父と娘
政務の合間、私は吸い寄せられるように雫の寝所へと向かっていた。
先ほど、尾崎が私の前で深々と頭を下げた時の、あの沈痛な面持ちが忘れられない。
「私の管理が至らぬばかりに、雫様を……あのような危機に……」
震える声で自らを責める彼女に、私は「そなたのせいではない。雫を想う子供たちの心までは、誰にも縛れぬのだ」と伝えた。けれど、そう口にした私自身の心も、千々に乱れていた。
雫の部屋に近づくほどに、春の陽光とは裏腹な、冷え冷えとした死の気配が濃くなる。
医師から届いたばかりの薬草の匂いが、鼻を突いた。
静かに襖を開けた私は、そこで思わず息を呑んだ。
雫の枕元から少し離れたところに、小さな、本当に小さな影が一つ、畳の上に丸まっていた。
「……紡か」
いつもなら「父上!」と駆け寄ってくるはずの娘が、私の気配にさえ気づかない。
彼女は音を立てることを極限まで恐れるように、小さく正座し、肩を震わせていた。
一歩近づいて、私は胸が締め付けられる思いがした。
紡の頬を、大粒の涙が次から次へと伝い、畳に黒い染みを作っている。
声を上げて泣けば、雫の眠りを妨げてしまう。
昨日、尾崎局から言い渡された「神様との綱引き」という言葉が、三歳の娘の心に、どれほど残酷な楔として打ち込まれたことか。
雫の、喉を鳴らすような苦しげな呼吸に合わせて、紡もまた小さく喘ぐ。
「ごめんね、ひな……ごめんね……」
音にならない唇の動き。
この幼い子に、これほどの自責を背負わせてしまった。雫の命を繋ぎ止めるために、この子の純粋な愛を「我欲」と断じなければならなかった尾崎の苦渋も、同時に私にのしかかる。
私は、音を立てないよう、紡の隣に静かに膝をついた。
驚いて顔を上げた娘の瞳は、涙でぐちゃぐちゃに濡れていた。
「……あ、ちち、うえ……」
慌てて声を殺そうと口を塞ぐ紡を、私は何も言わずに抱き寄せた。
温かな、けれどあまりにも小さな身体。
「……紡。お前がここにいることは、内緒にしておこう。尾崎にも、誰にもだ」
私の囁きに、紡は震える声で応えた。
「……つむぎ、ひなを……いたく、しちゃったの……。だからひなつらそうなの……つむぎのせいだよね」
「違う。お前のせいではない。お前たちが雫を愛してやまないからこそ、雫もまた、この世に踏みとどまってくれているのだ。」
私は雫の、今にも消え入りそうな青白い横顔を見つめ、紡の背中を優しく撫で続けた。
その時、私たちの祈りが届いたのか。
雫の睫毛が微かに震え、重い瞼がゆっくりと持ち上がった。
焦点の定まらぬ瞳が、一瞬だけ私と紡を捉える。
「雫……分かるか?」
「ひな……?」
私の問いかけに、雫は、枯れ木のような指先をほんの少しだけ動かした。
その表情が、氷が溶けるようにふっと和らぐ。
「ああ……」と、安心したような溜息を一つ残して、彼女は再び深い眠りへと堕ちていった。
外では、鳥が春を告げるように囀っている。
当主として、夫として、父として。
私はこの止まったような時間の中で、ただ願うことしかできない。
雫、どうか、この春の光の中へ戻ってきてくれ
お前の愛したこの子たちのために。そして、お前なしでは生きられぬ、私のために。




