0272 「いのち」と「にんげん」の意味にまつわる貧しき寓話(2)[視点:命血]
あるところに、とても仲の良い男の子と女の子がいました。
二人にはそれぞれ弟と妹と、あともう一人の妹がいました。
お母さん同士もとても仲が良かったので、彼らと彼女らはまるで5人の兄弟姉妹みたいに震える身を寄せ合いながら、それでも協力しながら、一生懸命暮らしていました。
生活の大変さは、まわりの似たような家族達と比べても中ぐらいでしたが――それが"裕福"なことなのか、それとも"貧乏"なことなのかを判断できるほどには、二人は大人ではありませんでした。
お父さん達は時々しか帰ってきませんでしたが、食べ物や、道具や、色々なよくわからないものなどを持ち帰ってきてくれます。そのため、特別に寒かったり、ひもじかったりしすぎるということもなく、みんなすくすくと大きくなっていくことができたのでした。
――やがて、5人はその世界を広げていきます。
里の中でも、誰よりも強い好奇心と冒険心を抱いた二人と弟妹達は、決して出ていってはならないといわれる、村をぐるりと取り囲む暗く高い木々の森に探検に出かけるようになっていたのです。
そんなある日の探検にて。
道に迷いながらも突き進んだ兄弟姉妹達が見つけたのは、誰もそこにそんな「小屋」があるだなんて知らなかった、獣の通り道の先の崖のそのまた下に隠された、洞窟みたいな場所。
そして、そこで二人と弟妹達は――新しい「友達」達と出会うことになったのです。
十数人もの、お兄さんお姉さんである二人よりも少しだけ年上だったり、年下だったり、年齢はバラバラでしたが、たくさんの子供達がそこにはいたのです。
――彼らは、いつも汚れてボロボロになった衣服を着ていました。
そして、いつもとてもひどくすごく臭いにおいを漂わせていた「友達」達でした。
ですが、いつの時代も子供同士が仲良くなるのに、理由なんてあまり必要はありません。
同じように笑いますし、同じようにご飯を食べますし、同じように声を出して、時に喧嘩をしたり仲直りしたり。知らない遊びを教えてもらったり、里の大人達がどんな仕事をしているのか、普段見ることのないことを盗み見できる場所を教えてもらったり。
なので、兄弟姉妹達は逆にそのちょっと臭う「友達」達が食べたこともないような食べ物や、料理なんかを、こっそり分けてあげたりしていたのでした。
それは秘密の、しかし秘密であることさえ彼ら彼女らには自覚もできなかった、禁断の交流。
里の中から出ることを一切合切禁止されていた二人と弟妹達にとって、それは、それは、とても新鮮な体験だったのです。
――惨劇が起きたのは、そんな交流が続いて、2回の雪解けを迎えたぐらいのことでした。
ささやかな、しかしドキドキするような交流を深めた兄弟姉妹と「友達」達は、新しい”お泊り”遊びを何度もするようになっていました。それは、お互いの服を交換してから彼らの中に混じり、里の静かだけれど何も変わらないような毎日とは全然違う、緊張の一夜を明かす……そんな遊びでした。
二人と弟妹達は、何度も何度もそうしてきたのです。
自分達となんら変わらない、何も変わらない、お互いの名前もみんな覚えた「友達」達との当たり前の交流が続きましたが、その日は、大きくなって大人の仕事を手伝わなければならなくなった二人だけは、探検に行くことができませんでした。
なので、弟妹達だけで、その日は"お泊まり会"へ行きました。
――そして、弟と妹達は帰ってきませんでした。
お母さん達が騒ぎ始めた頃になって、二人は心配になって探しに行きました。
ですが、あのちょっと臭う、自分達と何も変わらないはずの「友達」達が、集団で暮らしていたはずの「小屋」も、既にもぬけの空になっていたのでした。
