ここで私が掃除して差し上げますわ」


 私は、獄塔の冷たい石造りのテーブルに、持参したバスケットから温かな一皿を取り出した。


 それは、お母様がこれまで最も忌み嫌っていたであろう、泥臭い料理。

 『皮付きジャガイモと猪肉の不作法なポトフ』だ。


 お父様が大切に育てた、泥のついたままの力強いジャガイモ。

 それをあえて皮を残したまま大きく切り、ゾアが獲ってきた野性味あふれる猪肉と共に、じっくりと煮込んだ。


 味付けは塩と胡椒、そしてお母様が「下品だ」と眉を顰めていた、大量のガーリックと香草。

 

 上品な銀の食器ではなく、無骨な木の器に盛られたそれは、湯気と共に圧倒的な「生の匂い」を放った。


「……お母様、召し上がれ……これが、私が愛し、守り抜いた世界の味ですわ。お母様が教えなかった、泥の中で生きる者の、本当の誇りです」


「……ふん、相変わらず……下品な香りね……こんなもの、ヴァレンタインの人間が食べるものでは――」


 お母様は、震える手でスプーンを取り、一口、そのスープを流し込んだ。

 

 その瞬間。

 彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ち、器の中に波紋を作った。


「……熱い……どうして、こんなに不作法なのに……こんなに、温かいのよ……ああ、そうね……私は、「高貴な白銀の令嬢」である前に、貴女が「泥に根を張って生きる、不器用で温かい一族の女」と言うことを忘れていた……そして、誰かのために料理を作る喜びを……すべて、あの迎賓館の冷たい壁の中に、置いてきてしまったのね……」


 お母様は、声を上げて泣いた。

 完璧な淑女の仮面が剥がれ落ち、そこにはただ、自分の過ちに気づき、娘の強さに圧倒された一人の女性がいた。


 ポトフを完食したお母様は、どこか清々しい表情を浮かべていた。


「……アリシア……私の負けよ……貴女の料理は、私の築いたどんな壁よりも、強固で温かかった……ごめんなさい……貴女という『一人の人間』を、私は一度も見ていなかったわね」


 初めて聞く、お母様の謝罪の言葉。

 私は、胸の奥にあった冷たいしこりが、スープの熱に溶かされて消えていくのを感じた。


「……わかってくだされば、よろしいのですわ……お母様、貴女の判決は決まりましたわよ」


 私はルイ様と顔を見合わせ、微笑んだ。


「王命により、貴女を『国境の森にあるカフェ・ヴァレンタイン』での、永久無給の皿洗い兼、下働きの刑に処しますわ……もちろん、お父様も一緒ですわよ? あの方、ワインボトルを持ち込んで、既に店の離れを占拠するつもりでいますもの」


「……ふふ……皿洗い? ……私が? ……あんな情けない夫と、不作法な魔物たちに囲まれて? ……死刑の方がマシだと言いたいけれど……貴女の料理を毎日食べられるなら、それも悪くないかもしれないわね」


 お母様が、初めて「母親」らしい、柔らかな笑みを浮かべた。


 夏の終わり。

 白亜の獄塔の鉄扉が、重々しく、けれど解放の音を立てて開く。


 私は、ルイ様の手を握り直し、光り輝く地上へと続く階段を登り始めた。

 背後からは、ウォーレンの「おばさん、手伝うぜ」という不敵な声と、テリオンの「……ノイズが消えたな」という静かな呟きが聞こえてくる。


 不作法な嵐は、過ぎ去った。

 明日からは、再び、森のキッチンに賑やかな笑い声と、最高に美味しい料理の匂いが戻ってくる。


 私の、私たちの、新しい日常が、ここからまた始まるのだ。

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