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鼓星  作者: 吉川元景
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笑みを咲かせるため

……あいつは、また無理を笑いに変えているな。

兄上の館の庭。生い茂る秋草の向こうから、鈴を転がすような子供たちの声と、それに応える、少し掠れた、けれど柔らかな女の声が聞こえてくる。

俺は、甲冑よろいの触れ合う音を殺し、庭の隅からその光景を黙って見つめた。

そこには、半年前、死の淵を彷徨っていたとは思えぬほど穏やかに微笑む雫の姿があった。

「しろう、つむぎ。あまり速く駆けては、転んでしまいますよ」

雫は、元気に駆け回る少輔四郎と、そのあとを追いかける紡の姿を、目を細めて見守っている。

だが、俺の目は騙せん。

四郎が勢いよくその膝に飛び込んだ瞬間、雫の肩が微かに震え、一瞬だけ、苦しげに睫毛まつげが伏せられたのを、俺は見逃さなかった。

その健気さが、俺の胸を、戦場の矢傷よりも鋭く刺した。

「……雫」

俺が声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げ、すぐにいつもの、凛とした「小姓・雛」の顔を作った。

「春様……。尼子氏討伐で備後に行かれているのでは……?」

「兄上に挨拶に来たついでだ。……四郎、紡。尾崎様がお呼びだぞ。尾崎様のところへ参れ。」

俺がそう促すと、子供たちは「はーい!」と元気よく駆けていった。

二人の小さな背中が完全に見えなくなるまで、雫はその場に立ち尽くしていた。張り詰めていた糸が、ふっと緩むその瞬間を待つように。

「……さて。嵐が去って、ようやく静かになったな。……雫、体調はどうだ。本当のところを申せ」

俺は、一歩彼女に近づいた。

夕闇が迫る庭で、雫の顔色は、子供たちと笑っていた時よりもずっと青白く、透けて見える。

これから俺が行く備後の戦場よりも、今立っている「生と死の境」の方が、よほど危うい場所に見えて、俺は思わずその細い手首を掴みそうになった。

「だいぶ回復してきましたよ。」と笑って誤魔化すのを見て胸が苦しくなる。

大内義隆死後尼子氏との戦闘に明け暮れている中で体調の悪さを言い出せないのであろう。

一度は心臓が止まり死にかけた身体だというのに。

「……ひとまず座れ。」

今にも倒れそうな雫を座らせる。

雫は「もう少し経てばまた春様に稽古つけてもらえますかね?」と笑っているが目が少し曇ったのを見逃さなかった。

「本当のことを申せ。雫、身体は正直まだよくないじゃろ?」

雫は堪忍したかのように「まだ血が足りていないのか、少し動くと息が上がり、視界が暗くなります。」と言った

「他には?」

「他には……時々心臓が冷たくなる瞬間が……。」

「全く回復しておらぬではないか」

俺の口から出た言葉は、自分で思うよりずっと低く、怒りに似た震えを含んでいた。

もちろん、雫に怒っているわけではない。これほどの体調でありながら、誰にも、兄上(隆元)にさえも悟らせまいと「小姓・雛」の仮面を被り続けてきた、この女の頑なな「責任感」に、俺の胸が掻き乱されているのだ。

「他には?」と畳み掛ければ、返ってきたのは、想像を絶する死の残滓だった。

『時折、心臓が冷たくなる……』

その一言が、冬の合戦場での氷雨ひさめよりも冷たく、俺の五臓六腑を冷やした。

心臓が冷える。それは、生への火が消えかかっているということではないか。

俺は、思わず雫の細い肩を両手で掴んだ。

甲冑の籠手がカチリと音を立てる。驚いて顔を上げた雫の瞳は、夕闇の中で頼りなく揺れていた。

「雫、よう聞くんじゃ。……お前が今、どれほど深い闇のふちに立っているか、ようやく分かった。血が足りぬだけではない。お前の心臓は、まだあの日から、半分は向こう側の住人のままじゃ。」

雫は言い返す言葉もないのか、ただ浅い呼吸を繰り返している。

「尼子との戦で忙しいからと、遠慮したか。……馬鹿者が。お前一人の命を守れずして、何が毛利の安寧だ。何が尼子討伐だ」

俺は一度、雫を支えるように強く抱き寄せたい衝動を、武士の理性で抑え込んだ。今のこの女に、俺の鎧の冷たさは酷すぎる。

「……備後へ行く前に、兄上にはわしから話を通す。お前はもう、この館で『雛』を演じる必要はない。明日、豊平とよひらへ発つ準備をせよ」

「豊平……? 元春様の領地へ、ですか?」

「そうだ。わしの正室、新庄が既に向かっている。あやつに全てを話した。あやつは、お前のような『嘘つきな努力家』を一番に好む女だ。あやつに身を預け、豊平の湯に浸かり、大地の熱をお前の心臓に分け与えてもらうのだ。……いいな、これは拒否は許さぬ『軍命』だ」

雫は、俺の腕の中で小さく震え、ようやく「……はい」と、消え入りそうな声で頷いた。

その瞬間、俺は誓った。

備後で尼子の首を撥ね、必ず戻ってくる。

この安芸国の地に、再びこの女の「本当の笑み」が咲く頃に、必ずな。

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