二人は失意に打ちひしがれながら、それでも、怪しまれないように一度、家に戻るしかありません。ちょうどその日は、みんなの「お父さん」達が、怒ると真っ赤になって怒るとても怖い「お父さん」達が久しぶりに帰ってくる日でもあったからです。
「お父さん」達は、この日、里の家族達に――二人の家にも新しい、役に立つお土産を持ち帰ってくれたのです。それは大きな机と椅子のセットで、そんなに見たこともない大きなお土産を持ち帰ってくれるのは、久しぶりだったため、弟妹がいなくなったことの後ろめたさを感じながらも、二人はすぐにそれに駆け寄ったのでした。
――そして。
『お、ね『お、に』い、『ちゃ』、ん』
と。
机と椅子が喋ったのでした。
***
「――変わったな、アシェイリ」
「あなたもね、ユーリル」
かつての幼馴染との想像の埒外にして、しかしとても懐かしい再会の言葉は、その場にもたらされた破壊と被害の凄惨さに比して、そんな静かで穏やかなものであった。
だが、まさか、というのが吸血種ユーリルの感想であった。
【報いを揺藍する異星窟】に張り巡らされた感知網・警戒網が街の深部にある、よりにもよって『救貧院』にて吸血種の出現を察知するよりも早く、ユーリルはそれを知覚していた。吸血種特有の感覚として、自身の"嗅覚"を襲った強烈な刺激臭じみた衝撃によって、である。
――原理的に、それは他の人間種には無い第六の感覚であるかのように、まるで目で見て個体ごとの正確な違いを嗅ぎ分ける事ができる代物である。
だから、ユーリルはそれが誰の【血】であるのかを瞬時に知覚し、そして、それを認めることを拒むかのように狼狽し、オーマに詳細を伝えることも忘れて【虚空渡り】を発動。ナーレフ内を”影”の如く空間を歪め折りたたみ飛ばし跳ぶように駆けながら『救貧院』へ――リシュリーの居場所へ駆けつけたのである。
そして、それでも彼は、工作員として――あの”里”にて、動揺や、眼前に現れた事実への感情的な反発を戒められ、厳しく教練され――それでもその事実を認めがたく、故に、出現と同時に複数方向から放とうとしていた【血操術】による血刃をも寸前で止め、対話を選んでしまったのであった。
ユーリルにとってそれほどの相手だったからだ。
捨てたはずの過去に属する存在である、とはいえ。
「【血の戦士】……いや、【狂戦士】になったのか。なんて無茶な……」
のんびりとした穏やかだった、かつての「お姉さん」の面影は残っている。
だが、その全身から発される体内で常に血漿と骨芽が歪に増再生を繰り返しているという、独特の饐えた――強いて味覚にでも例えるならば”酸味”に近いようなそんな「におい」。それは彼女が常に身体の内側で軋み、内出血・内部破裂が秒間にも幾千幾万と繰り返されつつも、【生命紅】の恩恵によって常時再生され続けているという鮮烈な有り様を物語る。
見た目こそすました表情。
吸血種の戦士がよく着用するような全身に張り付いた黒い戦闘服であるが、大の男ほどの長さもある大斧といい、そのただ背負っているだけですら全身にのしかかる負担によって筋繊維も毛細血管も断裂し続けているであろう有り様そのものが――彼女という存在がどのような、自分が出ていった後に彼女がどんな"道"を選んだのかを悟る。
アシェイリはユーリルにとっては、忘れもしない、かつての「半身」。
捨てたはずの"過去"を共有する"共犯者"のような厄介な相手であった。
久しく見なかった顔には、気まずさよりは、やはり不思議な懐かしさの割合が大きい気がする。
