約束
儂は、泣き疲れてぐったりと肩に頭を預ける紡を抱き上げ、静かに回廊を歩き出した。
産屋の重苦しい空気から離れ、夕暮れの柔らかな光が差し込む縁側に腰を下ろす。
「……紡。お前は、ひなが嫌いになったか?」
儂の問いに、紡は激しく首を横に振った。涙で真っ赤になった鼻を啜りながら、小さな胸の奥にある想いを一生懸命に言葉に変えようとしている。
「……だいすき。ひながねんねしてるから……早く元気になってほしくて……。でも、つむぎがそばにいくと、ひな、くるしそうにするから……。つむぎ、ひなのこと、いじめちゃった……」
またポロポロと溢れ出した涙。儂はそれを大きな親指でそっと拭った。
この幼い心に、どれほどの棘が刺さってしまったことか。
「そうではない。……紡、よく聞きなさい。ひなが苦しそうに見えたのは、お前を追い出そうとしたのではないのだよ。お前の声が聞こえたから、あやつは『まだ死ねない』と、必死にこの世に踏み止まろうとしたのだ。……あの苦しげな吐息は、雫が必死に生きようと抗った証なのだよ」
紡はきょとんとして、儂の顔を見上げた。
「……ひな、つむぎの声、きこえたの?」
「ああ、聞こえたとも。聞こえたからこそ、あやつは先ほど目を開けて笑った。今、雫は戦っているのだ。紡は、また雫と遊びたいじゃろ?ならば、雫の側で静かに見守り、祈ってあげなさい。それが今のあやつへの一番の薬だ」
儂は、自分の腰に差した刀に手を置いた。
「儂は、刀で敵から家を守る。……だが、お前にはお前の守り方がある。今日のように、自分の寂しさを堪えて静かに側にいて、雫の心を守ることだ。……それができるか?」
紡は小さな胸をいっぱいに膨らませ、深く、深く頷いた。
昨夜、尾崎が言い放った「我欲」という冷たい言葉。紡はそれを今、「大好きな人のために、自分の気持ちを律する」という、誇り高い覚悟へと変えたのだ。
「……うん。つむぎ、しずかに、まもる。……幸鶴丸にも、『め!』って、おしえてあげる」
「……ああ。頼んだぞ」
その健気な言葉に、儂は思わず目尻を下げ、愛おしい我が子をもう一度強く抱きしめた。
その時、背後から静かな足音が近づいてきた。
「……殿。……紡」
振り返ると、そこにはいつもの凛とした、けれどどこか安堵した表情の尾崎が立っていた。
「雫様が、今、穏やかな寝息を立てておられます。……お二人の祈りが、あの方に届いたのでしょう。……少し、持ち直されましたよ」
その瞬間、紡は堰を切ったように「うわああああん!」と大きな声を上げて泣き出した。先ほどまで必死に耐えていたものが、安堵と共に溢れ出したのだろう。
儂は泣きじゃくる紡の頭を、大きな手で丁寧に撫で続けた。
「紡、次はちゃんと、ははさま(尾崎局)の話を聞けるか?」
紡は、涙を振り乱しながら大きく頷いた。
それを見届けて、儂は西の空へ沈みゆく夕日を見つめた。
雫、お前が繋ぎ止めたこの命と、この子たちの未来……。
何があっても、儂が守り抜いてみせる。




