紡と幸鶴丸とひな
お七夜の儀式が終わり、城内の喧騒が嘘のように遠のいた深夜。
産屋の主は、いまだ深い闇の底にいた。一週間、雫の指先一つ動かない。
「……雫。今日、この子は『徳鶴丸』と名付けられましたよ」
私が、力なく横たわる雫の耳元で静かに語りかける。
雫は弱々しく呼吸を繰り返している。
このまま雪の中に消えていってしまいそうなほど白くなって動かない。
「聞こえるでしょう? 隆元様が、あなたの命を削って産んだ子に、素晴らしい名を授けられたのです。……だから、もう戻りなさい。このままでは、私がこの子を独り占めしてしまいますよ」
私の声が微かに震えた、その時。
廊下から、板の間の冷たさを踏みしめる、小さな二つの足音が近づいてきた。
「……ははさま、ひな、おきてる?」
襖の隙間から、紡が不安そうに顔をのぞかせた。その小さな手には、何が起きたか分からず眠たげな目を擦る、一歳半の幸鶴丸の手がしっかりと握られている。
「紡……。夜更けにどうしたのです。幸鶴丸まで連れて」
「ひなに、弟生まれたよって、言いたいの。幸鶴丸も、おてて、つなぐって」
紡は母の制止を待たずに雫の枕元まで歩み寄った。彼女にとって、横たわる雫は「弟を産んだ母」ではなく、いつも自分を優しく見守ってくれる「体の弱い、綺麗なお兄様」だ。
いつも雫は紡に
「自分より幼い子には大切に優しくするのですよ。」と語っていた。
「ひな、あたらしいおとうと、つむぎ、大事にするよ」
紡は雫の布団の上に、大切に持ってきた手鞠をそっと置いた。そして、手を引いていた幸鶴丸を雫のすぐ側に座らせる。
「ほら、幸鶴丸も。ひなのおてて、よしよしして」
幸鶴丸は、姉に促されるまま、ぷっくりとした温かい手のひらで、雫の氷のように冷たい頬に触れた。
「……あ、あ……」
幸鶴丸の無垢な、熱いほどの体温。それが肌に触れた瞬間。
一週間、死の国を彷徨っていた雫の魂が、強烈な磁石に引かれるように現世へ引き戻された。
……ああ……、この子たちの、温もり……。
雫の睫毛が、雪が溶けるように幽かに震える。
ゆっくりと開かれた瞳には、何も知らないまま必死に笑いかけ、自分を「ひな」と呼ぶ最愛の娘、紡の姿があった。
「……つむ……、ひめ……」
「ひな! ひな、おきた! ははさま、ひながおきたよ!」
紡が飛び上がって喜ぶ傍らで、私は崩れ落ちるように雫の肩を抱いた。
紡には分からない。なぜ私が、自分たち以上に声を上げて泣いているのか。
けれど、紡はただ嬉しくて、雫の手を握りしめ、何度もその名を呼んだ。
この子がいつか、自らも産屋の苦しみを知る日まで。
この夜の「ひな」の正体は、雪の中に深く、深く、秘められることになった。