どのような文脈でこの場に自分が立つことになったのかすらも、ユーリルは一瞬だけ忘れ――しかし、ちらりと後方にやった横目でリシュリーが教父ナリッソに担がれて退避していく姿を見やりながら、ふつふつと湧く、何に向けて叩きつけるべきかもわからないやるせなさの如き怒りも自覚しながら。
「ユーリル……久しぶりの再会、なのに。言ってくれる言葉は、それだけ?」
淡々とした調子。かつての朗らかだった話し方など、全て――彼女が経験したであろう【狂戦士】としての教練の凄惨さを物語るかのように、そのような”人間的”な感情などは削ぎ落とされてしまったかのような調子にも聞こえる。
だが、同時にその声には押さえた怒気が、削ぎ落とされなかったただ一つの感情、であるかのように渦巻いていると感ぜられる。
その目は【狂戦士】にあるまじき感情の束を宿していたが、しかし、このような破壊的かつ破局的な「ご挨拶」をしてくれた以上、決して、友好的な展開を期待することはできない。実に5年、6年ぶりの逢瀬ではある……というのに。
「君は変わったね。変わりすぎて、びっくりしたよ」
「ユーリル。あなたも変わった、それだけは、すぐに分かった」
「一つだけ聞かせてくれ、アシェイリ。どうして、リシュリーを狙った?」
怒気と不穏な気配を強めながら、再び大斧の柄にそっと指をかけながら、眉をひそめるアシェイリがユーリルを睨めつけ視線の圧を強める。ユーリルもまた、三白眼とも評されるその目つきに険を込めて睨み返す。
「私の目的は、あなたを連れ戻すこと」
「……殺しに来たんじゃなくて?」
「今度そんな冗談を言ったら、望み通りにして、あげるから」
大斧を握る手指にさらに力がこもり、明確に「握る」構えに移るのが見えた。
ギリギリ、その初撃を叩き込まれぬ間合いに立っているユーリルは、この点で既に到着する寸前からの彼女に対する――襲撃者に対する――駆け引きを開始しているのである。言いくるめられる、などと思っているわけではなく、緊張感を隠し、あるいは隠しきれぬ様をあえて見せるような軽口めいた『近況報告』は、すべて後ろで退避していくナリッソとリシュリーが十分に離れるまでの時間稼ぎである。
だが、ただの軽口というわけでもない。
殺伐とした狂戦士に変貌した少女に、ユーリルは月日の残酷さと、そして自分達吸血種の――かつては己も、彼女も、自分があの『友達』達と見た目も何も変わらぬ存在であると信じていた時代が、あったのだ――背負わされた宿命の惨さを感じて改めて心の荒みを思い出させられる。
しかし、思った以上にアシェイリはこの「軽口」に付き合ってくれる気であるようだった。
そしてそれこそが、ユーリルとしても問答無用の攻撃をためらった理由でもあった――【エイリアン使い】の従徒としては許されないであろう態度だったかもしれないが。
――【狂戦士】が本気で壊すことだけを目的として暴れたならば、自分が、否、視界の先で【魔人】と思しき踊り子の出で立ちの女戦士と交戦を開始した”夢追い”コンビことゼイモントとメルドットが最速で駆けつけるまでのわずかな間であったとて、ここまで被害が少ないわけがないのだから。
吸血種ユーリルはアシェイリの目的を測りかねていた。
もしかして本当に「ただ連れ戻す」ためだけに来たのか? と訝るほど。
――しかし、事実を見れば、こうして「自分」が釣り出された。
だが【血】によって自分がこの街にいることまではわかったであろうが、それでも「こう」するのが最も的確にして最善手である、などと彼女はどうしてわかったのであろうか? ――たとえ「リシュリー」の存在を、彼女のあまりにも特異過ぎるその【血】によって知覚したのであるにしても。
その変数要因となるのが、件の【魔人】であるに違いなかった。
だが、なぜ? どうして? どうやって、どのように?
ユーリルが向ける探るような眼差しを見返してくるアシェイリは、まるで思案するように「ひい、ふう、みい」と何かを数え始め――そして、続くその言葉にユーリルは思考を停止させられることとなる。
「何人殺したの? ――"食べる"以外の理由で」
何故、戦士達の中でも特に【狂戦士】となるための教練が過酷であるか。
それは、その徹底的な「血断ち」と「血溺れ」の過程による。性質上、並みの吸血種の工作員よりも遥かに多くの【血】を扱うこととなる【狂戦士】達は、その身体内におけるコントロールと【生命紅】との同調を強化するために、絶食と飽食を繰り返させられるのである。
この意味で、彼らが【血】を嗅ぎ分けることができる実力もまた、非常に高い。
「君に、よりにもよって君に、そんなことを言われるなんて、な」
かろうじて絞り出した言葉がそれであった。
ならば君は逆に”食べる”ためとはいえ、一体何人を食ってきたのか? と問い返すこともできたであろう。
だが、それをする意味はない。
二人は、それがたまさかのものであるのか、あるいは吸血種が捨てたはずの神々による運命のいたずらであったかは知る由もないことである。だが、それでも二人は――少なくとも他の如何なる仕属種の吸血種の中でも、最も、人間に近づきすぎた存在であろうことは、かつてあの日に幼心ながらに自覚していたのだ。
それが二人がかつて共有した罪であった。
だから、アシェイリがユーリルに突きつける問いは、その根源を揺さぶる心臓に向けた躊躇いのない鋭い一刺しなのである。
「どこもおかしくはない。僕は『殺し屋』として調練された。だから、ただ"殺すために殺す"のは当然のことだ」
「嘘を、つかないでよ」
時間稼ぎもそろそろ限界か。
だが、ユーリルを襲った緊張は決して戦闘への移行を予期した事だけによるものではない。
「――酷い悪臭。死体が疫毒でさらに腐った毒沼よりも、惨い、酷い、非道い、本当にひどいにおい」
アシェイリの紅みの差した内出血の目玉のような双眸に、まるで「あの日」からの一切の情念と彼女が味わったであろう過酷な日々の全てが凝縮して込められたかのような憤怒と赫怒と激怒とあらゆる怒の字を体現する語が一度に同居するかのような憎悪めいた――困惑が込められていたからだ。
「あなたは……その”女”のために殺し続けてきたんでしょ? ――それと、あなたは一体、何をしているの?」
闇に沈んだかのような沈黙の中に二人の視線が交差した。
――かと思うや。
「ヴぁぁぁぁああああああアアアアアアアアアッッッッ!!」
血の激昂と狂奔。
全身の血液を震撼させられるかのような衝撃波めいた裂帛の雄叫びと共にアシェイリが大斧を振りかざす、と同時に視界にすら留まらぬ直撃突進に見舞われる。助走動作など一切無く、身体への内破的反動を前提とした狂乱の突撃であり――その踏みしめる一歩だけで半壊した『救貧院』の床板が弾け飛んで破片が弾丸のように瓦礫に突き刺さる。
だが、ユーリルも予備動作を察知した時点で【虚空渡り】を瞬間的に発動。
【闇】属性がもたらす理によって捻じ曲げられる空間の歪みの中に身体を滑り込ませるようにしながら大きく斜め上に飛び退き――同時にその”余韻”を通路に残していく。
リュグルソゥム家によって【血管魔法陣】として仕込まれた【空間】属性の術式が【虚空渡り】の歩法と反応し、つい刹那寸前までユーリルがいた位置に生み出されたその”余韻”が、アシェイリが数歩で微塵に踏み砕いた廊下ごとわずかに歪曲させ、彼女はそのまま直進路を狂わされてユーリルの後方のまだ破壊を免れていた壁面に粉塵落礫をまとい轢くかのように激突。凄まじい粉塵と共に、肉が破裂し骨が砕けるような血煙が同時に激しく飛び散り舞い上がった。
――「本気」を出したのである。
夢追いコンビやユーリルが駆けつける直前までの、むしろ建物や人々を気遣うかのような――【血の狂戦士】基準ではあるが――破壊からは、一切、手加減というものが抜け落ちた全力の一撃であった。
……だが、吸血種同士の闘争の本質は見かけ上の魔法や技術や破壊の大小ではない。
どちらも、その機序と在り方は異なれども、人間の形をしていながら人間離れした軌道と運動を強引に実現する代償としての全身への反動を免れることはない。ないのだが、そうして撒き散らされた自身の血肉や飛び散った血漿そのものが”武器”となる。
【虚空渡り】による字義通りの異次元の軌道すらをも一部食い破ったアシェイリの剛斧の剛撃に掠められ、飛び散ったユーリルの血がばら撒かれた手裏剣の如く【血刃】へと変化して多方面から、放たれた超小型の猟犬の群れの如くアシェイリが崩れ轢き突っ込んだ瓦礫から現れた影のようなものに襲いかかるや、同時に、少女狂戦士もまた技能【血肉繋ぎ】を発動。
衝突時に、あらぬ方向にひしゃげて千切れかけた自身の肉体を見る間に巻き戻しながら、飛来する血刃達を絡め取ったのである。
それは【血操術】を修めたユーリルをして、恐るべき身体制御と力技であった。
再生術である【血肉繋ぎ】を封じて、数秒でもその復帰を遅延させるために、いわば、激突の衝撃に耐えられずに爆散したアシェイリの四肢だかの”肉塊”を縫い留めようとした一手だったのだが、アシェイリは【痛覚無効】【異血構わず】といった複数技能によって、それらユーリルの【血刃】ごと自身の体内に異物として取り込んだまま強引かつ乱暴な再生を敢行したのである。
さながら全身に無数の短剣・短刀の類が埋まったままの状態で、ユーリルの予測を超える速度の【過剰再生】により、再度突貫。その速度は、まるで初撃がユーリルの【虚空渡り】の速度を試したのかと思うほどさらに豪速化しており――否。
【血刃】がユーリル自身の身体に戻ろうとする作用を利用され、正確に退避方向を読み取られ、鉄塊と血流の狂奔が綯い交ぜとなった暴風の如き衝撃によって、次に飛び散ることとなったのは【血の影法師】たる少年の方であった。
避けきれず、アシェイリの剛撃がユーリルの下半身を吹き飛ばしたのである。
下半身だった己の一部はそのまま複数大小の血と肉塊として惨劇の演出のように、まだそこまで破壊されていない反対側の壁――それでも「初撃」の衝撃が激しすぎて無数の亀裂が走っているが――に塗料の無駄遣いのようにべちゃりべたりと叩きつけられ。
そのまま、ユーリルは上半身だけで【虚空渡り】を完遂してアシェイリの死角に旋回。
理性を喪って完全に紅化した双眸でユーリルを探す【狂戦士】の背後から、両腕より噴き出した血刃を、今度は鞭のように撓らせる、と同時に壁から床から自身の飛び散った血液塊を【生命紅】を通して遠隔操作。突き出す無数の血の槍と化してアシェイリを四方八方から串刺し、絡め取り、その動きを改めて封じようと試みたのである。
だが、血の凶獣を思わせる――”人間”に最も近い仕属種でありながら、よもや『蝙獣』化まで施されたのかと、一瞬ユーリルは焦るが――咆哮と共にアシェイリが強引にそれらを振りほどくが、既に彼女はユーリルの「魔法陣」の中に絡め取られつつあった。
そしてアシェイリはといえば、その狂奔と血の激昂の中に、理性の光だけは一筋残していたのだが、そこには苛立ちと戸惑いの念が示されていた。
血刃の拘束をどれだけ千切り飛ばされようとも、ユーリルが第二波、第三波の【血刃】を送り込み続けていたからである。
――それは、およそ吸血種の工作員1名が扱うことのできる”量”の血ではない。
そのことに気づき、そして気付いた意味が、彼女がつるんでいるであろう【魔人】達から何をどう聞かされているかわからないが、確実に吹き込まれているであろう自身と【エイリアン使い】オーマの関係との連想に至ったか。
アシェイリは拘束に対してもがくことをやめ、代わりに断裂も厭わずに両腕を強引に血の槍衾の間を突破させるように振り抜いて大斧を掴み、的確にユーリルの上半身へ。”血”を回収しながら下半身を徐々に再生し始めていたユーリルの「心臓」――吸血種の弱点――めがけて振り抜いてきたのである。
「連れ戻す? 殺しに来たの間違い、かよッッ」
吸血種”離れ”している、という意味ではユーリルもまたアシェイリの有り様だけを指弾することなどできないだろう。明らかに、ユーリルの知識には無い――ただの【血の狂戦士】離れした力を有しているとしか思えない。
それこそ、彼女の身体・血液制御術は侍属種級に近いものとなっており、【血操術】に長けるように教練された上に【報いを揺藍する異星窟】との連携によってただの仕属種には不可能な量の”血”を扱えるようになっているユーリルですら、抑えることができないのである。
「私は――あなたを、連れ戻すんだ――ッッ! 殺してでも連れ帰るんだ――ッッ! みんなのもとに――ッッ!!」
「……ッッ、アシェイリ! みんな、死んだんだ……君もわかっているはずだろ――! ギッシュも、―メイシも、イリンカも、みんなもう砕かれて血肉にされて……全部、全部、全部、吸血種に食われてしまった……僕達には何も残っていないって、知っているはずだろ……!」
揉み合う二人の吸血種の少年と少女は、互いに相手の血の中に血を割り込ませ、切り刻み、分断し、再生を阻害せんと試みていた。
と同時に、相手の中に自身の血と――そして【生命紅】の塊を構築し、より大きな塊にして自分という”形”を作りながら、それはどこか陣取り合戦であるかのような戦術性を帯びた駆け引きとなっている。
傍目には、否、他の「人間種」にはただ単に2つの蠢く血の塊が人体と共に激しく互いを削り合って喰らい合っているかのような悪夢の光景にしか、ただの赤と朱と赫と紅の絵の具をぶちまけ合う噴水だか奔流同士の格闘にしか視えぬものであろうか? だが、これこそが吸血種同士が戦う際のある意味での最も終盤に近い真の意味での肉弾戦なのである。
互いに相手を、血も肉も骨も生命紅も関係無しに分断し――ただ1点、その究極の根源にして生命紅を操る核心であるが故に弱点たる「心臓」を露出させ、狙い、確保せんと試みるのである。
血に宿る記憶だか意識だか思考のようなものが、互いを物理的な意味のみならず、精神的な意味世界においても突き刺しあるいは引き裂く干渉剤となるかの如くに。
――それが吸血種の闘争の在り方なれば。
だが。
叫ぶように、たしなめるように、そしてどう悔いても戻ることのない過去の真実を叩きつけた言葉に対し、アシェイリが次に放った応答の叫びが、ユーリルの中に多大な違和感をもたらすこととなった。
「まだ私達は、全部を失っていない――ッッ! あなたの帰りを待っている人が、いるから。私だって――……タレーエンだってッッ!! 私達は3人で一つだった、そうでしょ――? タレーエンの代わりでもあるんだ、私はここまでして、あなたを連れ戻しに来たんだ――ッッ!!」
どうしても、看過することのできぬズレがあった。
だから、ユーリルが思わず、次のように返していたのだ。
「――アシェイリ。タレーエン? って……一体全体、誰なんだ?」
この瞬間。
数秒の停止と沈黙と、一言だけの「え?」という深い困惑の後。
アシェイリが完全に理性を失い、その職業通りに狂乱と狂奔を体現するが如くに暴走し、ユーリルを何度も何度も瓦礫の中に叩きつけることとなる。





